3月11日
今日は東日本大震災から12年……
私は秋田に嫁いで2年目の冬を過ごしていた。
私の住んでいた横手市は、揺れは大きかったが家屋損壊等の被害はほとんどなく、停電だけだった。
携帯のワンセグも繋がらず、ラジオもなかったため、周りの状況が分からないまま一夜を過ごしたが、翌日、電気が復旧してテレビをつけて最初に耳にしたのは『陸前高田が壊滅状態』という言葉。
何のことだかさっぱり分からず、起こっている状況を把握するのにしばらくかかった。
元々海には遠い場所の育ちということもあって、『津波』という言葉自体が思いつかなかったからだ。
テレビから流れてきた映像は衝撃的だったし、岩手県沿岸部に友人がいたこともあって『停電だけで良かった…』と思っていた自分に苛立った事を今でも鮮明に覚えている。
私にも何か出来ないかと、募金活動や救援物資の提供、瓦礫撤去のボランティアにも参加した。
しかしどれだけ動いたところで、無くなった物を元に戻すことの出来ない虚しさや悔しさはいつもついてまわった。
今日もたくさんの震災関連の番組が放送されていた。
毎年そのような番組を観て思うのは、津波の被害等で亡くなった方のご遺族が震災を終わらせられる日は来ないのだということ。
『あの時こうしていれば』『あの人の代わりに私が死んでいれば』などの言葉を耳にする度に、本当に心が痛む。
きっと犠牲になった方々はそんな事は思っていないとも思うのだけれど、残された方々はそう思うことしか出来ないし、そう思ってしまうのもわかるからだ。
『亡くなった人の分まで生きよう』
よくドラマなどでも使われるセリフだが、当事者がそう思えるようになるのにどれだけの月日がかかるのだろう。
もう12年、されど12年……
私は同じ東北で震災を体験した身として、いつまでもいつまでも、犠牲になった方々を追悼すると共に、残された方々に心を寄せて日々を過ごしたいと思う。
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