第25話 子牛さんのおかげでリミッターを修得、ありがとう

 私と真奈美ちゃんは、さっそくブラッシングをはじめるなり、子牛さんのキュートさに魂を奪われてしまった。


「かわいいわね、ずんぐりむっくりで」


 私は子牛さんのかわいさにノックアウトされてしまい、ため息を漏らした。


「かわいいですぅ、こういうチャレンジなら、なにも怖くないですぅ」


 真奈美ちゃんは、子牛さんが相手なら、なんの緊張もせずに仕事に打ち込めていた。


 そりゃあ、これだけかわいい動物が相手なら、初めての挑戦でも大歓迎よね。私だって楽しくてしょうがないし。


 さて、私と真奈美ちゃんは、子牛さんのブラッシングを順調に進められた。


 だが本日の主役は、あくまでパワーバカの彩音ちゃんだ。彼女にリミッターをつけるために、私たちは牧場にやってきた。


 彩音ちゃんは、キュートな子牛さんを前にして、あうあうと困っていた。


「もしボクのパワーで、この子を傷つけてしまったら、困るじゃないか……」


 どうやら彩音ちゃんは、子牛さんを前にして、自分自身の馬鹿力を意識できたようだ。


 やはり自動販売機のときとは、まったく違う反応だった。


 もしこの意識を日常生活で継続できるなら、弱点克服である。


 私は、すかさず彩音ちゃんにアドバイスした。


「いまの感覚なのよ、彩音ちゃん。子牛さんを前にして、力を入れたらまずいと思ったでしょ? それを毎日維持できれば、自動販売機のボタンだって壊さなくなるはず」


 彩音ちゃんは、ぽんっと手を叩いた。


「そういうことか。ならボクは、この感覚を大切にして、子牛くんに触れてみるよ」


 はたして馬鹿力を封印できるのか?


 私たちの期待を一身に背負って、彩音ちゃんは子牛さんに近づいていく。


 見ているこちらが、ドキドキしてきた。


 成功すれば万々歳だが、失敗したら子牛さんがかわいそうである。


 だが失敗を恐れていたら、なにごとも成せないのだ。きっと大丈夫、彩音ちゃんの優しさを信じよう。


 ついに彩音ちゃんの指先が、子牛さんの背中に触れた。


 子牛さんは耳を動かして、ちょっとだけ警戒した様子。


 私たち世治会のメンバーたちも、手に汗握って展開を見守る。


 まるで初めてのおつかいみたいなハラハラ感で、彩音ちゃんは子牛さんの背中をそーっと撫でていく。


 おお、すごい、そーっと撫でられるんだ。自動販売機のボタンを破壊したときみたいな、とんでもないパワーは鳴りを潜めていた。


 どうやら、か弱い生き物が相手であれば、力をセーブできるらしい。


 ただし、まだブラッシングをやっていない。


 あれはブラシを握って、それなりの力を入れて、牛さんの剛毛もなぞらないといけないから、どうしても力加減が難しくなる。


 たとえば、私と真奈美ちゃんなんて非力だから、おもいっきり力んだところで、むしろ子牛さんの肉体をブラッシングするときには、パワー不足だった。


 でも彩音ちゃんのパワーで力んだら、子牛さんが泣いてしまう。


 まさにサジ加減が重要であった。


「いよいよ、ボクの筋肉が試されるときだね」


 彩音ちゃんは、屈伸運動をして余計な力みを抜いてから、ブラシを握った。


 私たちは、家庭科の調理実習のとき、彩音ちゃんが包丁をまな板に叩きつけて、真っ二つに切断した光景を思い出してしまった。


 怖すぎる、相手は子牛さんなのに。


 でも包丁とブラシは全然違うものだから、きっと大丈夫。そう信じるしかない。


 私たちの心臓が破裂しそうになったとき、ついに彩音ちゃんのブラシが、子牛さんの体毛に到達した。


 だがまだブラシを動かさない。


 いや、違う。ブラシを動かさないのではなく、ブラシを握っていない左手で、子牛さんをひたすら撫でているのだ。


 どういう意図なんだろうか?


 私たちが首をかしげていると、ひゅるりと彩音ちゃんのブラシが動き始めた。


 すごい、力んでいない。なんてことだ、ついに彩音ちゃんが開眼したらしい。


 その理屈を、本人が説明してくれた。


「まずは左手で相手を優しく撫でるのさ。そうしたら、右手もまったく同じ力加減で動かせることに気づいたのさ」


 つまり実際に力む動作の前に、優しい動作を加えることで、筋肉の調節ができるようになったわけだ。


 理性による制御ではなく、実際に体を動かすことによる弱点のカバー。まさしくスポーツ少女らしい解決方法であった。


 どんな方法論にせよ、彩音ちゃんは、牛さんのお世話を通じて、弱点を克服したわけだ。


 すごい、えらい!


 私は、ぱちぱちと拍手した。


「おめでとう、彩音ちゃん」


 真奈美ちゃんも、小さな手で拍手した。


「これで彩音さんも、世治会に助けられたメンバーですね」


 そうそう、彩音ちゃんも仲間入りだし、なにより私の内申点がアップした。


 私が腹黒マインドを膨らませて、ぐふふっと悪代官みたいな笑みを浮かべたら、シカコがツッコンできた。


「内申点に魂を支配されたサカミも、子牛のお世話をすることで、ちょっとは悔い改めたほうがいいじゃないか?」


 むむっ、シカコのくせに、鋭い。


 だが、内申点を意識しまくっていることは事実なので、子牛さんのお世話を最後までやりきろうと思う。


 せっかくの貴重な機会だしさ、自分たちの血肉になっているものが、なんなのかを知るために。


 シカコは優しいから、牛さんの経済動物としての一面に触れなかった。


 でも私は、畜産業の現場に触れたことで、牛さんたちの行く末を嗅ぎ取った。


 牛乳も、牛肉も、人類の糧だ。


 私は小学生のとき、牛乳が大好きだった。高校生になってからは、牛肉のステーキが大好きだ。


 それもこれも、すべて牛さんのおかげである。


 本当にありがとう、牛さん。




 学びを得た牧場体験から、二日後。休日明けの、月曜日。


 私とシカコは、千葉駅からの通学路を歩きながら、コンビニに寄り道した。お昼ごはん用の飲料水が欲しかったのだ。


 だが店内が混んでいたので、店舗前の自動販売機で買うことにした。


 先客として、彩音ちゃんがいた。


「やぁ、三角&四角コンビじゃないか。これを見てくれたまえ、ボクはついにスマートフォンを手に入れたんだ」


 なんとパワーバカの彩音ちゃんが、スマートフォンを所持していた。新品である。しかも綺麗な状態であり、壊れた形跡がない。


「ってことは、この手の力みがちな小道具を、壊さないで使えてるのね?」


 私が明るい調子で質問すれば、彩音ちゃんは嬉しそうに答えた。


「もちろんっっっ! ついにはボクは、パワーを制御できるようになったのさ。スマートフォンは壊さないし、自動販売機で普通にジュースを買える」


 彩音ちゃんは、自動販売機を優しく撫でながら、コーラのボタンをぽちっと落とした。


 はー、なるほどねぇ、機械を壊さなくなったというより、機械も子牛さんのように優しく扱うようになったんだ。


 どうやらスマートフォンを使うときも、まずは子牛さんのように撫でてから、電子ロックを解除するようだ。


 きっと将来、親族経営の町工場で働くときも、ああやって機材を優しく撫でてから、仕事に取り掛かるんだろう。


 彩音ちゃんは、日常生活でも、お仕事でも、パワーバカという問題をクリアしたわけだ。


 私は素直に彩音ちゃんを褒めてあげたいんだけど、シカコは平常運転で茶化した。


「なんかさ機械を擬人化して愛でるヤバイオタクみたいになってね?」


 そういうことをいわないの!

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