第7章 第169話 夏季休暇編 水上都市マリーランド ①
馬鹿弟子二人の決闘騒動から――――翌日。午前九時。
俺は現在、自室で、荷造りに奔走していた。
夏季休暇は一か月間なので、必要なものだけを持っていけば良いだろう。
調理器具等はレティキュラータスの御屋敷で一式揃っているだろうから、不要だな。
必要なものは、替えの衣服や下着数点、洗顔料、櫛などの日用品といったところか。
……そうだ。あとは、こいつかな。
俺は相棒『箒丸』を手に取る。
この箒丸とは、今まで一緒に色々な難敵を降してきたよな。
この一学期で戦い、退けてきた猛者たちが、俺の脳裏に過る。
(ディクソンに、リーゼロッテに、暴食の王……か)
本当に、忙しない一学期だったと思う。
まさか、こんなに多くの戦いを繰り広げることになるなんて、入学当初は思いもしなかった。
箒丸にニコリと微笑みを向けた後。
俺は、数々の修羅場を一緒に潜り抜けて来た相棒を、滑車の付いた旅行鞄の横に括りつける。
そして、立ち上がり、旅行鞄のベルトを締め終えると、ふぅと短く息を吐き出した。
するとその時。背後からお嬢様の声が耳に入ってきた。
「アネットー? 馬車の時間きちゃうわよー? 準備できたのー?」
「あ、はい。ただいま参ります」
旅行鞄を手に持ち、ガラガラと引きずりながら、扉を開ける。
するとそこには、肩にショルダーバッグを掛けたお嬢様の姿があった。
ロザレナは俺の旅行鞄にチラリと視線を送ると、呆れた様子を見せる。
「アネット……貴方まさか……御屋敷にもその箒、持って帰るわけ?」
お嬢様の視線の先にあるのは、旅行鞄の横に括りつけられた箒丸の姿。
俺はお嬢様に向けて、当然だと頷きを返した。
「当たり前です。この箒……【箒丸】は、私の相棒なのですから! これがないと安眠できません!」
「いや……安眠って……抱き枕や人形じゃないんだからさぁ……」
そう言って深くため息を吐くと、お嬢様は俺にジト目を向けてくる。
「前から気になっていたけれど……貴方、他の剣を使う気はないわけ?」
「ないですね。そもそもメイドが剣を常備していてはおかしいではないですか。その点、箒はメイドが常に持ち歩いていても訝しがられることもありませんし。いざとなった時は掃除にも使えますし、一石二鳥です。ぶい」
「箒を常に持っていてもおかしいと思うのだけれど………貴方、普通に剣を使った方が強いんじゃないの?」
「確かに、リーチが長く、刃が付いている剣の方が威力は上がりますね。ただ、私の持っている『加護』は武具の耐久力を無視する力ですので……実のところ、装備による影響はあまり受けないんですよ。強いて言えば、魔法石や妖刀などの、何等かの効果が付与されている武具であれば、能力は幾らか向上するかもしれませんが」
「? 『加護』……?」
「何でもありません。とにかく、私に剣は不要、ということです」
そう声を掛けるが、ロザレナは何処か納得がいっていない様子だった。
頬を膨らませ、ぶすっとしている顔から、俺があえて弱い武器を装備していることが気に入らないとみえる。
そんなお嬢様の姿に困ったように笑みを浮かべていた、その時。
廊下の奥から、ある人物がこちらに近付いてくる足音が聴こえてきた。
「フッフッフッ。我らが偉大なるアネット
「はぁ……面倒くさい奴が来たわ」
マフラーを靡かせやってきたのは……もうここ数か月で馴染みとなった顔の、グレイレウスだった。
グレイはロザレナの隣に並ぶと、自身の胸に拳を当て、深く頭を下げ、俺に対して騎士の礼を取ってくる。
「おはようございます、アネット
「……グレイ。何度も言うけど、毎朝のその挨拶、いらないから……。あと、これも毎回言っているが、ここ、女子寮だからな? お前、そのうちオリヴィアにブン殴られても知らねぇぞ?」
「
「いや、話聞けよ、テメェ……」
「この男、以前よりも増して、何かアネットに対して暑苦しくなっているわね……真夏にマフラーを巻いていることも既に暑苦しいし」
「フン。ロザレナよ、オレは大森林での一件で、改めてこの御方の偉大さに触れたのだ。この夏季休暇でオレは、さらに研鑽を積む……。昨日は引き分けというくだらん結果になってしまったが、休暇が開けたら再び決闘をし、どちらがアネット
「いや、ちょ、お前らもう決闘禁止だからな!? 俺が昨日、どれだけ苦労したのか分かってる!? 荒れた修練場を修繕して、寮にお前たちを抱えて戻るのに、いったい何時間掛ったかと思って―――」
「上等よ!! 次こそあんたの影分身を、見破ってやるんだから!!」
「良き闘志だ。……フフフフフ、フハハハハハハ!!!! ロザレナよ!! オレは嬉しいぞ!! 共にアネット
「――――グレイく~ん? 女子寮がある上階には近寄らないでくださいと、私、あれほど言いましたよね~?」
「それでは
グレイは踵を返し、猛スピードで階段を降りて行った。
そんな奴と入れ違いにやってきたのは、オリヴィアだった。
オリヴィアはすれ違うグレイレウスに対して大きくため息を溢すと、こちらへと歩みを進めて来る。
「まったく。アネットちゃんのことが大好きなのは分かりますが、毎朝女子寮がある上階にやってくるのはどうかと思います。あのマイスくんだって、ちゃんとルールは守って、女子寮には近づかないというのに……」
「あの男は頭がおかしいのよ。ね、アネット?」
「いや……まぁ、そう、ですね。もう私には、グレイの暴走は止められそうにはありません……」
そう言ってため息を溢すと、オリヴィアはオレたちの前に立ち、柔和な笑みを浮かべてきた。
「アネットちゃん、ロザレナちゃん、今日、ご実家に帰られるんですよね。寂しくなります~」
「オリヴィアはやっぱり、この寮に残るんですか?」
「はい。実家に帰っても肩身が狭いですし……それに、前に言った、社交会のこともありますから」
「あ、そうだ。そういえば、この手紙のことがあったわね」
ロザレナは懐から一枚の便箋を取り出す。
それは、以前オリヴィアから渡されていた、バルトシュタイン伯から渡された社交界の招待状だった。
その手紙を見つめ、ロザレナは口をへの字に曲げる。
「今考えても不思議よね。何でお父様じゃなくて、あたしに社交界の手紙が来るのかしら?」
「それは……」
オリヴィアが眉を八の字にして、俺に視線を送ってくる。
勿論、オリヴィアの言いたいことは分かる。
十中八九、この手紙は、何かしらの意図があって送られたものなのだろう。
俺はその視線に頷きを返し、ロザレナへと声を掛けた。
「お嬢様。一先ずは、御屋敷に帰りましょう。一昨日のように、また大雨で足止めをされたくはないですからね」
「そうね。お父様にもこの件を相談してみたいし」
ロザレナは招待状をポケットに仕舞う。
そして、オリヴィアへと微笑みを浮かべた。
「オリヴィアさん。前にも言ったけれど、寂しくなったら、いつでもうちの御屋敷に遊びに来て良いですからね」
「は、はい。ありがとうございます、ロザレナちゃん……!」
「それでは……オリヴィア、私たちは行きますね。寮のこと、お願いします」
「はい、アネットちゃん。夏季休暇、たくさん楽しんできてくださいね」
そう言ってオリヴィアは俺に近付くと、ギュッと、手を握りしめてきたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「じゃあねー、ロザレナ、アネットー! あ、いつでも道場に遊びに来て良いからねー!」
お嬢様と共に寮の外に出ると、ジェシカがそう言って、俺たちの横を通り過ぎて行った。
そして彼女は、身の丈程もある巨大なリュックサックを背負うと、元気よくブンブンと手を振り、聖騎士駐屯区の中へと消えて行った。
「ハッハッハー! 元気が良いな、ロックベルトの姫君は!」
ジェシカと入れ違いに寮から出て来たのは、マイスだった。
俺の隣に立ち、微笑を浮かべるマイス。
そんな彼へと視線を向けると、その手にあるのは、手提げ鞄ひとつだけだった。
俺はその少ない荷物に、訝しげに声を掛ける。
「荷物、それだけなのですか?」
「あぁ。俺は基本的にあまり荷物は持たない主義でね。まぁ、家の事情、という奴だよ」
そう口にすると、前髪を靡き、こちらに白い歯を見せてくる残念イケメン男。
「ハッハッハー! それでは、有意義なバカンスを楽しむと良い、メイドの姫君! 夏季休暇を終えたら、またその麗しい姿を俺に見せてくれたまえ! ハッハッハー!」
ジェシカに続き、マイスも颯爽と寮の敷地から出て行った。
最後に残ったのは、見送りにきたオリヴィアと、俺たちレティキュラータス家の主従のみ。
その時。ロザレナはキョロキョロと辺りを見回し、疑問の声を上げた。
「あれ? ルナティエはどうしたの? ここに居ないみたいだけれど?」
「ルナティエちゃんは、何か用事があったのか、朝早くに寮を出て行きましたよ~。フランシア領は、王都からは結構距離があるらしいので、早めの馬車の便に乗らないといけないそうです~」
「ふーん? 最後に挨拶くらいしときたかったけど、まぁ、良いか。休暇明けにどうせ会えるのだしね。それじゃあ……あたしたちも行きましょうか、アネット」
「はい」
俺とロザレナはオリヴィアに別れの言葉を告げ、二人並んで、寮を出る。
この学校に来てから半年、か。
色々なことがあったが、一先ず、何とか無事に生活を送ることはできたな。
あとはクラス同士の抗争を静観し、ただのメイドとして平穏無事に暮らしていきたいところなのだが……果たしてそう上手くいくのかな。
ゴーヴェンやギルフォードのこともある。問題は山積みだ。
「まぁ、とは言っても、夏季休暇くらいは諸々のことは忘れて、楽しく過ごしても良いのかな」
お嬢様の後を歩きながら、旅行鞄をガラガラと引きずり……空を仰ぎ見る。
空に浮かぶ太陽は容赦なく大地を照り付け、蝉たちは、ミーンミーンと求愛の声を忙しなく鳴り響かせる。
―――――緑風の節。八月初頭。夏真っ盛りのシーズン。
深緑の息吹は草原を吹き付け、天上の月の女神は微笑み、大地に恵をもたらす。
一年で最も昼が長い年。女神に作物の実りを祈る季節。
せめてこの夏季休暇くらいは、争いのない、平穏無事な生活を送りたいものだな。
「アネットー!! 何しているのー!! 行くわよー!!」
「あ、はーい、お嬢様ー!!」
石畳を歩き、俺は門の前で待つお嬢様の元へと、歩みを進めて行った。
忙しない夏が始まる――――そんな予感がした。
第7章 夏季休暇編 水上都市マリーランド 開幕
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