葉山理緒と九重美咲 18

「それで、美咲ちゃんをいつ誘うの?」

「あー……」


 適当にうめいて、一味を入れたうどんを混ぜる。

 大学の学食で、また香澄と食事を摂っている。対面で向かい合う香澄の瞳は強い好奇心に満ちていて、言葉を選ばずに言えば実にうっとうしい。

 美咲とのあれこれをやたらと聞きたがるので、ケーキバイキングに行ったことも全部話してしまっている。

 美咲とまた会いたいと、理緒の方からも口にした。とはいえ日付を指定したわけでもなく、何かするとすればどちらかが誘うということになるだろう。

 あれから一週間、連絡はとっていない。一週間連絡を取らないことなど普段なら誰が相手でも気にはしないのだが、美咲が相手だとどうしても気になってしまう。最近では、家でスマートフォンをなんとなく見つめていることが増えてしまった。

 こういう微妙な部分は話してはいないが、香澄はお見通しというような態度をとってくるのでやりにくい。


「乙女モードに入って自分から連絡できないんでしょ?」

「そんなんじゃ……あんたはデリカシーとかそういうの少しは持ちなよ」

「えー? デリカシーまみれなんだけどな」

「逆によくなさそうだね」


 適当に言い返して頭を掻く。

 香澄のこういうところは今に始まったことではないので、理緒としても慣れていると言えば慣れている。というか、図星を刺されてしまっているので言い返せないのだが。


「誘う、よ……でも、次はどこにしたらいいかな」

「喫茶店に、ケーキバイキングでしょ? 次は家でいいんじゃない?」

「は?」


 香澄のたわごとに訊き返すと、香澄は「ん?」と疑問した。


「家に呼んじゃえばいいでしょ」

「いや……家ってなんか……」

「大丈夫、ちゃんと掃除すれば人は入れられるよ」

「汚すのは主にあんたなんだよな」


 香澄が家に呑みに来るとすぐに部屋はめちゃくちゃになってしまう。それを放置しがちなのは認めるが、そもそも香澄が来なければ問題はないのだ。

 とはいえ、そういう問題でもない。


「家に呼ぶのは……なんか」

「アタシたちは呼ぶじゃん」

「それは違うでしょ」

「そうだね、でもそれは理緒にとってはでしょ?」

「あー、まあそうか……」


 思わず納得する。確かに、家に呼んだところで美咲の方はただ遊ぶだけだと思うだろう。


「理緒は変なことしないだろうし、問題ないじゃん」

「家に呼んで、何すればいいのか……」

「酒を飲むのがわかりあうには手っ取り早いんじゃないかな」

「未成年だっての」

「アタシたちは飲んでたじゃん」

「飲んでたけど……」


 それも事実なので言い返しにくい。頭を抱える心地で、とりあえず半眼で睨んでおく。

 香澄はおかしそうに声を上げて笑った。


「映画でも見たら? 最近面白いのあったから教えるよ」

「映画かぁ……」


 天井を仰いで考える。悪くはないプランに思えた。香澄のオススメというのが少し引っかかるが、さすがに変なものは寄越してはこないはずだ。多分。

 あとは美咲の好みに沿うかどうかだが。

 正直理緒だけではいい案を思いつきそうもないので、ここは乗っかっておくのが正解だろう。


「次のデートを不安に思っている理緒にスペシャルゲストを呼んでるよ」

「ゲスト?」


 不審に訊き返すと、香澄はびしっと理緒の背後を指さした。

 振り返ると、沙耶が「わぁ」と控えめに両手を開いていた。

 理緒は無感動な半眼を沙耶に向けた。


「なんで沙耶がここにいるの?」

「私いたらダメ?」

「そうじゃなくて、ここ大学だけど……」


 ここは大学の食堂で、沙耶はこの大学の生徒ではない。ただそれだけの道理で沙耶を見るのだが、沙耶はやや不安げに香澄を見つめるので理緒もその視線を追った。


「え、別に入っても大丈夫なんだよね」

「大丈夫大丈夫」

「……ちょっと不安になってきた」

「いや、香澄を信用した時点で沙耶が悪いんじゃ……」


 不安げな二人を前に、香澄はもぐもぐと食事を続けている。ふと立ったままの沙耶に気付いて、提案してきた。


「沙耶もなんか食べたらいいんじゃない?」

「えーと……私が行って普通に買えるの?」

「買えるよー」


 沙耶は一瞬だけ迷ったようだったが、まあいいやと受け入れたみたいだった。


「おすすめある?」

「牛丼!」

「牛丼……」


 沙耶はやや不思議そうに繰り返して、とてとてと歩いていく。

 その背中を見送って、香澄はイタズラっぽく笑う。


「サプライズってことで理緒には内緒にしてたんだ」

「あたしに内緒にする意味あった?」

「ないけど」


 あっさり言われ、返す言葉もなく列に並ぶ沙耶を眺める。誰も気にすることなく、沙耶は溶け込んでいるように見えた。学外の人間がわざわざ学食を食べることなど、誰も考えてはいないのだろうが。

 ちらりと自分の爪に目を落とす。薄い水色に塗られたそれは、沙耶に塗ってもらったものだ。香澄は桜色のネイルにしてもらっていた。


「沙耶はもう働いてるんだよね」

「アタシも働いてるよ」

「まあ、そうだけど……」


 面倒に思いながら相槌を打つ。


「連絡したら今日は休みだっていうから呼んでみたんだよね。一度大学を見てみたいって言ってたし」

「沙耶に会えたのは嬉しいよ。会う機会もちょっと減っちゃってたし」

「そうだねー。そのうち沙耶のお店でやってもらいたいんだけど」


 沙耶は入社したばかりということで、まだ研修中の立場で接客は行っていないそうだ。二人のこのネイルは、沙耶の家でしてもらってものだ。前々から沙耶の練習台としてやってもらっていて、それが今でも続いている形だ。

 研修も大変なようで、理緒としては誘わない方がいいかなと思っていたのだが。なにかと香澄が連れてきている。香澄がいうには「休みは思い切り休むのが良い」ということだ。それはそれでわかる話ではあるのだが。


「理緒もアタシの店来てよ」

「あー、そのうちね」

「来る気ないでしょ」

「……コンカフェだっけ。あたしが行っても浮かない?」

「女の人もよく来るし大丈夫だよ」

「ふうん」


 沙耶が戻ってきた。理緒の隣に座り「いただきます」と手を合わせる。


「あ、美味しい」


 ぱくぱくと食べる沙耶に「でしょー」と香澄が笑う。


「二人はいつも学食なの?」

「アタシはよく来るよ」

「あたしはたまにっていうか、香澄と一緒の時ぐらいかな。売店でパン買う方が多いよ」

「あ、売店も行ってみたい」


 食事を終えると、香澄は都合があるとのことであっさりと去っていった。

 残った理緒と沙耶で目を合わせて、どうしようかと首を傾げる。


「あー、売店行ってみる?」

「行きたい!」


 思った以上に乗り気の沙耶を連れて学食を出る。

 沙耶は全てを物珍しそうに眺めて歩いている。理緒は歩調を緩めて、楽しそうな沙耶を見やった。


「そんなに面白い?」

「専門とは違うなーって」

「大学ごとでも色々違うとは思うけど」

「そうかもしれないけど……雰囲気が全然違って面白いな」

「そんなものかな……」


 逆に理緒は専門学校には足を踏み入れたこともないので、頷くほかない。

 構内には当たり前に生徒がいて、集団で話したりしていて賑やかだ。理緒はもう丸二年以上通っているので当たり前の光景になっているが、沙耶からすれば新鮮なのだろう。


「売店楽しみだな」

「いや別に何の変哲もないもんだけど」


 頭を掻いてうめく。意気を挫きたいわけではないが、本当に楽しみにするようなものでもない。


「理緒ちゃん、例の子とはどういう感じなの?」


 急に訊かれて、足を止めかけた。


「沙耶まで、もう……」

「直接訊ける機会もそんなにないしね」

「あー……そうだ、家に呼んで映画見るのってどう?」

「その子を?」


 理緒が頷くと、沙耶は微妙そうに間を空けた。


「いいんじゃないかな」

「ほんとに? 香澄のアイデアなんだけど」

「そうなんだ。確認だけど、理緒ちゃんはその子と付き合いたいの?」

「…………」

「理緒ちゃん?」


 優しい声音だったが、理緒にとっては微妙な圧を感じた。沙耶にそんなつもりはないのだろうが。

 会いたいと言った。それは本音で、どういう意味合いが付与されたものなのかは後回しにしていた。けれど、ずっとそうしているわけにもいかないだろう。

 付き合いたい、ということは相手にそういう好意があることを認めることだ。

 考える。今までのそれと、美咲といる時、美咲のことを考えているときの感情を。

 嘆息して、結論を告げる。


「付き合いたい」

「……そっか」


 思い切り照れる理緒を、沙耶は優しい微笑みで迎えていた。

 癪に思い、全力で目を逸らす。


「理緒ちゃんがそう思える人がいるってのは、すごく良いことだと思う」

「今回は、少しは自分から動きたいって思うんだけど」

「どうして?」

「どうして?」


 繰り返して眉をよせる。そんなところを突っ込まれるとは思っていなかった。

 前に進みたいと、最近はずっと思っている。前に進むとは何をさすのか曖昧なまま、毎日は変わらずに過ぎていく。そのことへの焦りが、理緒を急き立てているのだが。


「少しは、マシな人間になりたい……のかな」

「そんな理由?」


 沙耶にきょとんと訊き返されて、言葉を詰まらせる。

 理緒がなおも言葉に迷っていると、沙耶はつぶやくように言った。


「理緒ちゃんは、もう少し欲張っていいのにって思うけどね」

「……欲がないわけじゃないよ」


 言い返すのだが、言葉が空気に溶けていくような虚しさがあった。

 沙耶はそれ以上続けず、香澄の勤め先の話題を持ち出した。どうやら沙耶は既に行っているらしかった。


「今度理緒ちゃんも一緒に行こうよ」

「沙耶が一緒なら……あ、売店あそこだね」

「ほんと!?」


 理緒が指さすと、沙耶は嬉しそうに声をはね上げた。

 やはり普通の売店だが、沙耶は早歩きで中に入っていく。

 苦笑して、理緒も後に続いた。

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