異世界から帰れない

菜花

第1話 突然の異世界召喚

 滝田沙世(たきださよ)はごく普通の15の少女だった。

 それは、異世界召喚されてからも変わらない。


 沙世が通っている塾が終わってすっかり暗くなった帰り道。ひと気のない道で自転車をこいでいたら、前から凄い速さで近づいてくる人影があった。


 何あれ、ジョギングなのか知らないけど、真っ黒な服で道の真ん中を猛スピードとか危ないなあ。念のためスピード落として、と。日が落ちると白い服でもなかなか視認できないんだから暗くなって走るなら反射タスキとかつけてほしいよ。

 そう沙世が憤慨したのは僅かな間だけだった。


 近づいてきた人影は、明らかに人間ではなかったのだ。異常なほど黒く、顔ものっぺらぼうだった。

 悲鳴をあげる暇もなかった。

 人影が横を通った瞬間、まるで磁石に引きつけられるように自転車が人影に吸い寄せられ、転倒したかと思ったらそのまま地面に飲み込まれた。



 そして目覚めたら、異世界の森の中だった。壊れた自転車つきで。

 明らかに地球ではない環境の中にいたので、沙世はこの手のラノベを読んでいたのもあってすぐ理解した。理解したが心が追いつかない。

 私、どうやって生きていけばいいんだろう……?

 心臓がどんどん嫌な音を立てていく中で、うろ覚えで異世界召喚されたキャラが言っていた台詞を試してみる。

「ステータス、オープン」

 運が良かったのか、それが通用する異世界だった。


『称号:異世界からの来訪者

 経歴:次元を彷徨う怪人に遭遇してこの世界に来た少女

 魔力:∞

 スキル:限界突破。任意の相手の能力を底上げする』


 ゲームの世界みたいだなと沙世は思った。それにしても魔力が無限大って……。

 試しに土を触って「何か食べられるもの、生えてこい」 と唱えるとあっという間に植物が成長して、ザクロのようなものがたわわに実った。しかも美味しい。

 とりあえず小腹を満たすと、日が暮れ始めていたのに気づき、今度は近くの木に「ツリーハウスになれ」 と唱える。あっという間に一軒家が建った。嘘、私の魔力凄すぎ……?

 こんなに何でも出来るなら帰れるんじゃないかと「異世界転移!」 と叫んでみるが、辺りはシーンと静まりかえったままだった。急に恥ずかしくなってそそくさと家の中に入る。


 沙世は家のベッドに横になる。そうしていると未来の猫型ロボットの映画を思い出してしまった。子供だけでの秘密の大冒険。未来の道具で夢みたいな宿泊施設。幼い時に憧れていたことを実際に体験したのだと思うと少しテンションが上がった。でもそれはすぐ下がった。

 ご飯も食べるものも何とかなったはいいけど、明日から着る物はどうするの、そもそもここはどこなの。他人の土地だったら勝手に家を建てるのは犯罪だったかも。それにもし、もし帰れなくてここで生きていくしかなくなったら、戸籍もないのに、働いた経験もないのに、どうやってお金を稼げばいいの。というか、この世界にも人はいるんだろうか? 万が一人類がいない惑星にでも来てたなら気が狂うかも。

 結局沙世は眠れぬ夜を過ごした。


 翌朝、沙世は早速行動を開始する。

 お風呂に入れないのは痛かったけど、家の中で簡易のシャワーミストを浴びて何とかした。制服姿だと目立つかも、と簡単なマントを作って上に羽織る。ちょっと冒険者みたいだ。

「ステータスオープン。鑑定! この方向の先にあるもの!」


 東西南北を鑑定すると、北のほうに街があるのが分かった。少なくとも人類のいる世界ではあるらしい。ともかくそこへ向かうとした。

 ふと、自転車とツリーハウスはどうしようかと思ったが、異世界人であると知られて不都合がないとも限らないので、両方魔法で砂に還した。



 思いのほか街は賑わっていた。しかも魔力の影響なのか道行く人の会話が理解できる。


「昨晩さ、怪人の乗り物が大量に空を走っただろう?」

「ああ、怪人はあれに乗って次元移動するんだよな」

「流れ星って本当に不吉だよな。犬の糞くらい見たくねえや」


 元の世界では消えるまでに願い事をすれば叶う……なんて話もあるくらいロマンチックな現象だったのに、世界が変われば価値観もこんなに違うのかと沙世は驚く。


「っていうことはさ、また異世界人が来たのかね?」

「過去には病気ばらまいたやつもいるんだよな。不幸な事故で来る訳だから責めるつもりはないが、それでも悪影響がなければいいんだが」


 ……予防接種はこまめにしてるし、風邪も子供の頃に引いたっきりの健康優良児だもの、大丈夫!

 沙世はそう自分を納得させ、異世界人であることは聞かれない限り黙っていることにした。先程の会話を見る限り決して歓迎される存在ではないのは明白だからだ。



 適当に街を歩きながら情報収集をした結果、ここは冒険者の街でこの国一番の賑わいを見せているそうだ。魔獣だのドラゴンだのがこの世界には普通にいるからギルドによく討伐依頼が出ているとか。昨晩は魔獣がいるとも知らずに呑気に過ごしたけれど、あれは運が良かったのだろうかと沙世はぞっとした。


 さてこれからどうするか。

 一番は元の世界に戻ることだ。なら戻るためにはどうするか。

 それが分からない。まだまだ必要な情報が足りない。どうしたものか。街をあてどなく彷徨っていると、荒くれ者たちの多い街には似つかわしくない立派な図書館を発見した。沙世はツキに恵まれているのかもしれない。

 早速利用しようとして守衛に止められる。

「一時間1000リーベです」

 元の世界とは違ってタダではないのだ。沙世は愕然とした。

 お金なんて持ってない。持ちたいなら稼ぐしかない。やむなく沙世はギルドに登録することにした。



 沙世のコミュ力は人並みだ。だが流石に15歳の身でたった一人、異世界の冒険者ギルドに登録なんて足が震える。保護者もいないし、不審に思われたらどうしよう。それでも帰るためには何もしない訳にはいかない。


「あ、あの、登録をしたいんですけれど……」

「はい分かりました。ではこの紙にお名前と得意属性、今のランクを書いてくださいね」

「それだけ……ですか? 身分証とかの提出は?」

 受付嬢の対応は慣れたもので、ささっと登録用紙を渡してきた。まるで家庭科で使う裁縫道具を注文する時みたいな気軽さだった。

「あら、お嬢さんったら訳有りですか? でも大丈夫。そういう人達をも受け入れてきたからこそ、この街の発展があるんですよ」

 さすが発展する街。懐が深い。

 沙世はささっと書いて登録した。所要時間三分だった。

 


 ランクも何も、沙世は昨日異世界に来たばかりなので最低ランクからの始まりになった。

 が、魔力無限大の設定は伊達ではない。

 日に何度も任務をこなした。他のパーティーは一つの任務に数日かかるのが平均だという。

 正確かつ強力な魔法でドラゴンも瞬殺だった。他のパーティーの様子を見る限り、この世界の魔法というのは些細なミスで明後日の方向に火炎が飛んでいったり、マッチ程度の火を相手の目の前に出して猫騙しみたいな使い方をしたりが一般的らしい。明らかに自分が規格外だけど、強制的に異世界召喚させられた身分だ、これくらいの特典があったっていいだろうと沙世は思う。


 誇張抜きでこの世界で一番強いかもしれない、と沙世は思ったが、異世界来て数日ともなるとだからどうしたくらいの気持ちになってしまう。

 結局根無し草なのだ。

 ギルドに登録して初めてお金を稼いだ日、頑張った自分にご褒美みたいな感じで朝食付きの宿に泊まった。

 その夜、寝て一時間で部屋の扉をドンドンと叩かれた。

 ぎょっとして飛び起きると、どうも酔っ払いの冒険者達が女一人と見てナンパに来たらしかった。

「なんだなんだ! いっちょまえに鍵なんかかけやがって。お嬢ちゃーん、俺達と一緒に遊ぼうぜー! 夜はこれからなんだからさー!」

「俺らが楽しいこと教えてやるよー! ギャハハ!!」


 沙世は恐怖に震えながらも身を守るために唱えた。

「鍵強化! 結界! 防音!」

 今にも破られそうだった鍵は鉄製の鍵に変わり、万が一突破されても見えない壁が沙世を守る。そして男達の声が聞こえないように防音の魔法も使った。

 それでも入口を見れば鍵がガチャガチャといつまでも震えていた。

 魔獣よりもっと身近な身の危険。沙世はその時初めて異世界に来て泣いた。



 荒くれ者達の街で安宿は駄目だと沙世は理解した。だが移動に手間のかかる森に戻る訳にもいかない。やむなく宿のグレードをあげる。そうすると出費が増える。

 早く、早く元の世界に帰りたい。チートになってもこの世界は無理。


 睡眠不足がたたったのだろうか。沙世はある任務の帰りに熱を出してベッドの主になった。

 うう、宿に泊まるのだってタダじゃないのに……。


 ゴホゴホと咳をしながらも一人の部屋。元の世界だったら、お母さんが果物のシロップを買ってきてくれて、あーんで食べさせてくれたっけ。あとお父さんが会社帰りなのに冷却シートとかスポーツドリンクとか、こんなにいらないよってくらい買ってきてくれて……。

 沙世の枕が涙で濡れた。

 弱っていることもあって猛烈に人恋しくなる。そこでふと思い至った。

 そういえば、限界突破ってスキル、使ったことないけど何だろう……?



 沙世の持つスキル、限界突破。

 叶うなら女の子に使いたかった。

 だが冒険者の街はそもそも女性が非常に少ない。いたとしても男メインパーティーに一人くらい割合だ。それでもそういう人を狙っていけばいいのだろうが、沙世は母の言葉が頭をよぎる。

「同性の紹介だからって安易に乗っては駄目!」

 母は昔、大学で乱交クラブに誘われそうになったことがあるのだという。驚くことに誘ってきたのは手下になっていた女性だった。女性が金を貰って田舎の純朴な女性を騙して男達のもとへ連れて行く。連れていかれた女性は……。

 その話を聞いてから、出来れば女の子しかいないパーティーに会いたかったが、ギルドの待合所でいくら探してもどうしても見つからない。

 うろうろしていると、男達が普段の活躍を聞いてニヤニヤしながら近寄ってくるのが鬱陶しくて、途中からフードを被って探し始めた。

 視界も悪いのにそれでも見つからない。こうしている間にも任務を何個受けられただろう。

 どうしたものか。身体の調子も戻ったし、やっぱり仲間なんてやめて一人で頑張るか……。

 そう思っていると、近くで修羅場が展開された。


「リオネル、お前みたいなパーティーのお荷物とはこれ以上一緒にいられない。今すぐ出て行ってくれ」

「そんな! お荷物って言うが誰がパーティーが活動しやすいように、武器防具の補充やら管理やら宿の手配やら任務の受諾やらをしていると思ってるんだ!?」

「恩着せがましいやつだな。そんなのお前じゃなくても出来るし、俺達は冒険者なのに戦闘能力じゃなくて雑務が得意って履き違えるなよ。文句があるならまともに戦闘で役に立ってから言え」

「……そうか。分かった。今すぐ出て行くよ」


 リオネルって人、ちょっと可哀想。それが会話を聞いた沙世の感想だった。

 そしてリオネルの得意要素はまさに沙世が必要としていることだった。

 この世界の戦闘なんて沙世一人でどうとでもなるし、必要なのは同じくらい戦える人じゃなくてサポートが得意な人だ。彼が得意らしいことを全部任せられればどれほど楽になるだろう。


 待合所を出たリオネルを沙世が追う。


「待ってください!」

「え?」


 リオネルが振り向いて沙世はぎょっとした。フードを被っていたから気づかなかったが、リオネルはかなりの美形だった。十代後半か、年がいってても二十代前半くらい。銀髪で赤い目は作り物めいていてどこかの精霊のようだ。もしかして嫉妬で追い出されたんじゃないかと思ってしまうほど。


「あの、俺に何か?」

「あ、えーと、私、沙世っていうんですけど」

 言いながらフードを取る。今度はリオネルがぎょっとした。

「その容姿で名前が沙世って……戦場の流星がなぜ俺に!?」

「え、何ですかそれ」

「ご存知ないのですか? 皆そう噂していますよ。戦場で流星のように現れてあっという間に去っていくのだと。安直なネーミングですけどね」


 知らない間に二つ名がついていたらしい。沙世の中二心が疼かなくもない。だがそれよりも今はスカウトだ。


「えーとリオネルさん、ですよね?」

「はい」

「私実はサポートしてくれる人が必要で……リオネルさんさえよければ私のマネージャーになってくれませんか?」

「それは……願ってもない話ですけど、俺は戦闘が壊滅的ですよ?」

「そんなの問題じゃないです。サポート能力こそ私が必要なものなんです。だからお願いします」

 沙世は必死で頭を下げる。高慢な他の冒険者と違って追い出されたリオネルは、この世界のはぐれ者の沙世に親近感を抱かせた。こういう境遇の人は滅多に見つかるものではない。

「戦場の流星に頭を下げられるなんて……参ったな。断れませんよ」

「じゃあ、いいんですね!?」

「はい。では……これからよろしく」

 そう言ってリオネルは手を差し出した。

 一瞬何だろうと思ったが、この世界では仲良くなろうとする人間とは握手を交わす風習があるのを思い出した。慌てて自分も手を差し出す。

 ぎゅ、と強く握ったところで、ふと沙世は思った。


 そういえば限界突破ってどういう条件下で発動するんだろ? 今の状況ではどうなのかな? いつもみたいに唱えれば勝手に発動するとか。

 興味があり、何より今まで魔法を使って失敗したことなどなかった。なのでさして考えもなく、目の前のリオネルに何か説明する訳でもなく「限界突破」 と口にした。


 リオネルは突然自分の身体全身が脈打つのを感じた。

 なんだこれは? なにか、自分の中から力が湧きあがるような……。


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