入浴剤娘~一緒にお風呂に入った女の子は最高の入浴剤だった!?~
木春凪
1話 入浴剤
石山鋼太は、ゆっくりと目を開く。
湯気でいっぱいな視界。息を吸うと鼻腔をくすぐるのは、ローズ、ラベンダー、桜……いや、どの花にも形容しがたいフレグランスな香り。
青紫の宇宙を映し出した湯面は、頬から滴る水滴の波紋一つで、ユニコーンが生息していてもおかしくない森林のような、淡い、それでいて深い緑に色を変える。
丁度いい湯加減は、身体を芯から温め、一日の疲れを癒していく。
触れた肌が、まるで自分のものではないような艶やかな滑りを魅せる。
そう鋼太はいま、いままでにない最高の入浴剤が入ったお風呂に浸かっている。
いつまでも身を預けていたい……そう感じながらも、鋼太はひどく動揺していた。
「何だ……この状況……!?」
鋼太がそう呟いてしまうのには、ある事情があった。
「……あの、どうでしょうか、わたしの身体……?」
背中越しに不安そうに聞こえるのは、女の子の声。
この幻想的で、理想を極めたお風呂は、彼女の身体から生まれる成分によって生み出されている。
そう鋼太はいま、いままでにない最高の入浴剤……女の子と一緒にお風呂に浸かっている。
(お、落ち着け……! 冷静になれ、俺……!)
どうしてこうなったか、鋼太はお風呂を堪能しながら思い返そうとした。
☆ ☆ ☆
4月下旬。もう桜は完全に散り、入学したばかりだった新入生も高校生活に慣れ始めた様子が見られる。
入学当初は、グループで固まり、高校の中庭やベンチで多くの新入生が楽しそうにお昼ご飯を食べていたが、いまはほとんどの生徒が教室でお昼を取っている。
(まぁ、その方が楽だよな)
きっと、高校に入学したことに対する高揚感、浮かれだったのだろう。それか、新しい人間関係から弾かれないように、最初はみんな、同じ行動をしていたのかもしれない。
(俺は、誘われもしなかったがな……)
まったく寂しくないと言えば、それは嘘になる。でも、一人が楽というのも、本当だった。
そんな高校の昼休み、石山鋼太は、すでに昼食を終え、体育館裏に体育教師から頼まれた用事を済ませに行っていた。
体育でグランドを使用するため、生徒が怪我をしないようにあらためて躓きそうな大石を拾っていた教師が、腰を軽く痛めてしまったらしい。
たまたま通りかかった鋼太は、体育館裏に教師が集めた石を捨てに行くことになった。
「いつもすまんな、鋼太……」
「別にいいっスけど、もういい年なんだから無理はだめっスよ」
そして、鋼太が体育館裏にたどり着いたときだった。
「おいおい、早くしろよ。昼休みが終わっちまうだろ?」
「一万でいいからさ~、お前ん家、金持ちなんだろ?」
「はい、カウントダウン始めるぞ~。3、2、1~」
鋼太が声のする方を見ると、一人の華奢な男子学生が、三人の男子学生に囲まれていた。
「……何やってんだか」
ガラガラガラッ!
鋼太は体育教師が集めた石が入ったバケツを、わざと大きな音がするように地面に豪快に捨てる。
「……!? なんだ!?」
その音に気が付き、三人の男子学生が鋼太の方を振り返る。
(絡まれてるやつは見たことあるな、同じクラス、か? 絡んでるやつらは……二年か三年か……)
鋼太はわざとらしく、大きなため息をつく。
「このご時世にカツアゲなんて……恥ずかしくねぇの?」
鋼太は順番に三人を睨みつける。
「!? ……んだよ、お前に関係ねぇだろうが……」
「そ、そうだ。俺たちはちょっと、金を借りようとしてただけだぜ……」
鋼太の身長は185センチ。体格もよく、三人は怯む。
「じゃあ、俺にも金を貸してくれよ。入浴剤買い過ぎて、金欠なんだわ」
鋼太はボキボキとわざとらしく指の骨を鳴らす。
そして、地面に置いたバケツを拾い上げ、両手で掴むと。
「あ、二万くらいでいいから。はいカウントダウン~3~」
……メキメキッ!
その握力で、スチールでできたバケツの形を潰していく。
「な、なんだこいつ……!」
「やべぇやつじゃねぇか……!?」
その握力を見て、三人は焦り、顔を歪める。
「はい、2~1~」
「ちっ、めんどくせぇ……い、行こうぜ」
三人は、そう捨て台詞を残し、足早に体育館から去って行った。
「根性なしかよ」
鋼太はバケツを地面に置くと、絡まれていた男子学生のもとに向かう。
「大丈夫か?」
「は、はい……ありがとうございます……!」
男子学生は泣きそうな顔で鋼太に頭を下げる。
「敬語じゃなくていいって、タメだろ。あいつらにまたなんかされたら言ってくれ。次は脅しじゃ済まさねぇ」
鋼太はそう言って笑う。
「さて、バケツをもとに戻すか……」
男子学生が去ると、鋼太はバケツをもう一度拾い上げる。さすがにこのまま返すわけにはいかない。
そこに、
「さっすが『みんなの狂犬』、だな」
声が聞こえた体育館裏の倉庫を見上げると、一人の男が顔を出した。
「竜也……見てたんなら止めろよ。てか、そこでなにしてんだ」
にやりと笑った男は、青木竜也。校則違反の金髪に、ワックスで髪を立てている。
普通の学生からしたら、あまり関わりたいとは思わないような風貌をしているが、悔しいことに顔立ちは整っている。
鋼太とは小学校からの腐れ縁で、古い友人だ。
「昼寝してただけだよ。お前がたまたま来たから黙って見てたんだ。でなきゃ、お前と違ってあいつらボコボコにしてる」
それを聞き、鋼太は笑う。
「そうだよな。お前はそういうやつだ」
「お前こそ、昼休みにこんなところでなにしてるんだよ。まぁ、お前のことだ、また誰かに何か頼まれてやってんだろ。お前はそういうやつだ」
「うるせぇ」
バケツをもとに戻し、鋼太は一息つく。
「小学校、いや、中学校のときからなんも変わらねぇな。人のために動く。最初はその顔と坊主頭からみんなに恐れられてはいたが、最後についたあだ名は『みんなの狂犬』。だもんな」
「止めろ、そのあだ名は好きじゃない」
「高校入ったばっかでいまはまだ浮いてるけど、最後にどんな名前が付けられるか、俺は楽しみだよ」
「お前こそな、『青竜』」
「ははっ、俺はそのあだ名好きだぞ。お前と一緒に暴れてついたあだ名だからな。なんだかんだ気に入ってる」
「……ちっ」
鋼太はバケツを持って、竜也から背を向ける。
「ま、あんま人のために、人のためにって考えすぎんなよ。疲れるぞ」
鋼太は何も言わず、背を向けたまま歩き出す。
「ま、それがお前らしくもあるがな」
☆ ☆ ☆
「サンキューな鋼太! まじ助かったわ!」
「これくらい大したことないって」
放課後。鋼太は、同じクラスのバレー部に声をかけられ、部活の助っ人としてバレー部のスパイクのブロックに協力していた。
「石山……だっけ、本当に助かったぞ。どうだ、正式にバレー部に入るつもりはないか?」
バレー部のキャプテンが鋼太の働きぶりを称賛し、そう声をかけるが、
「あ~、そう言ってもらえるのは嬉しいんスけど……毎日は参加できそうにないんで……」
鋼太は頬をかきながら、軽く会釈する。
「そうか。また、声をかけさせてもらってもいいか?」
「はい、予定さえ合えば、また」
片づけを最後まで手伝い、着替えを済ませた鋼太は、一人帰路につく。
少し早足に歩を進めながら、考えていることは、ただ一つのことだけだった。
(今日の入浴剤、何にしようかなぁ)
☆ ☆ ☆
「ただいま」
家に帰ると、鋼太はそう呟くが、家の中から返ってくる「おかえり」はない。
鋼太の両親は共働きであり、基本的には家にいない時間の方が多いのだ。
玄関に飾られているのは、父親、母親、そして鋼太の三人が写った写真。
母親は、小学校の教師をしており、残業も多く、家に帰ってくるのはいつも遅い。
父親は、単身海外でボランティア活動を行っている。
基本的には無収入。石山家の家計は、母親が一人で支えていると言っても過言ではない。
(確か、いまはアフリカ辺りにいるんだっけ……)
家族や自分自身の安全を差し置いて、ボランティア活動に励む父親を、その目的が理解できず、一時は嫌い、憎んだこともあった。
ただ、年月を重ねる上で、鋼太は、父親の考え方や行動に一定の理解を示すようになった。
(ほっとけねぇよな……困ってるやつは)
鋼太には世界を救いたいとか、海外でボランティアをしたいだとか父親のように大層な目的があるわけではない。
それでも、自分の周りで困っている人間くらいは、助けたいと思う。
それが、鋼太の考えだった。
靴箱に靴をしまう前に、靴箱の上に置かれている花のオブジェの匂いをひと嗅ぎ。
「うん、いい香りだ」
花のオブジェはただの造花ではない。その花びらの一つ一つは入浴剤で作られており、実際に使用することも可能であるのだ。
靴をしまい、玄関に上がると、鋼太はすぐさま洗面所、そして、お風呂場に向かう。
旧式の給湯器のシステムボタンに触れ、お湯はりを開始。温度は38度と、ややぬるめに設定。
その間に鋼太は自分の部屋に向かう。
「……さて、今日はどの子にするかな?」
鋼太が扉を開き、自分の部屋に入ると、そこには、
「ただいま、みんな」
部屋の一角に設置されたショーケース、収納ボックス。
その一段一段に、多くの入浴剤が並べられていた。
それだけではない。勉強机、本棚の空いた僅かなスペースなどにも、入浴剤がまるでインテリアのように飾られている。
まさに入浴剤部屋であった。
鋼太は、カバンをおろし、制服を脱ぐと、部屋着を用意し入浴剤たちの前に立つ。
「今日は汗もかいたし、身体を動かして少し疲れたよな……よし……!」
鋼太が手に取ったのは、形状が特殊な入浴剤ではなく、小さな袋に入ったパブと書かれた入浴剤だった。
「今日はよろしくな」
バスタオルを用意し、風呂場に戻ると、丁度お湯が沸いたときだった。
鋼太は小さな袋を開き、手のひらサイズの大きさの入浴剤をお湯に入れる。
すると、
シュワワッ
爽快な音をたてて、入浴剤が溶け始める。
「ああ……! いい音、それに……」
お風呂場に少しずつ広がりだす香りはレモングラス。
「いい香りだぁ……!」
鋼太は入浴剤が溶け切るのを見届けてから、服を脱ぎ、ついにお風呂と向かい合う。
足を上げ、そして、お風呂に……
「……! おっと、危ない!?」
寸前のところで、鋼太は身体を捻り、足をおろす。
入浴剤入りのお風呂が放つ魔力に当てられ、思わず身体を洗う前に湯船につかってしまうところだったのだ。
仕切り直し、鋼太はシャワーを使い、頭から身体を洗い始める。
鋼太の身体を洗うスピードはとても速い。といっても、手を抜いているわけではない。
どこで差をつけるかといえば、頭。
鋼太はボディソープを手に取り、そして、頭から身体まで一気に洗いきる!
そう、鋼太は坊主頭である。
それは、ボディソープで頭まで洗うことを可能にするため、自ら選択した髪型。
少しでも早く湯船につかりたいと、その思いに応えることができる唯一の髪型。
洗顔で顔を洗い、滞りなく全身を隅々まで洗いきった鋼太は、ついに、湯船と向かい合う。
ごくりっ。
喉が鳴る音が、お風呂場に響く。
心音がドクドクと脈を打つ。
そして、鋼太はゆっくりと、湯船につかった。
「……!」
本日、鋼太が選んだ入浴剤は、パブメディキュア、冷涼クール。レモングラスの香り。
一般的な入浴剤であるパブに比べ、疲労回復に特化した効果が、鋼太の身体を包み込む。
高濃度の炭酸が皮膚の毛細血管を広げ、血流をじんわりと良くしていく。
フレッシュブルーの透明に近い湯色が、レモングラスの香りと相まって、爽快感を倍増させる。
「ふぃ~最高だ……」
そう、思わず声を漏らしてしまうほど、鋼太の身体は爽快に癒されていた。
鋼太がここまで入浴剤にのめり込んだきっかけは、中学校のときだった。
家の近くにできた大型のショッピングモール。
そこで、生まれて初めて、入浴剤の専門店を見つけた。
お店に入ると、心地よい香りが鋼太を包み、並べられている入浴剤も、動物や食べ物をモチーフにしたものなど、初めて見る入浴剤が目を引いた。
店員に声をかけられるがまま、実際に一つの入浴剤を手で体験。
すべすべになった肌、心を癒すような香りに鋼太は入浴剤を実際に購入。
家に帰り、入浴剤入りのお風呂に入ったときに、鋼太の人生は変わった。
たったそれだけのこと。そう思われるかもしれない。
それでも、鋼太にとっては、人が人生を歩む上で、一度出会えるどうかの熱中できるもの。
それが入浴剤だったのだ。
(よし……明日もがんばるか……!)
入浴剤入りのお風呂に入るだけで、鋼太はすべてのことを前向きに捉えられる。
それほどまでに入浴剤を愛していた。
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