#3 知らない天井

「博!博!私がわかる!?」


僕を呼ぶ声が聞こえて目が覚めた。

目を開けると、そこには見慣れた中年女性の姿があった。


「母さん?」


目の前に居たのは遠い田舎に居るはずの母親だった。


暫く会っていない母親の顔が突然目の前に現れ、一瞬なんで?と驚いたが、

さっきまで感じていたあの恐怖から逃れられた、というこの現状に安堵したのか、

今度は別の疑問が頭に湧いてきた。


(あれ?ここ何処だ?また違う場所だ。)


ベッドに横たわりながら、灯りを煌々こうこうと照らす天井を見て思った。

そして、先程の恐怖が夢だったとわかって、改めてホッと胸を撫で下ろした。


まだ頭はぼんやりしていたが、僕はベッドから身を起こして辺りを見回した。

見慣れない部屋だ。けど白を基調とした部屋の装飾は清潔感がある。


部屋は6畳ほどの広さで、床はフローリング。

中央に清潔なシングルサイズのパイプベッド、頭側が壁に付くように設置されている。


家具は、ベッドの枕に並ぶように小さなサイドラックと小さな冷蔵庫。

それと窓際にあるソファ。窓に掛かるカーテンの隙間からは夜空が見えた。


極め付けは、ベッドの頭側の周りで僕に繋がれた機械と点滴、

そして自分が着ているこの真っ白な服。入院患者が着る、いわゆる患者衣だ。


(うん、ここは病院だな。僕は入院しているのか?

それにどうしてここに母さんが居るんだろう?まだ夢見てる?あれ?)


とりあえず、何故ここにいるのかという疑問は置いといて、

安全な場所だと確認出来た事に安心した僕の思考は、再び母親が居る事に疑問が戻った。


暫く無言で色々と考え込んでいたせいで、心配して母親が声をかけた。

急いで来たのか髪はボサボサで、着の身着のままという感じだ。化粧すらしていない。

なんだか疲れているようにも見える。


「何があったか覚えてる?」


そう言われて少し思い出そうとすると、

保健所でのあの恐怖を思い出してしまい、背筋がゾッとした。


(いやいや、違う違う。あれは夢だ)


僕は首を横に振りながら、とりあえず思い出したあのおぞましい夢は一旦置いといて、

他に思い出せる事が無いか再び頭を巡らせた。


しかし、いくら考えても自分が置かれた状況がイマイチ理解できず、

母親に「わかんない」と首を横に振って見せた。


母親の目は変わらず心配した様子で僕を見ていたかと思うと、

これまでの不安を吐き出すように息き切って話し始めた。


「あんた、終電の電車の中で座ったまま気を失っていて、

呼び掛けても反応無いからって駅員さんが救急車を呼んでくれたのよ!

お医者さんは過労だって言ってたけど、2日も目を覚まさないし、心臓だって一時止まって・・・」


そこまで話すと、母親は両手で口を押え泣き出さないようこらえていたが、

感情を抑えきれず「う、、う、、、」と声を漏らして泣き出してしまった。

僕の意識が戻って、緊張の糸が解れたのだろう。


(ごめん、母さん。それと、ありがとう。)


病院に呼ばれて遠い青森の田舎からわざわざ出て来てくれた母親に、

なんだか申し訳無い気持ちと、家族の有り難みを感じた。


そして、この大都会で頼る友達も無く、ずっと孤独を感じて居た僕に、

何処に居ても僕を思ってくれる家族が居る、独りじゃないよ、と再認識させてくれた。


僕はそんな母親の様子を見てつられて泣きそうになっていたが、


「そうだ、先生を呼んでくるわ。あんたは休んでなさい。」


と母親は思い出したように言って、顔を隠すようにして部屋から出て行った。


僕は泣きそうになっていたから母親に泣き顔を見せずに済んだ、と思ったが、

きっと母親も泣いた顔を見せたく無くて照れ隠しで出て行ったのだろう。


そして、5分ほど経って、医者と看護師を連れて戻って来た。

その頃には涙を拭いて、すっかりいつも通りの母親の顔になっていた。


医者は夜勤のために仮眠でもとっていたのか、

草臥くたびれた白衣に、寝起きのような眠そうな目をしていた。


「はい、ちょっと見せて下さいねー」


そう言った後、掛けていた眼鏡を正しながら心電図を見たり、

白衣の胸ポケットからペンライトを取り出して僕の目に当てて瞳孔の動きを見たり、

首から下げていた聴診器で心音を聞いたりした。


そして、一頻ひとしきり僕の状態を確認した後、


「もう大丈夫だね。念のため今日はそのまま入院して、明日には退院して良いよ。」


と言って、僕と母親と、一緒に来た看護師を残して部屋から出て行った。


残された看護師は、手に持っていたカルテを一旦サイドラックの上に置き、

自由になった両手で点滴の状態を調整した後、僕の左手を取って脈を測った。


「うん、特に問題無さそうですね。」


そう言いながら、左手でサイドラックからカルテを拾い上げ、

右手で左胸のポケットから取り出したペンで、測った数値を書き込んだ。


そして「お大事に」と言って医者の後を追うように部屋を出て行った。


2人を見送った後、母親は、医局から借りて来たであろう毛布をソファに敷きながら、


「今日は私も泊まって、明日の朝退院の手続きしてから帰るわ。

あんたは意識が戻ったばかりなんだから、早く休みなさい。」


と言って寝る準備を始めた。

母親にとっては、いくつになっても子供は子供なのだ。


そしてその夜は、十数年ぶりに母親と過ごす夜になった。


疲れからか、まだ体調が本調子でないからか、

それとも母親が側にいてくれている安心感からか、僕は直ぐに深い眠りに落ちた。

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