26.結婚生活シミュレーション ♡ クウルス編① → 愛妻料理
『というわけで始まりましたわ! 魔王様との〝ドキドキ♥〟疑似新婚生活、ですわ~!』
聖女が両手を広げながら言った。
『ちょっと! なによこの
勇者が突っ込んだ。
『あらあら。見張りの意味でもこういった形は必要ですわ。密室でふたりきりにさせてはナニが起こるか分かりませんもの』
場所は
ベッドやキッチンなども備えついており、十分に生活可能な空間だ。
その部屋の壁側に【
『うー……なんだか
『あら、あらあら? イケナイコトとはどのようなことを指すのでしょうか?』
『いっ、いけないことは……いけないことよ! 変な所を突っ込んでこないでちょうだい!』
勇者は手をぱたつかせてから、気を取り直すように言った。
『ほら、早速始まるみたい! クウルスと魔王……一体どんな結婚生活になるのかしら――』
勇者と聖女はモニター越しに部屋の様子を食い入るように見つめた。
「ふん――ふふん――」
淫魔が鼻歌を歌いながらキッチンに向かっている。
なにやら料理をしているようだ。
エプロンと三角巾を律儀に着用し、黒髪をまとめあげている。
『まさに旦那の帰りを待つお嫁さんみたいね』
と勇者が実況していると――
がちゃり。扉が開いた。
「あ――おかえりなさい、魔王さま」
淫魔が料理を止めて、扉から入ってきた魔王に近寄っていく。
「ぬ、ただい――」
ただいまを言おうとしたところを。
淫魔は駆け寄った勢いのまま抱きついて、その口をふさいだ。
『わー! さっそくキスしてるー……!』
勇者が画面越しに目を見開いた。
「いまのは――おかえりなさいの、キス」
淫魔は唇を話し、手を背中に回しながらもじもじと言った。
「ぬ……そうか」
しかし魔王は相変わらず。
とくだん焦ったような素振りはない。
『ま、ある意味ここまでは見慣れた光景ね……』と勇者が言った。『キスが見慣れてるっていうのもなんだか変な話だけど』
だんだん麻痺してきた恋愛感覚に戸惑いを感じつつも、勇者は様子を見守る。
「魔王さま――ううん、
淫魔は恥ずかしそうに
「ごはん? おふろ? それとも――私?」
などと。
魔王はやはり淡々と言うのだった。
「ふむ。そうだな――飯にしよう」
「……わかった」
淫魔は頬を微かに膨らませて悔しそうにしたあと、魔王のことを食卓へと誘導する。
「こっち、きて。すわって」
促されるままに魔王は着席した。
「ちょっと、まってて」
そう言って淫魔はキッチンから鍋を運んでくる。
大きな蓋がかたかたと揺れ、隙間からは蒸気が漏れていた。
「きょうは私、ごはん――いっしょうけんめい、つくった」
淫魔は鍋を机にゆっくりと置いた。
ハートマークで飾られた鍋つかみを使って、位置を調整する。
『へえ、クウルスが作ったんだ。そういえばあたしたちって外食ばっかで、だれかの手料理って食べたことないかも』と実況中の勇者が言った、
『言われてみれば……してやられましたわね』
『え?』
『殿方を虜にするには〝胃袋を掴め〟と申しますわ。それに……モエネは知っております。クウルスさんが昨夜、まさしく夜なべで料理の仕込みをされていたことを』
『はっ、そういえば……! あの子、指先にもたくさん包帯を巻いて……包丁でケガでもしたのかしら。それだけ一生懸命練習をしてたのね』
聖女は悔しそうに服の袖を噛み締めている。
淫魔は心なしかドヤ顔を浮かべて、モニターがある方角に視線をやってから。
満を持して鍋の蓋を開いた。
「めしあがれ、あなた――」
立ち昇った湯気が晴れると――
『『っ!』』
鍋の中に現れたのは――
凝縮された【地獄】だった。
『なっ、なによ、アレ……⁉』
画面越しに勇者が絶句する。
黒を越える黒。ぼこぼこと不気味に泡立つ表面。
グロテスクな食材……とも呼べない正体不明なナニカ。
心なしか、この世の物ではない〝叫び声〟が鍋の底から聞こえてきた。
『とんでもないゲテモノじゃないのよーーーーーーっ!』
勇者は叫んだ。
聖女は青ざめていた。
淫魔は勝ち誇っていた。
『待って待って! クウルスはドヤ顔浮かべてるけど……あれって絶対まともじゃないっわよね⁉ 料理どころか猛毒の見た目じゃない!』
『で、ですが……魔族の料理としては、アレが通常なのかもしれませんわ……あ、旦那様がコメントをされますっ……!』
「ふむ――なかなか
『やっぱり魔族にとっても異質なんじゃない!』
勇者が突っ込んだ。
淫魔は得意げな表情のまま、鍋の中身(完全にモザイク案件)を小皿に移し替えた。
「せっかく、だから。あなた――あーん」
淫魔は恥ずかしそうに頬を染めながら。
スプーンの上にその
「ぬ……」
魔王は一瞬だけ戸惑ったが――
ぱくり。もぐり。ごくり。
きちんとそれを胃におさめた。
「ふむ――うまいな」
『美味しいんかい!』
勇者が画面越しに突っ込んだ。
『見た目からしてマズイでしょうに……味覚がイカれてるんじゃないかしら』
『はっ!』と聖女が目を見開く。『とはいえ魔王様もクウルスさんと同じ〝魔族〟――食生活を含めた〝感覚の一致〟というのは、結婚生活においては何より強い武器かもしれませんわ』
そう言って聖女はモニタリングをしている部屋から出ようとした。
『ちょっと、どこ行くのよ』
『今からあちらの部屋に行って……鍋をつついてこようかと』
『へ? あんた、アレを食べる気⁉ 完全に自殺行為よっ』
勇者はどうにか引き留める。
『ですがっ……アレを食べませんと、モエネは旦那様と食生活を共にすることができませんわ! 今のうちにすこしでも胃袋を慣らしておかないといけませんっ』
『だからって死んじゃったら意味ないでしょうに!』
淫魔の手作り料理=死、という位置づけになっているのはもはや気にせずに。
勇者と聖女がドタバタとしていると――
「ふむ、馳走になったぞ」
魔王がちょうど料理を食べ終えたようだった。
皿の中はきれいに空っぽになっている。
『えー! アレを完食したの……? 胃袋のデキがやっぱり人間族とは違うのかしら、さすがは魔王ね……』
などと感心していたら、
「おろろろろろろろ」
と魔王は背中を向いて、
『うわー! 思いっきり吐いてるーーーーーー!』
勇者は部屋から飛び出そうとしていた聖女をふたたびたしなめる。
『ほらほら! やっぱり魔族の味覚とか関係なしに、アレはヤバい代物だったのよ! ……っていうか、冷静に考えたら今までクウルスも魔王も、あたしたちと同じ料理を〝美味しい〟って言いながら食べてたじゃない!』
『はっ! ということは、これはただ単に――』
聖女が気づいたように手を打った。
『クウルスさんはお料理が、殺人的に
『そのとおりよっ!!!!!!!』と勇者はびしっと指を立てた。
勇者たちの声は聞こえていないはずだが、なぜだか淫魔は悔しそうに頬を膨らませた。
「あなた、だいじょうぶ……?」と魔王に近寄って背中に触れる。
「む? ああ、問題ない。えろろろろろろ」
『全然大丈夫じゃなさそうじゃない!!』
勇者たちの突っ込みは止まらないが……。
地獄を食した当人である魔王は口元を拭い、ふらふらになって、顔を青ざめさせても。
「――問題、ない」とあくまで繰り返して平静を装うのだった。
(うー……なにが『問題ない』よ。絶対問題あるに決まってるのに……)
勇者はその理由に思いあたって下唇を噛む。
(ふうん……料理を作ってくれたクウルスの前じゃ、意地でも口に出さないってわけね。なんだか意外――あいつにそんな優しさがあったなんて)
優しさ、と勇者は表現した。
妻(仮)が一生懸命準備して作ってくれた料理を残さず食べる。
そんな当たり前のようで、当たり前にするのは難しい魔王の行動を前にして。
勇者はほんのすこしだけ、彼の中の〝男らしさ〟のような部分を見直したのだった。
『……でもさすがに限度があると思うけどね! 食事のたびに死にそうになってたら身がもたないしっ!』
勇者は冷静になって突っ込んだ。
「えろろろろろろろろ」
魔王は未だに吐いていた。
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