第二十話 イリヤとキール【後編】

「小娘。挨拶一つまともにできんのか」

「え?」

「イリヤ様はこの国の代表であられる。頭を下げろ」

「……失礼致しました」


 なら突然出て来るなよと思ったが、上司に逆らうことが愚かであることは社会人のなつのは分かっている。

 しぶしぶ頭を下げるとキールはようやく満足したようだった。


「次から気を付けろ」

「分かりました。それで、何か御用でしょうか」

「うん。ノアに聞いたよ。面白いことしてるみたいだね」

「はあ」

「おい! 腑抜けた声を出すな! イリヤ様の問いには即時に明確に回答をしろ!」

「え、今質問されました?」

「『面白いことをしている』とおっしゃられたのだ。具体的に何をしてどういう結果を得たか端的に述べろ。そんなことも分からないのか」


 ぴくりとなつのの眉がひくついた。

 この高圧的に罵倒してくる様子は覚えがある。


(マルミューラドさんといい、この世界のイケメンは嫌味言わないと気が済まないのかしら)


 なつのの美的感覚からするとマルミューラドには及ばないが、キールも整った顔をしている。

 だがこの悪態はイケメンの輝きでは誤魔化されない。

 いらっとしたなつのは視線をイリヤに移した。


「特に進展はありません。地球に帰るのは難しそうです」

「おや。もう諦めてるのかい?」

「そうじゃないですけど」

「煮え切らない返答をするな。諦めているのかいないのか。諦めたのなら何故調査を続けるのか回答しろ」

「開発してるのは篠宮さんです。進捗聞きたいなら篠宮さんに聞いて下さい」


 苛立ちが募り、なつのは二人に背を向け食器を取り出した。篠宮には温かいうちに食べてほしいのだ。

 だが出された物を食べればいいだけであろうお偉方二名はそんな想いを察してはくれなかった。


「貴様! イリヤ様に背を向けるとはどういう了見だ!」


 キールに肩を掴まれ、ぶちっとなつの中で何かがキレた。


「あんたいい加減にしなさいよ! 何なのよさっきから!」

「貴様こそなんだ! イリヤ様に失礼な振る舞いは許されんぞ!」

「知らないわよ! あんた自分の正義が世の正義だとでも思ってるわけ!? 馬っ鹿みたい!」

「な、何だと!」

「どこの世界でも政治家ってこうなのね。自分達が素晴らしいことをしてるから国民は従って当然だと思ってるんでしょ! 国民に選ばれた代表なら国民の意見を聞きなさいよ! そんなだから国民支持率一位はノア様なのよ!」

「貴様! イリヤ様を侮辱するか!」

「私が文句言ってんのはあんたよ! 大体初対面なのに敬うも侮辱もないでしょ! 私達を助けてくれたのはノア様であんたらじゃないし!」

「ノアが好き勝手できるのはイリヤ様のお力あってのことだぞ!」

「だからそんなの知らないって言ってんのよ! あんたには尊敬する上司かもしれないけど私の上司は篠宮さんなのよ!」


 ぎゃあぎゃあとキールと言い合いになったがイリヤは止めようともしない。それどころか勝手に卵をぱくぱくと食べている。

 苛立ちが増していくが、その時キッチンの扉がばんと開いた。


「向坂! 何してんだ!」

「し、篠宮さん」

「外まで声が響いてるぞ。何があっ――ん? 誰だ?」

「第一皇子のイリヤ様と第二皇子のキール様だそうですよ」

「皇子?」


 篠宮は二人を知らなかったようで、え、と驚いたような顔をした。

 キールは反論したなつのを庇い挨拶をしなかった篠宮をぎろりと睨みつけている。一方イリヤはにこにこするだけだ。

 その様子で察したのか、篠宮は丁寧に頭を下げた。


「私の部下が失礼致しました。無知ゆえのことですのでどうかご容赦下さい」

「ふん。お前はまともな挨拶ができるようだな」

「教育が行き届かず申し訳ございません。以後十分に注意いたします」

「二度目は無い。イリヤ様、参りましょう」

「うん。ナツノ。これ貰っていくよ」


 キールは出し巻き卵を皿ごと持ち、イリヤと二人で出て行った。

 ばたんと扉が開かれ姿が見えなくなると、なつのは怒りが爆発した。


「何だあいつー!!」

「落ち着け」

「落ち着いてられっか! 何なのよ! 何しに来たのよ!」

「本当だよ。何してたんだお前」

「食事の支度ですよ! あ、卵持ってかれた!」

「そうじゃなくて。何の話したんだよ」

「これといって特に」

「特に何もないのに皇子に喧嘩売るな。権力者には頭下げときゃいいんだよ」

「嫌ですよ! 腹立つ!」

「じゃあ上司命令。権力者は友好関係を気付いて利用するに限る」


 それはそうだ。なつのも最初はそう思っていたが、言われてようやく思い出し怒りの握りこぶしをしゅんと下ろした。


「……すみませんでした」

「いいさ。どうせ直に関わる事なんてないだろ。それより飯は?」

「できてるんですけど卵はなくなりました」

「十分だよ。いつも有難う」


 篠宮はよしよしと、まるで子供にするように撫でてくれた。

 感謝されるのは嬉しくて、篠宮の好物を持ち去った皇子二人はやはり憎らしかった。

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