三話 好奇心は猫を知る

3-1 幼馴染は嫁気取り?

 昨日の夜に七海と遭遇した疲れで風呂に入ってすぐ寝たせいだろうか。スマホの目覚まし機能よりも早く起きてしまった。母さんがゴミを出しにいったようで、一階から玄関のドアが開く音が聞こえてきた。


 二度寝をしようと目を閉じた瞬間、ドタドタと階段を駆け上がる足音が近づいてくる。朝から恋色カプリチオのヒロインのように騒がしい音をたてる人間は、この家には一人もいない。ああ、そうか――これは夢だ。


 寝る前に恋色カプリチオを読んだから、それが夢の中に反映されたのだろう。状況を理解した俺は、目が覚めるまで少女漫画のような夢を楽しむことにした。


 なぜ一ノ瀬さんが「恋ガブ」と略したのかは、漫画を読んですぐに理解した。作中でのヒロインの奇行が原因だった。ヒロインは兄と喧嘩をすると兄に噛みつく癖がある。比喩ではなく直接噛みつくのだ。それはもう「カプ」ではなく「ガブ」という擬音が大きく書かれているほどの勢いで。


 読後にネットで調べてみると、掲示板ではヒロインの花風ちおは作中での奇行の多さとタイトルの狂想曲カプリチオを文字って「ガブリちお」と呼ばれていた。そのガブリちおの奇行のひとつが、怒っている時にする怪獣のように歩く騒がしい足音。そう、今まさに俺の部屋に近づいてくる音のように。


 夢の中の俺はヒロインの兄設定なのだろうか。夢なら痛みも感じないため実質ノーリスク。ガブガブされる体験は夢の中でしかできないから少しだけ期待してしまう。呑気にそんなことを考えていると部屋のドアが勢いよく開いた。


「すばるんっ! 聞きたいことがあるんだけど……って、あれ? まだ寝てるの?」


 どうして登場するのが七海なんだ。昨日、会ったばかりなのに夢の中にまでやってくるなんて。そういえば小学生の頃もこんな感じだったと懐かしさを感じるものの、高校生にもなって男の部屋にずけずけと入ってこられると怒りを通り越して呆れてしまう。仕方なく起きることにした。


「まさか一緒に登校しようとか言い出さないよな? 俺は朝練なんてないんだけど」

「あっ、それいいかも。せっかく同じ高校なんだから小学校の時みたいに登校しようよ。あっ、でも今日は朝練ないよ? あったら今頃、高校にいるもん……じゃなくて!」


 夢の中の七海は真剣な顔をしながら、手に持っていたものを俺の顔に押しつけてきた。硬質の板のような、ひんやりとした冷たいものが頬に当たる。この夢、やけにリアルだな。


「これについて聞きたいことがあるんだけどっ!」

「おい、当たってるんだが」

「当ててるのっ!」


 ラブコメの「当ててるの」発言は相手が合意しているという合法的な羨ましいラッキーシチュエーションだが俺の予想が正しければ、これは当たっても全く嬉しくない代物である。こんなのは速攻でキャンセルを要求する。二度寝してリテイクするから現実の俺、早く目を覚ませ。


 何度念じても夢が終わらない。それどころか押しつけられたものを頬から引き離すために七海の腕を掴むと、肌の感触までしっかりと感じる……って、いくらなんでもおかしいだろ。


「……これ、夢じゃないのか?」

「寝ぼけてないで早く答えてよ!」


 いくら七海が運動部でも男の俺に力比べで叶うはずもなく、押し当てられているものを強引に引き離し……引き離……おい、こいつの力やけに強いなっ。俺の力が弱いだけか。こんなことなら筋トレくらいしておけばよかった。


「見せたいなら電源くらい入れろ」

「あっ、ほんとだ。えっと、どれを押せばいいんだっけ?」


 やっと俺の顔に押し付けられていたものが離れた。やっぱりスマホだったか。いくら傍若無人な幼馴染でも、していいことと悪いことがある。


 スマホの画面を触る前に毎回手洗いなんてしないし家の外でも頻繁に使用する。どんな状況でも手で画面を触るものなのだから、雑菌の塊のようなものと言っても差し支えない。ネットで調べるとトイレの便座よりも数倍汚いと書かれているのも納得できるというもの。


 つまり、七海は俺の顔に便座を押し付けたも同然の行いをした。通話をする時はスマホを顔に当てても気にならないが……いや、最近スマホの通話機能を使った記憶がない。ああ、そうか。家族にはレインのメッセージで済ませるから通話する必要がなかった。


「うわぁっ、すばるん汁でベトベトになった~」

「汁って言うな!」


 七海がスマホの画面をスカートで拭っているところに思わずツッコミを入れる。それは七海の自業自得だ。男性の顔の油――皮脂量は女性の約二倍と言われている。ずぼらな俺でも毎朝顔を洗うようにしているが寝起き直後はどうしようもない。


 画面を拭き終えた七海がスマホの操作を始めるが、十秒、二十秒経っても一向にスマホの電源を入れずに「えっと、えーっと」と独り言を呟きながら、様々な方向からスマホを凝視している。仕方なく俺が電源ボタンを指差すと、ようやく電源を入れた。


「これっ! これってすばるんでしょ!」


 興奮気味に七海が見せてきたスマホの画面には、背後から盗撮したような構図の男女のツーショット写真が表示されていた。顔は写っていないが制服から猫乃瀬高校の学生であり、場所はニャオンということがわかる。持っているカップにはニャンマルクカフェのマーク。確実に昨日の俺と一ノ瀬さんを撮ったものだ。


「愛良とは仲良くしちゃダメなんだよ!」


 ……あいら、さま・・


 まあ、ただの言い間違いだろう。それよりも――


「仲良くするなって、どういう意味だ?」

「とにかくっ! ダメなものはダメなのっ!」

「全く意味がわからないんだが。もしかして、お前が俺の嫁だとでも言うのか?」

「そうそう。私がすばるんのお嫁さ……えっ? 私がすばるんのお嫁さんっ!? ななな、ないないっ! 私がすばるんのお嫁さんだなんてっ!」

「だよなー。うん、ないない。俺はビアンカかフローラなら、断然フローラ派だし」


 激しく同意すると七海にぶたれた。解せない。性格よしキャラ性能よし。その上、結婚すると通貨と装備が追加で手に入るんだから、効率を考えたらフローラを選ぶのは自然な流れだ。


「ねえ、すばるん。それは幼馴染にずっと独身で過ごせってこと?」

「エンディング後に主人公以外と結婚するかもしれないだろ」

「……最初はビアンカを選んだくせに」

「あれは初見だったから結婚後の利点を知らなかっただけで……というか、あの時は俺がトイレに行ってる隙にお前が勝手に選んだんだろ」

「お姫様と結婚なんて面倒なことが起きるに決まってるよ」

「それはほら、愛の力でなんとかするんだろ?」

「……ぷっ。すばるんが愛の力なんて。あはは、おかしすぎて爆笑しちゃう。あははっ!」

「自分でもらしくないこと言ったと思ったけど、笑われるとなんかムカつくからやめろ」




 ―――――――――――――――

 今回のゲームネタ【ビアンカとフローラ】


 ドラゴンなRPGの五作目に登場するヒロインたち。プレイヤーが主人公の結婚相手を選ぶことができて誰を選んでもクリア可能だが、特定のヒロインを選ぶと攻略途中でボーナスアイテムが貰える特典がある。移植版では結婚できる相手がもう一人追加された。


 ちなみに今回の昴と七海のように、この花嫁論争は荒れやすい。発売から数十年経った今でもファンの間で議論が続いていることで有名。

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