第二十七話 覚悟【後編】

 まるで夢のような造形になつのは心を躍らせた。

 篠宮はくすっと笑みを浮かべると、ボートへ乗り込み手を差し伸べてくれる。


「ほら」


 掴まれ、ということだろう。

 特別なことではないが、それはやけに様になっていて眩しく見える。


「何だよ」

「……いえ。エスコートし慣れてるなと思って」

「たかがボートでエスコートもなにもないだろ。ほら、手」

「あ、はい」


 篠宮に支えられ乗り込むと、見た目よりもゆったりして落ち着いていた。


「あれ? オール無いな」

「進まないんじゃないんですか? 乗るだけで――っわ!」

「おわっ」


 二人できょろきょろしていると、急にボートが進み出した。

 何もしてないけれどゆっくりと進んで行く。


「え」

「あいつ演出が少女趣味すぎないか?」

「でも可愛いですよ。あ、ほら」


 どこからともなくひらひらと花が降って来た。先ほどと同じで触れない花だ。

 ボートの底に触れると消えてしまう。


「これ自動的な演出なんですかね。それとも遠くから楪様が手動で?」

「自動じゃないか? そこに水晶玉みたいのあるし」

「え? どれ?」


 篠宮がなつのの後ろを指差すと、手のひらサイズの水晶玉がガラスケースのような物に入れられ安置されている。

 ぽうっと優しく光っている。


「人が乗ったら動くようになってるんだろ」

「人感センサーみたいですね」


 船はゆっくりと進み続け花は降り続けた。ボート周辺の水面も星屑を振りまいたようにきらきらと光っている。

 これこそがなつのの夢見る『魔法の世界』だった。ただただ美しく、奇跡に囲まれた空間はまるで物語の主人公になったような気にさせられる。

 けれどこうしてる間にもシウテクトリでは人体実験がされ、ヴァーレンハイトでは餓死する国民がいるのかもしれない。


「……私達だけ平和でいいんですかね」

「いいんだよ。それに秒で更地作る奴がいるなら俺らが何しても無駄だろ」

「そんな、何もせず諦めるなんてらしくないですよ」

「分かってるよ。けど楪に勝てるとは思えない。イリヤも言ってたろ。楪を敵に回せば死あるのみ」

「そうですけど……」


 楪がもたらすのは美しい奇跡だけではない。指をほんの少し動かすだけで大地を抉る。

 とてもなつのと篠宮が立ち迎える相手ではないのだ。


「……そろそろ覚悟しなきゃ駄目だな」

「何のですか?」

「ここで暮らしていく覚悟」

「あ……」


 びくりとなつのの身体が震えた。

 ここは俺達の世界じゃないという篠宮の言葉が思い出される。


「努力し続ければいつかどうにか――と思ったけど、楪がいる以上は無理だ。魔法アプリなんか玩具以下だ」


 ぐっと篠宮は拳を握りしめた。

 いつも冷静で、部下の前で感情を顕わにすることなどあまりない。

 その篠宮が今は悔しそうに唇を噛んでいる。


「俺たちはもう帰れない」


 楪が悪いわけではない。それはもうこの世界の仕組なのだ。

 なつのが目を背けていたその現実を楪は教えてくれた。それだけのことだ。


「城を出て仕事をするのがいいかもな。異世界初心者のために城の部屋は開けておきたい」

「……じゃあ就活しなきゃですね」

「お前はいいよ。家庭菜園でもやっててくれりゃ」

「でもお金ないと買い物できないですし」

「それくらい俺が養ってやるよ。この世界の文明なら科学で起業して儲けるのは簡単だ」

「ああ……え?」


 何気なく言われた言葉を反芻した。


(養うって、それはまさか)


 じっと篠宮を見ると、今まで見たことのない表情だった。

 恥ずかしそうに顔を赤くしている。


「一緒に暮らさないか」

「えっ!?」

「こんな世界で一人放り出すわけにいかない。お前一人くらい守れるつもりだ」

「あ、あの……」


(た、たしかに、こっち来て楽しく過ごせてたのは篠宮さんのおかげだけど)


 城の外で家を持ち一緒に暮らすというのは今までとはわけが違う


(それは同棲では……?)


 ふわふわと花は降り続ける。

 二人を包むようにふわりふわりと。


「何だよ。嫌なのか」

「い、いえ、あの、だって」

「俺はお前が好きだ」

「は!?」

「……好きだから一緒に暮らしたい。お前は? 嫌?」

「嫌……では、ない、です……」

「……そうか」


 篠宮がそっと壊れ物に触れるくらいの力で手を握ってくれた。こんな風に触れたのは初めてだった。

 楪のボートが岸に付くまで顔を上げられず、それ以上は何も話すことができなかった。

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