第二十三話 イリヤの真意【後編】
「何であんたに言わなきゃいけないのよ!」
「さ、向坂」
「この人はヴァーレンハイトの人なんでしょう? じゃあルーヴェンハイトの皇子に従う必要なくない?」
「まあないけど」
「じゃあいいじゃない。この人にも守りたいものがあるのよ。アイリスを助けるまでは協力して、その後はその時考えなさいよ」
「貴様に回答は求めていないぞ、小娘」
「うるさいわね腰巾着」
「何だと!?」
「うるさいって言ってんの! イリヤがいなきゃ何にもできないわけ!? 主体性持ちなさいよ少しは!」
「なっ」
向坂の切り返しにキールは怯み、他の面々も驚いている。
「大体ね、偉そうにあれこれ言ってるけどそっちの目的は何なのよ! まず話し合いしなさいよ!」
「それは無理だね。戦争するのに口先の言葉だけで信じることはできない。咄嗟の行動こそ信じるに値する本音だ」
「……戦争?」
戦争になる。それは篠宮も漠然と思っていた。
けれど権力者から断言されたことは、平和しかしらない夢見がちな向坂を怯えさせるには十分だった。
「ヴァーレンハイトがルーヴェンハイトの上位にいたのは過去の話だ。もはやルーヴェンハイトの方が豊かで平和で武力もある」
イリヤはにっと口角を上げた。
「これ以上寄生させるつもりはない。皇王には国ごと消えてもらう」
イリヤは笑った。それはとても美しく、そしてとても恐ろしかった。
びくりと向坂は震え、一歩、また一歩と下がっていった。
篠宮はそれを守るように背に庇い、イリヤとの間に立った。
「ノアが黙ってた理由が分かったよ。俺も同じ立場ならあんたには言わない」
「どういう意味だい」
「あんたは目的のためなら目の前の女の命を利用する。国ごと消すならアイリスも殺す。そんな奴に言えるわけがない」
「あとシンプルに性格悪いから信用できない」
「何だと!?」
「何よ! 平気で人を殺そうとする奴信用できなくて当たり前でしょうが!」
向坂は篠宮の背に隠れたままぴょこっと顔を出し、キールにきゃんきゃんと噛みついた。
「あんたら話をややこしくしすぎなのよ! アイリスを助けてから皇王を倒す! 以上終わり!」
「賛成だな。アイリス様は皇王への人質になる」
「人質!?」
「何だ。助けるまでが協力だろう。その後どうするかは別と言ったのはお前だ」
「そ、そうだけど」
マルミューラドもまた違う意見を言い、しんとその場は静まり返った。
けれどすぐにイリヤが声を上げて愉快そうに笑った。
「あはは。いいなあ。君らは平和な国で生きてきたんだね」
「そうよ。だからあんたと違って素直なのよ」
「貴様! イリヤ様を侮辱するか!」
「あんた本当に同じことしか言わないわね! そういうの馬鹿の一つ覚えって言うのよ!」
「何だと!?」
「止めとけ」
そうにも向坂とキールは犬猿の仲で、篠宮は再び向坂を背に隠した。
ノアは相変わらず目を背け、イリヤはくすくすと笑うだけだ。
はあと篠宮はため息をつき二人の肩をぽんと軽く叩いた。
「腹割ったんだからこれからは協力するってことでいいだろ」
「僕はマルミューラドがスパイじゃないって分かればそれでいいよ」
「ノアもいいだろ、それで」
ノアはぴくりと小さく震えた。
そして恐る恐るイリヤと目を合わせると、ゆっくりと頭を下げた。
「すまなかった。皇王は討つ。だがアイリスだけは助けさせてくれ」
「勝手にしなよ。僕興味ないし」
「マルミューラド。あんたもいいか、それで」
「ノアが良いなら」
そうして、ノアとマルミューラドは何も言わずに肩を並べて立ち去った。
敵対している国に所属するマルミューラドがノアと肩を並べるのはやはり違和感があった。向坂の言った「この人にも守りたいものがある」というのが、きっとアイリスの先にあるのだろう。けれどそこに手を貸せるほど篠宮に力があるわけではない。
二人を追いかけることはできず、自分が守ってやらなければいけない部下に目を向けた。だが向坂はまだキールと向坂はがるるるると睨み合っている。イリヤはくすくすと笑いまるで他人事だ。
「向坂。その辺にしとけ」
「キールも。その辺にしておあげ」
「だって!」
「しかし!」
向坂とキールは同時にお互いの上司を振り返った。
いっそ気が合うのかもしれない。
「そうだ。ナツノには悪いことをしたし、お詫びに一つ良いことを教えてあげる」
「何ですか」
「イエダには気を付けて。利用しても気を許してはいけない」
「ルイ様のことですか? それはノア様も気を付けてるわ」
「ルイもだけど、それよりもルイの連れてる少年だ」
「少年?」
「そう。イエダの結界を作ったのはその少年」
「あ、あのおっそろしいやつ?」
「それだけじゃない。皇王がアイリス捜索を中断したのはイエダが、その少年が出てきたからなんだ」
「どういうことだ」
「ある日突然ヴァーレンハイトの軍が消えた。凄まじい竜巻にのまれ数千という兵が消失したんだ。だから皇王は撤退を余儀なくされた」
「……瞬間移動みたいにぱっと消えたってことですか?」
魔法で瞬間移動はできない。
瞬間移動ができるのは、それは――
「『最期の魔術師』
魔法を超える魔術を自在に操る人間が存在した。
「気を付けてね」
数千の兵を一瞬で消す相手に何を気を付けたら良いのか、篠宮には分からなかった。
分かったのは『楪』はロシア語で綴られるルーヴェンハイト人の名ではなく、日本語の響きであることだけだった。
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