第86話
***
数時間後、リュシアン様は朝早いうちから緊急会議に出かけて行った。
部屋を出る前にこっそり隠し扉を開け、「トマスに今日は何度かここに来るよう命じてあるから、何かあったらあいつに言え」と伝えてくれた。
何度も時計を見ながら待つが、うんざりするほど針は進まなかった。
不都合なことに、今国王陛下と王妃様は外国に訪問中だ。
というよりも、公爵がわざとその時を狙ったのだろう。なので陛下たちが帰って来るまで、リュシアン様は味方の少ない状態で切り抜けなければならない。
リュシアン様が出て行ってからようやく二時間ほど経ったころ、隠し扉をノックする音が聞こえた。
慌てて開けそうになり、リュシアン様に言われたことを思い出してそっと扉に耳をあてる。
「ジスレーヌ様。私です。トマスです」
外からトマスさんの抑えた声が聞こえ、私はそろそろと扉を開けた。扉の向こうにいたトマスさんは、強張った顔をしていた。
「トマスさん、会議はどうなりましたか?」
「まだ終わりそうにありません。はっきり言って大分厳しい状況です。リュシアン様がオレリア様を襲うなんて、馬鹿げた話あるはずがないのに……」
トマスさんは悔しそうな顔でそう言う。いつも冷静な彼には珍しく、落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。
「けれど、全てオレリア様の自作自演なのでしょう? みなさん、そんな嘘を信じてしまうのですか?」
「ルナール公爵と、公爵に忖度する者が引かないのです。それにオレリア様は賢くお優しい方だと評判でしたからね。そんな方がでっち上げでリュシアン様に罪を被せるなんて思わないのでしょう。まして、自分の体を切りつけてまで嘘を吐くなんて、常人のすることではありませんから」
トマスさんはいまいましげにそう言い捨てた。
確かに、その通りだと思う。オレリア様は普段から人々の尊敬を集めている方だ。彼女が嘘を吐くなんて、通常では信じられないだろう。
ルナール公爵にしても、私はあの成人パーティーの件から大分苦手だったけれど、世間からの評判はいい。
彼が過去に王位簒奪を目論み、一人の侍女を死に追いやったことがあるなんて、人々は想像すらしないと思う。
「リュシアン様はちゃんと知っていただければお優しい方なのですけれどね。口が悪い上に短気ですから……。
本当は自分に毒を盛った人間のフォローをするために公爵邸に出かけていくほど心が広い方なのに、私は悔しいです」
トマスさんは薄目でこちらを見ながら、少々トゲのある口調で言う。リュシアン様が私のことで公爵邸に出かけ、罠に嵌められたことを当然のことながら怒っているのだろう。反論の言葉もない。
私は何をやっているのだろう。
リュシアン様の愛が欲しくて、いつも暴走するばかり。
リュシアン様は寛大にもいつも許してくれて、後始末までしてくれるのに、私はそれに対して何かを返せたことがあっただろうか。
拳をぎゅっと握りしめ、大きく息を吸い込む。
私はここで待っているだけでいいのだろうか。リュシアン様のピンチに何もしないなんて。会議の結果次第では、リュシアン様がどうなるかわからないのに。
「……トマスさん」
「何ですか?」
「私を会議室まで連れて行ってくれませんか。私だとわかるとまずいので、メイドの服を用意してもらえるとありがたいのですが」
私がそう言うと、トマスさんは目を丸くした。
「できませんよ、そんなこと! あなたは公にはまだ裁きの家にいることになっているんですよ!?」
「けれど、リュシアン様がピンチなのにただ待っているのは嫌なんです!」
「あなたが行って何になるというのですか」
「公爵の本性を晒すことはできます」
私は部屋の隅に置いてあった鞄から、赤色の日記を取り出した。裁きの家から持って来たベアトリス様の日記だ。
「これは?」
「公爵の罪が書かれたものです。トマスさん、どうか私を連れて行ってください」
トマスさんは私と日記を交互に見つめ、迷った顔をする。しかししばらくの沈黙の後、覚悟を決めたように言ってくれた。
「服を用意してきます。少々ここでお待ちください」
「はい……! お願いします!」
私は両腕でぎゅっと日記を握りしめる。
二十年前の事件の真相を明らかにするときが、意外と早くやって来たのかもしれない。
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