ラクウショウの下で

風間きずな

第1話 新しい街

「見てごらん、ナナ。目の前に大きな公園があるって、最高だね」

昼間はまだ温かい初秋の10月。

古めかしいアンティーク調のマンションの最上階10階に、新しい住人が越してきた。

名前は、三澄光(みすみひかる)。33歳。

男性、独身。

相棒は、茶色いラブラドールの女の子、ナナ。年齢は7歳。おとなしく、やさしい瞳をしたわんこだ。

ビロードのような毛艶は、毎日丁寧にお手入れされ、大事にされているのがわかる。

光の職業は作家。20代後半の頃大きな賞をとり、小説家として華々しいスタートをきった。

それ以降もコンスタントにエッセイや小説を出し、安定した人気を誇っている。

その作品はどれも現代の闇を暴きつつも、人々の気持ちに寄り添いながら、やさしく愛情深い表現が人間味溢れ、多くの共感を呼んでいる。

180cm近い細身の長身で、知性を感じさせる細い黒縁のメガネがよく似合い、どこか憂いを感じさせる穏やかなその風貌には、女性ファンも多い。

最近ではテレビのコメンテーターとしても出演し、視聴者の心を鷲掴みにし、SNSのフォロワー数も芸能人並だった。


荷物が搬入され、引っ越しの業者さんが引き上げようとすると、ナナが最後まで残っていた若い女性スタッフの服を引っ張った。

「わっ、すみません」

帽子から束ねた長い髪を出している女性はまだ20代だろうか、学生のような雰囲気の、瞳がパチッとしたかわいらしい子だ。

「いえ、いいんですよ。かわいいワンちゃんですね」

頭を撫でられ、ナナは尻尾を振って喜んだ。

「あ、これ。スタッフの皆さんにお渡しください。何か飲み物とか軽食、召し上がってくださいね」

光は封筒に入ったQUOカードを手渡した。

「まぁ、そんな!お気遣いありがとうございますっ。渡しておきますね」

差し出した右腕の長袖が少しめくれると、内側に少し青あざができていた。

「おねえさんも、何か甘いものでも食べてください。あの…その右腕、大丈夫ですか?荷物運ぶ時に怪我してないですか?」

「あっ、これいつの間に…全然大丈夫ですよぉ。この仕事してると生傷が耐えなくて、うふふ。私甘いものに目がないんですよ~、うれしいっ、ありがとうございます。それでは失礼致します。何か不備がありましたら、いつでもご連絡ください!」

そう言うと、明るい笑顔でそそくさと立ち去っていった。

「…どうしたの、ナナ。あのおねえさんに、何か気になることがあったの?」


クゥン…


何かを知らせたいかのように、ナナは前足を軽く光の足元にぽんぽん、とリアクションした。

「ナナにはわかるんだよね…笑顔の下に隠された、その人の心の悲しみが。あのおねえさん、また改めて話をしてみたいね」


光とナナは、階下の引っ越しトラックを心配そうに見送った。


「さてと、荷物の片付けは少しづつしていくことにして、まずは今夜の夕食の調達を考えようか。お腹がすく前に、新しい街を探検しに行こう、ナナ」


クゥン、と首を縦に振ると、ナナはペット用品がしまわれたダンボールの中から、自分の散歩用ハーネスとリードを持ってきた。

「ナナ~、君は本当に賢い子だねぇ」

散歩の準備をすると、ワクワクとした冒険心を掻き立てながら、ふたりはエレベーターに乗って1階に降り、エントランスへ向かった。

秋の午後、西向きの正面玄関は眩しい光が差し込んでいた。

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