リュドミュラのワナ
宿場町の飲み屋のすぐ近くにボレロのアパートはあった。カルムが中に入る。
「おじゃまします」
ボレロが閑散とした部屋を見回す。
「まあこれといった荷物もなし、質素なもんさ。世捨て人にはお似合いの部屋だろう。ウォンティアを覚えるとな、全てがどうでもよくなる。飯も酒もタバコも出せる。働く意欲なんか当然なくなり、人間が駄目になっていく。この状態を『生き疲れ』と言うんだそうだ。廃人だよ、有り体に言えば。ウォンティア!」
ウイスキーの瓶が表れる。
それを一口飲むと瓶をカルムに渡す。カルムはごくりと飲んでみる。胃が焼けそうなのに驚き、オレンジジュースを出しごくごくと飲み、一息をつく。
「じゃあ、兄者はもう何もいらないというのか。富も名誉も」
「はっはは。そんな人間とは根本的に人種が違うんだよ。そう、リーガルのような奴とはな」
「…………」
「ウォンティア!」
ボレロがグラスを二つ出す。二人はソファーに座ると改めて乾杯をする。
カルムが上目遣いに探りを入れる。
「兄者の本当に欲しいものを当ててみせようか」
ボレロが若干心を動かす。
「女だ。それもとびきりの」
ボレロが手をふりながら否定する。
「女なんか足りてるよ。飲み屋街にいけば腐るほどいる。偽のダイヤでも渡せば一晩中付き合ってくれる……」
「いや、それで心の底から満足したことはない。違うか」
ボレロはうなっている。
「 娼婦なんて顔も体もだいたい十把一絡げで、しかも三十より上の女ばかりだ。本当はとびきりの、しかも若い女を抱いて心の底から満足してみたい。これが本音だろう?」
ボレロが狼狽する。
「仮にそうだとして、どうすると言うんだ?人間を出す魔法なんてないぞ」
カルムがニヤリとしてウイスキーを口に含む。
「あるんだよ、それが。もう禁じられた太古の昔の魔法だ。お師匠様の家の古文書をあさっていると偶然見つけたのさ。しかしこの魔法はとてつもない魔力を必要とする。つまり」
「悪魔が乗り移ってなければ駄目……というわけか……」
カルムがたたみかける。
「このまま一生どうでもいい女を相手に虚しい夜を過ごすか、これからずっととびきりの女を抱いて一生を終えるか……決断の時だ」
ボレロは手のひらをカルムの前に出す。
「二、三日考えさせてくれ」
ボレロはそう言うと頭を抱えた。
カルムが立ち上がる。
「待ってるぜ。兄者」
カルムは魔方陣で消えてしまった。
残されたボレロ。氷をカランと傾ける。真剣に考え始めた。
(権力欲も、金銭欲も、結局はいい女を抱きたい。これにいきつく。それがかなうかもしれない、おそらく最後のチャンスだ……どうする?)
シャワー室に入った。惑いながら。
サキヤは難民キャンプに戻ってきた。母とミールと合流する。
母が言う。
「サキヤ、私とミールはクッキー屋を開こうと思ってるんだよ」
「クッキー屋?なんだよいきなり突然に」
「明日からクレイルの町に行って店舗兼住宅の物件をミールと一緒に探して回るつもりさ。クッキー作りには自信があるからね。繁盛すると思うよ」
サキヤが心配そうに言う。
「クッキー屋なんて。まあ母ちゃんのクッキーは確かに旨いけど……採算とれる見込みはあるの?」
「なかったら言わないよ」
「私もお母様にクッキー作りを習ったのよ。きっとうまくいくわ」
サキヤは二人の意気込みを見て、好きなようにさせようと思った。
「いいんじゃない。少なくとも宅地つきなら。それで寒さとおさらばだし。応援するよ。ところで開店資金はどうするの?」
「銀行をあたってみるよ」
母はこともなげに言う。
「借金で始めるのか。やめといた方がいいと思うけどな」
「大丈夫だよ。母ちゃんに任せといて!三種類のクッキーを焼くんだよ。プレーンでしょ、チョコチップでしょ。それにサキヤの好きなベーコンサンド」
サキヤは二人が盛り上がっているのを見て、しょうがないかと思う。こんな難民キャンプで不安な日々を送るより、何か目標を持ったほうがいいと思ったからだ。
「じゃあ俺は疲れたんで寝るよ。おやすみ」
「毛布返すよ。寒いでしょ」
「ああ、ありがとう」
サキヤは眠る。うまくいくように祈りながら。
翌日、三人は銀行回りに出た。最初の二行は断られたが、三行目が食いついた。
「うーん、パン屋はたくさんあるが、クッキー専門店なんて聞いたこともない。当たるかもしれませんね。目論見書もしっかりしてるし、州兵さんが保証人についてるし、いいでしょう、百万ガネル貸しましょう!」
「やったぁ!」
手を取り合って喜びあう母とミール。
こうしてクッキー屋の開店準備がスタートした。
ボートランド城の前の道にズラリとテントが並んでいる。ドーネリア軍の本隊である。その前に広がる町の路地裏に、オーキメント軍の兵士たちが続々と集結してくる。
ゲリラ戦を仕掛けるためだ。緊張感が、一気に高まる。
横からバーム率いるラミル流の魔導師軍団が待機している。
「ウォンティア!」
バームは大砲を現出させると、砲撃を開始する。他の魔導師もそれに続く。
朝まだ早いうちから兵士が寝ているテントが爆破されていく。当然ドーネリア軍は騒然となる。そこへ剣を抜いた軍団がせまる!
「押せ、押せー!」
ジャン率いる一団がドーネリアの兵士たちを斬りふせていく。オーキメントが仕掛けるゲリラ戦になすすべもなく崩れていくドーネリア軍。かなりの兵を削ったところでジャンが手を回す。
「退け、退けー!」
忽然と消えるゲリラたち。それを聞いたリュドミュラが激怒する。
「何だってー!卑怯なまねしやがって。お前は指揮をしていた男を見たんだね」
「は!しかとこの目で」
リュドミュラがその男の頭に手をかざす。
「アウディーレ!」
リュドミュラの脳裏にジャンの顔が刻みつけられた。
水晶を出し、呪文を唱える。
「クウァエレ メル……」
リュドミュラが集中し顔を思い出す。
水晶にはビリー大佐の家に集まっている将校らの姿が……
「いた!アウディーレ!」
ジャンから様々な情報を抜き取っていくリュドミュラ。その中に面白い記憶が……
「金の盾!こいつは金の盾に関係している!」
さらに記憶を深く辿ると、サキヤの顔が……
「こいつが金の盾の持ち主かい。まだガキじゃないか。名前はサキヤ・クロード。少尉。あの怪物と戦った?とにかく面白い見っけもんだよ。こいつを誘い出す方法は……」
コツコツと机を叩くリュドミュラ。そしてニヤリ。
「これでいってみようか」
サキヤのテントにジャンとバームがやってきた。サキヤはピリアに唐辛子をやっている最中だった。
「サキヤ、剣とその金の盾を持ってついてきてくれ」
「分かった」
サキヤは軍服に袖を通すと、ジャンとバームのあとを追う。
難民キャンプを離れた所で、ジャンが振り返える。
「サキヤ、これから大将首を取りにいくぞ」
「よし!」
敵はもう眠っている。城下町の路地裏に着いた。ジャンが城の様子をうかがっている。
三人は門から中に入る。しかし衛兵もいない、おかしな雰囲気を感じとるサキヤ。
その時!
「シレンティウム!」
サキヤは動けなくなった。
ジャンとバームは全くの別人に変化し、こちらを見てへらへら笑っている。
(やはりワナだったか……)
リュドミュラが二階からすーっと降りてきて、顔を近づける。
「あんたにはいろいろ聞きたい事があるんだよ。おい。連れていきな!」
「はは!」
サキヤは四人の兵士に担がれ、城の中へ引きずり込まれていった。
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