第39話 シャルルの事情 ⑯

とは言え…僕の方の試験など、姉さまの抱えている物よりはずっと容易い。

試験の内容も既に予期していたものだったからほぼ満点が取れるだろう。


いままでは姉さまの勉強の出来映えに合わせて、不自然にならずに答えをワザと間違える作業をしていたので、それに較べればストレスも無く答案は直ぐに書き終えてしまった。


試験終了までもう暫く時間がある。

僕は自分の制服のポケットに手を入れた。


そこには絹のハンカチが入っている。

この間姉さまが僕の名前を刺繍してくれたものだ。


そしてこの中には姉さまのストロベリーブロンドの髪がひと房包まれている。

僕は昨日メイド長から譲って貰った姉さまの髪を、姉さまがくれたハンカチに包んで持っているのだ。


メイド長への要件は別にあったのだが、彼女が姉さまの部屋を掃除した時に落ちていた髪の束を流石にゴミとしては捨てられず、大切に持って帰ってきたと聞いて分けて貰った。

(頼んだメイド長は何とも言えない微妙な顔をしていた)


ポケットからハンカチを取り出して、口元にそっと持っていき、僕は息を吸った。

――一瞬だけ姉さまの香りがした様な気がする。


(…僕は重症だな)

笑い事ではない筈だ。

それでも、今朝の事を思い出すと自分があまりに滑稽過ぎて、試験中だと云うのに…また笑えてくるのを我慢しなければならなかった。


『シスコン』の域はとうに踏み越えてしまっているのかもしれない。


今まで姉さまを捻じ伏せて勝ちに行けなかったのが何故なのか、自分でももう理由は分っている。


(大切に彼女を守り、大事に愛でていたい)


だ』


それを自分が認めてしまえば、ただただ救いの無い僕の変態性が強調されるだけなのだが。


(ああ…姉さまの髪の香りが嗅ぎたい)

今はそんな事を許される訳もないが、そう思いつつぼうっとしてる内に校内の試験終了の鐘が鳴った。


 ++++++


ランチを食べてから男子学生だけは校内に残り、午後からのダンスの試験の準備をする。


ダンス用のシャツとスラックスに履き替えダンス用のシューズを履いて、試験を受ける生徒皆が講堂に集まり、ハイネ先生のアシスタントの女性の一人を選んで、課題になっている曲を順番に三曲踊る。


講堂には小さなオーケストラが設置されて、曲が短く編集されているとは言え皆が踊り終わる迄にかなり時間が掛かる。


試験日に久しぶりに登校したビリー=フォレストは、休んでいた割になかなか上手に踊っていた。赤黒い鼻の骨折の痕は痛々しいが、ダンスの試験はなんとか受ける事が出来た様だ。


ドワイト=コリンズは僕の顔をちらりと見ると、直ぐに目線を反らせた。

勉強はコツコツやるタイプらしいが、ダンスは不得意らしい。

リズムやステップを少々間違えて、ハイネ先生の講評でその指摘を受けていた。


イーサン=レガートは試験に遅れて来た上に、何だか挙動不審で青ざめていて、明らかに様子がおかしかった。

どこか上の空で『ちゃんと私の合図を見てカウントを取って下さい』とアシスタントの女性に何度も注意をされていた。


明日は姉さまとのダンスの試験に出るというのに、女性アシスタントとハイネ先生に散々注意をされ、彼が姉さまと明日の試験に出るのが『おいおい、それで大丈夫か』と不安になる程だった。


僕はと言えば…まずまずだったと言える。


アシスタントの女性とハイネ先生両方に褒めて頂ける程度には踊れたらしい。

講評も『素晴らしいシャルル君!…よく頑張りましたね』と言って頂けた。


全ての生徒が踊り終わる迄にはやはり時間が経って、講堂の外はとっぷりと日が暮れた。

しかしイーサンだけは試験が終わっても僕の方をじっと見つめて、何か言いたそうにしていた。


 ++++++


帰り支度をしている時、またイーサンが僕に話しかけて来た。

「シャルル…なぁ、ちょっと話があるんだけれど」


僕は生徒達と先生の皆が講堂を出て行くのを横目で見ながら

「…話って何?」

とイーサンに尋ねた。


講堂の入口では何故かビリーとドワイトが、僕とイーサンが話す様子を佇んで見つめている。


「あのさ…明日のアリシアのダンスの試験のパートナーなんだけど」

「…姉さまの試験?」


イーサンは言いづらそうに下を向いていたが、暫くして僕へ言った。


「…うん、そう…とても残念なんだけど。『』と彼女に伝えてくれないか?」

「……分かった。姉さまにはそう言っておくよ」


僕はイーサンの言葉に頷いた。

僕にてっきり何か文句でも言われるだろうと身構えていたイーサンは、驚き勢い込んで僕に訊いた。


「…本当!?いいのかい?伝えてくれる?」

「うん、いいよ…ただし、その理由を聞かせてくれないか」


「え…理由を…?」

途端にイーサンはその肩を落とし、口が重たく開かなくなってしまった様だった。


僕は講堂の入口に居るビリーとドワイトの方をちらと見てから、イーサンへと尋ねた。

「…レオナルド=フィリプスから出るなとでも脅迫されたかい?」


「――えッ!?」

イーサンは『どうしてそれを知っているの?』といった驚きの口ぶりだった。


「君の昼休憩が、試験に遅刻する程長かっただろう?その後の君の様子は明らかにおかしな様子だったし…。だから『レオナルド=フィリプスから脅されたか何かをされたのかな』って思ったんだ」

「…ごめんよ、シャルル。実は…そうなんだ…」


「怖くなるのは仕方がないよ。実際ドワイトも同じ目に会って恐怖したって言っていたしね」

僕は俯いて半泣きになっているイーサンへと慰める様に声を掛けた。


 +++++


そうなのだ。

昨日ドワイトの家に行き、休んだ理由を彼から聞いて『やはりそうか』と確証を得たのだ。


ドワイトの場合、(彼もやはり徒歩組だった)二日前の夕方学園終わりの帰宅中に派手な馬車がドワイトの横に停められた。


そして馬車から降りてきたレオナルドに『のダンスの試験に出るな』と言われたらしい。


つまりレオナルド=フィリプスは、エリー嬢から聞いた『姉さまにデートを申し込んだ男子学生三人組』を片っ端から狙ったのだ。


勿論姉さまがエリー嬢の前で彼らに『になってくれるならいいわ』と言った為だ。


あの様子だと姉さまは、とダンスの練習をしているのかの情報をエリー嬢とその取り巻きに決して漏らさなかったと推察される。


姉さまのダンスの相手の男子が結局誰なのか分からなかったエリー嬢と兄・レオナルドは業を煮やし、まずビリーをいきなり襲ったに違いない。


けれどその襲撃内容は『ビリーの鼻の骨を折る』などのの結果になった。


ビリーは朝そのまま学園へ行き、先生に襲撃者とその馬車の特徴も説明したらしいから、学園からレオナルドの父に真っ先に連絡が言った可能性は高い。


だからビリー=フォレスト宅へとレオナルドの父親が直々に出て来たのだろう。

その結果次のドワイトへの脅しは口だけ(ドワイトに確認済みだ)で済んだのだった。


正直イーサンには『謝るのなら僕じゃなくて姉さまに』と言いたかった。


けれど元はと言えば、ダンスの相手を引き受けたが為に、レオナルドに脅される事になってしまったのだ。


軽い気持ちで了承したら訳も分からず大変な災難に会ってしまった彼らこそ、気の毒だとも言える。


元凶は、エリー嬢とその兄レオナルド・そしてそのやり方を放置してきたフィリプス家当主にあるのだが――取り敢えず、それはさて置き。


 ++++++


僕がイーサンに頼まれた『伝言』を、帰宅してから姉さまに話したと思うかい?


正解は『ノー』だ。


僕は姉さまにイーサンの伝言を…いや、伝えた。


けれどイーサンにはとは頼まれていない。


僕のやり方――ヘイストン家のやり方は対象に直接手を出す事が出来ないのなら、その周りから徹底的に潰していき、最終的に対象を社会的若しくは心理的に折る。


僕は『勝つ』。


先に仕掛けて来たのは姉さまだ。

またこれからのヘイストンの当主争いが掛かっているのであれば尚更である。


どんな手を使っても勝利する。

例え僕の足元に姉さまを捻じ伏せる事になったとしても。

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