葉山理緒と人見ゆあ 11
前回の会話から、ゆあとの関係に小さくない不安を感じるようになった。
理緒の話を流したというわけでもなかったようで、ゆあの接し方に少しばかりの変化はあった。
優しく……なったのだろうか。「好き」など理緒をどれだけ想っているのかを頻繁に口にするようになった。同じように、理緒の身体に触れることも増えた。肩だったり、背中だったり、そういったところによく触るようになった。とにかくくっつきたがり、身体を重ねる行為を求めることを隠そうともしない。
それは心地よかったり、なんともなかったり……不快だったりした。恋人同士なら、いや仲の良い友人同士でもおかしくないところを触られているのに、不快に思うことの方が多い。
不快、というとあまり正確ではない。
はっきり言ってしまうと、気持ち悪いのだ。
ゆあだからというわけではなく、人に触られること自体が気持ち悪い。眩暈がして、吐きそうにもなる。義父に襲われた直後は特にそういう状態になりやすかったが、離れてからはだいぶ良くなっていた。ゆあに触れられたことでぶり返したという感覚だ。
気持ち悪くなる時そうならない時があって、どこに差異があるのかはよくわからなかった。多分条件があるわけではなくて、その時に余裕があるのかどうかだけなのではないかと思う。
やめて、とは何度か言った。ゆあは一瞬は止まるが、「大丈夫だよ」と囁き繰り返すのが常だった。
ゆあに悪意はない。乗り越えられるものだと思って、理緒にそうしている。
理緒だって、そうできるものならそうしたい。ゆあが求めるものに応えられるようになりたい。
当たり前にできることを、当たり前にできるようになりたい。
ゆあのことは好きで、一緒にいたいと思う。ゆあも好きと言ってくれていて、心が満たされる瞬間は確かに存在する。
それが続くためには我慢しなければならないのだろうか。ゆあの言う通りにしていれば、乗り越えられるのだろうか。
理緒にはそのための方法はわからない。乗り越え方を考えたこともなかった。時間がたち、最近は楽になっていたのでそういうものだとすら思っていた。
ゆあは自信たっぷりに理緒に話し、触れる。まるでこれが唯一の正解だとでもいうように。
辛くても、苦しくても、この先にゆあとの未来があるのなら。
不安は押し殺して、ゆあの言う通りにするべきなのかもしれない。
「だいぶ慣れてきたんじゃない?」
「……っ」
うまく返事ができず、腕を目を覆ったまま荒い呼吸を整える。
ゆあが離れても、まだ動けない。それでも裸のままということが落ち着かず、どうにか気力を振り絞って服を着こむ。
「そんなすぐ着なくてもいいんじゃない?」
「ご、ごめん……」
もつれる舌で謝るが、ゆあを見ないようにしながら服はしっかりと着こむ。
ゆあに身体を触れられている最中、ずっと別のことを考えていた。が、そんな拙い抵抗は一切意味がなく、ひたすらに歯を食いしばっていた。
そのうち慣れる、という言葉を実践して理緒の家に来た時は服の下に触れてくるようになった。行為としては性行為だが、ゆあにとってはまだ違うらしい。
「理緒がちゃんと克服できたら意味も変わる」と言っていたが、信じきることがどうしてもできない。
ゆあが、というより自分自身を信じることができない。ゆあの求めに応えられないのではというのは、理緒にとって小さくない恐怖だった。
普通のカップルならできるようなことを、自分のせいでできない。
そのことを考えると、触れられるのとはまた別の恐れが湧き上がってくる。
ゆあが理緒から離れて行ってしまうのではないかという想像は、理緒の不安を強く搔き立てた。
不安に思うことが多すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃでまとまらない日々が続いている。香澄や沙耶を心配させないようにと、それだけはなんとか気を遣ってはいるけども。
身体が慣れてほしいという思いと、こんなの無理だという思いが交互に現れていて、もうなにがなんだかわからない。
それでも、今日は終わった。終わった後の安堵にすら罪悪感があったが、とにかく今日は……
「少し休んだら、もう一回しよう」
「………………え?」
呆然と訊き返す理緒にゆあはゆっくりと繰り返す。
「回数を重ねるのが大事だと思うんだよね。だから、もう一回。大丈夫?」
「…………」
答えられず、視線も合わせられない。
何を言えば、どんな言葉を口にすれば、ゆあにちゃんと伝えられるのだろう。
理緒の肩をつかんで、ゆあはもう一度同じことを言う。
「大丈夫だよね?」
「……ゆあ」
理緒の承諾を疑っていないような表情に、理緒はどうにか首を横に振った。
「ごめん、今日はもう疲れて……」
「そう、じゃあもうちょっと休めばできそう?」
「そうじゃなくて……」
ゆあの言葉を耳にするたびに、眩暈のような感覚を覚える。
身体の震えを止めようと自分の身体に腕を回す。好きな人と一緒にいるはずなのに、なんでこんな気持ちになるのだろう。
ちゃんとできない、自分が悪いのか。
「理緒? 言わないとわかんないよ」
「……う、うん」
ゆあの言葉に、反射的に出かかった言葉を飲み込む。
落ち着くまでできるだけ深い呼吸を繰り返して、意を決してゆあに告げる。
「今日はもう、したくない」
「……なんで?」
「なんでって……」
訊き返してきたゆあの表情は、ひどく悲しそうだった。どうしてそんなことを言うのかと駄々をこねる子供のような。
そんな顔をされると、まるで理緒の方がわからないことを言っているのかと思わされる。
言葉を継げない理緒に、ゆあはねえ、と訊ねてくる。
「恋人同士なら、普通はするよね」
「…………」
「黙ってないで、答えて。怒ってるわけじゃないから」
ゆあの声色は優しい。それなのに理緒の感情をぐちゃぐちゃにかき回す。
どうしてこんなことになっているのだろう。実家を離れて、人生はうまくいっているはずだった。辛いばかりの日々は遠くへ置いておき、楽しい日々を過ごしているはずだ。
ゆあと付き合ってから、歯車がずれているような感覚がある。
「理緒が辛い思いをしてきたのは聞いたからわかったよ。大変だったと思う」
「ゆあ……」
「だからっていつまでもそのままでいるつもりなの?」
ゆあは眦を深くして、理緒の目を見つめる。
まっすぐな目に、吸い寄せられるように見つめ返す。
「このままだとずっとそうだよ。苦しみ続けて、それで何が変わるの? いつかは乗り越えないといけないことなんだよ」
「…………」
やはり言葉が出てこない。
その通りかもしれない。このまま過去のことで苦しみ続けて、何も変わらないままでいても意味はないのかもしれない。
ゆあの言い分は正しく聞こえるのに、理緒は言葉を返せない。
「それに、一つだけ違うことがあるよ」
「?」
「私はちゃんと理緒のことが好きだから。理緒だって私のことが好き。お互い想いあってるんだから、絶対大丈夫」
「…………」
ゆあは自信満々に言い切った。力強く理緒を見据えて、励ますように一度頷く。
ゆあの言う通り、そこは違うところだ。ゆあが好きなのは間違いないし、ゆあもそう言ってくれている。
だが、本当に大丈夫になるのだろうか。そこだけがどうしても信じ切れない。
ゆあの言葉に縋りついてしまいたい自分もいる。ゆあの言う通りにして、乗り越えられるのなら理緒だってそうしたい。
乗り越えて、ゆあとちゃんと……
「……っ!?」
身体がぞくりと震えた。理由のわからない身体の反応に、戸惑って身を縮める。
と、理緒の身体をゆあが包んだ。ぎゅうっと力強く抱きしめられて、咄嗟の抵抗もできずにされるがままになる。
「大丈夫だよ」
「……でも。怖いよ」
「目を開けて。私のこと見て。そうしたら、きっと大丈夫だから」
言われたとおりに顔を上げてゆあを見る。
にっこりと笑ったゆあが、そっと唇を重ねてくる。
受け入れながらもぐっと歯を噛んで体の震えをどうにか止める。
ぴったり閉じた理緒の唇を、ゆあの舌が割って入ろうとしてくる。
「目、開けて」
言われて、自分が目をつぶっていたことに気が付いた。
こわごわと目を開くと、ゆあの目がまっすぐに理緒をとらえている。まるで籠にとらわれているかのように思えて、心臓が際限なく高鳴っていく。
「口、開けて」
催眠術にかかっているかのように、唇を開ける。
途端に入ってきたゆあの舌の感覚に、またぎゅっと目を閉じる。
ゆあの手が身体をはい回り、ゆあの背中に手を回してしがみつく。
(早く、早く……)
それだけを唱え続ける。一秒でも早く、これが終わってほしい。
すべてが大丈夫になって、こんな思いをせずに一緒にいられるようになりたい。
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