第11話 蛇と蛙
夏休みの課題を進めていると、来客を知らせるチャイムが鳴った。どうも知り合いだったようで、扉を開けたお母さんがお客さんと楽しそうに話している。そして、しばらく話し込んだかと思うと、私の部屋に向かって「姿穂、タツくんよ」と声を張り上げた。思いがけない訪問に、シャーペンを握る手が汗ばんだ。
お母さんに呼ばれて玄関に向かう。タツとはあれ以来距離を置いていたので、どんな顔をして会えばわからない。それはタツも同じだった。私の顔を見たタツが、気まずそうにしている。なにも知らないお母さんだけが、楽しそうに「上がっていきなさいよ、夕飯これから作るから」と笑っている。
「いえ……大丈夫です。ありがとうございます」
「遠慮しなくてもいいのに」
「昔はよく食べに来てたじゃない」こういうとき、母親という生き物は強引だ。断ってもなぜか引き下がらない。
「……ちょっと散歩してくる。夕飯までには戻ってくるよ」
このままでは埒があかないので、急いで部屋に戻り、財布とスマホをポーチに詰める。そして、タツと一緒に玄関を飛び出した。タツが、驚きながらも私たちを見送るお母さんに軽く頭を下げる。お母さんは、にこにこと手を振っていた。
少し走ったあと、だんだんと歩幅が小さくなり、ふたりして立ち止まった。行く当てを決めていなかった私たちは、ゆっくり顔を見合わせた。
「……姿穂は、どこへ行きたい」
「川に行こう。……昔、よく魚を観察した川」
私の提案にタツは小さくうなづくと、夕暮れの畦道を進み始めた。私たちが住む町は、娯楽施設の少ない平坦な場所だ。昔よりは建物も増えたけれど、それでも自然の方が多かった。
「……この間は、悪かった」タツの低い声が降り注ぐ。
「姿穂がそんなことを思うわけがないと、わかっていたのに……気が動転していた」
「いいよ。……気にしてないって言ったら、うそになるけど」
「あのとき、なにがあったの?」私の問いに、タツはぽつりぽつりと話し始めた。
「姿穂が来る少し前に、圭が来てたんだ。具体的に、なんの用があったのかはわからない。ただ、うちで世話している蛙と蛇を見つけると、『僕と重ねてたんだ?』と聞いてきた。『竜“巳”が蛇で、“圭”が蛙。それじゃあ、そのうち食べられちゃうね? あいつらのうわさみたいに』と。圭はよく、女子の機嫌を取っていた。頼まれれば喜んで被写体になる。そのとき、俺もとなりに立たされることが多かった。めんどうではあったが、別に、それ自体はどうでもよかった。圭が楽しいならそれでいいと思っていた。ただ、実際はちがった。女子の機嫌を取っていながら、圭は周りからそういう目で見られるのを嫌がっていた。『利用されてるって気がついてるくせに、そうやって黙ってるの、気持ち悪い』……そう言われた」
タツが一呼吸ついた。それから少し間を置いて、再び話し始める。
「圭は蛙をケースから取り出すと、窓から放り投げた。それから蛇の方に手を突っ込んで、俺が止めるよりも早く、噛まれることも気にせずそれを捕まえると、蛙が入っていたケースに押し込んだ。『これじゃ、蛙が食べられちゃったみたいだね』……そう言う圭は震える下唇を噛んでいた。それから、『気持ち悪い、気持ち悪い』くり返し、そう言っていた。『人のことで遊ぶあいつらが気持ち悪い、平気な顔して過ごすお前らが気持ち悪い!』……散々さわいだら、気が済んだのか圭は生物室を出て行った。そのあと、姿穂が来て、俺は……」
そこまで言うと、タツは黙ってしまった。小形くんの言った『お前ら』は、私も含まれているのだろうか。帰り際にかけられた言葉を思い出す。
『やっぱり、倉益さんってなに考えてるのかわかんない』
「でも、蛙が生きてるってわかってよかったよ。タツがやったんじゃないかと思って……そんなこと、あるはずないのに」
「……去年、三好にやめておけと言われた」
「三好さん?」突然出てきた名前に驚く。
「『小形はやめとけ、あいつはトラブルメーカーだ』と。『お前が痛い目に遭うぞ』とも言われた。中学生のとき、人間関係で大きいトラブルがあったらしい。だから、地元から離れた高校を選んだ……まさかお互い、同じ高校を選んでいたとは思ってなかったろうな」
「……タツ、今でも小形くんのことが好き?」
「友だちでいたい、とは思う」
そんな話をしているうちに、目的の川に着いた。日が暮れて、魚が泳ぐ姿ははっきり見えない。しゃがんで水面をのぞき込むと、あのときより大人びた私たちの顔が映っていた。
「あいつは人との距離感をうまくつかめない。興味を引くためならなんでもやるが、そのせいでストレスを溜めやすい。それから、思い通りに動かない人間をつまらないと感じる。……そんなにも無理をしなくてもいいと言ったら、またどやされそうだな」
「タツは優しいね。私はいいと思う。自分の気持ちを相手に押し付けなければ……思うだけなら勝手だから」
「……ありがとう」
タツが小形くんを好きになった理由が、少しわかった気がした。あの人は不器用で、危うい人なんだ。タツの好意を知っていて利用したのも、過度にファンサービスをしていたのも、そうしないと自分の居場所を確保できないから。しかし、あちらを立てればこちらが立たず。女子の前では嫌な役を演じ続けるはめになり、男子からは嫌われた。生物室で『気持ち悪い』と吐き捨てたのは、タツ以外に本音を言える人がいなかったからだろうか。三好さんに告白したのは、同じ中学出身で、同じく人間関係のトラブルで地元を離れることになった仲だからだろうか。
小形くんとは3ヶ月一緒に図書委員をしていたけれど、私はなにも気づけなかった。タツはいつから彼の芝居に気がついて、いつから彼を好きになったのだろう。三好さんに言われる前からわかっていたのだろうか。私は、水面に映るタツを見つめた。
「また、イベリスの苗を植えるか」
タツの言葉に、私は首を横に振った。
「ちがう花にしよう。……タツは、なにがいいと思う?」
一年草のイベリスは、秋になればその花を散らす。いつまでもきれいな姿のままでいることはできない。
だからこそ、イベリスはきれいなのだ。
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