第33話

 鶏が先か卵が先か、なんて、結構な問題だ。

 鶏と卵なんてものならどちらの立場でも正当性を主張することが出来るし、そうして論争することで無益な時間を費やすことが可能だ。




 ―― ギャオォォッグエェッコォォォ!!!


 ほんのり明るい森の中に 尋常じゃない鳴き声が響いた。


「気付かれた!」


 俺は卵を詰めた籠を大事に抱えて剣を抜いた。派手な鶏冠を持った雄のギャラスクックが首を低くし両足を交互に踏み鳴らして威嚇している。


「くそっ、なんで俺が! 卵泥棒なんか……!」


「アスレイヤ、なるだけ穏便に済まそう!攻撃して傷つけてはだめだ」


「出来るか!!」


 遠くで卵を採っていたピホポグラッチウォーリア2世に短く答えてギャラスクックに対峙する。1メートルもありそうな鶏に似た獣だ。しっかりとした二本の足は太く丈夫で鋭い蹴爪を武器にして容赦なく襲い掛かる。ギョロリとした獰猛な眼が、じりじりと後退する俺を見据えて、首を上下させながらいつでも飛び掛かれる距離を保っている。後方にまとまっている雌のギャラスクックにも注意を怠ってはいけない。支援魔法や、稀に風系統の攻撃魔法を使うこともあるのだ。


 俺が注意を分散させたことを悟ったのか、距離を保っていたギャラスクックは地面を蹴った。とても足が速いので距離を詰めるのは一瞬だ。咄嗟に身体強化をかけて剣を構え衝撃に備えた。俺は以前よりも格段に早く魔法を展開できるようになった。支援系魔法を常に維持していなくてもよくなったので魔力配分さえミスしなければ長期戦でもどうにか対応できる。とはいえ……集中力が必要だ。


 突進した勢いのまま羽を広げて飛び上がり 刺すように襲いかかった蹴爪を剣で受けて耐えた。力を込めて押し返し振り払えば、羽をバサバサ揺らして難なく着地しまた間合いを取って威嚇する。ここで背中を見せては危ない。


(少し隙を作ればいいんだ)


 俺は剣を構えたまま慎重に魔力を巡らせ、いつでも防御壁を展開できるように備えた。


( ――来る )


 再び攻撃に転じたギャラスクックの鋭い蹴りをタイミングを計って展開した防御壁で弾き返した。


 ―― ギャエエッ!!


 怯んだ隙を突いて一歩踏み出し剣の腹で殴るように二本の脚を払いのけた。


「今だ!」


 着地に失敗したギャラスクックを目の端で捉え、俺は全速力で逃……撤退した。俺達は卵が欲しいだけで、これ以上戦って傷を負わせるわけにはいかないのだから仕方のないことだ。

 二人で採取した卵は籠一つ分になった。20個もないが十分だろう。


「ギャラスクックの卵は人気者だからな。蛇も獣も狙ってる」


「なんて有難い卵なんだ」


 蛇や獣に勝利し雄鶏を出し抜かなければ手に入らない卵である。女性の掌ほどの大きさでとても美味しい。とても美味しいのだがこの苦労……割に合わない。


「羽がついてる」


 ピホポグラッチウォーリア2世は可笑しそうに笑って髪に絡んだ小麦色の羽を手櫛で梳いてとってくれた。思いのほか沢山ついていたようだ。誰のせいでこんなことになったと思っているんだ。


「卵、買うとそこそこ高くてさ……」


「……」


 まるで俺が経営難の雇用主みたいな言い草だ。この卵だってギルドで買い取ってもらえば結構な額になるはずで、今までの報酬もある。きちんと帳簿をつけているので所持金がどのくらいあるかも把握している。

 ふと、俺は思った。


「報酬を渡してない……」


「ホウシュウ……?」


「貴様の給料の話だ。経費を差し引いて折半だった」


 すっかり忘れていたが、別に忘れていたわけじゃない。


「へぇ、給料が出るのか。楽しみだ」


「ふん」


 悪戯っぽく笑う様子は全く期待してないようで腹立たしかった。







「なんとこれをゆでたまごにするのかね、贅沢な!」


 店主が何故こんなに驚いたかというと、白狸亭に戻るなりお湯を沸かし始めたピホポグラッチウォーリア2世がギャラスクックの卵を指して、あれをゆでたまごにするんだと事も無げに言ったからだ。


「アスレイヤの練習用にたくさん要るから採ってきただけだよ」


「練習とな!? 練習なら普通の卵がいいでしょう、これ一つでひと籠分買えるさね。魔術師殿は素で贅沢だ!」


「いや、予算がないから採取してきただけで、」


「いいかね少し待ってなさい。知り合いに頼んで交換してもらうから」


「え、いいのか? 手間をかけさせてすまない」


「魔術師殿は伝手を頼るとかそういうことを覚えた方がいい。あんたは価値ってものをぞんざいにしすぎさね」


 店主はぷんすか怒りながら卵を二つ持って出て行った。店主の言い分は尤もだ。


「俺の金銭感覚がおかしいとか言っておきながら……」


 黙って様子を見ていた俺は少し呆れて提案してみた。


「ギルドで買い取ってもらえばいいんだ」


「あ、そういえばそうか」


 冒険者資格を持つ俺は採取物を売ることが可能なのだ。

 ピホポグラッチウォーリア2世が一般的な事柄や価値といったものを 俺よりもよく知っていることは、まあ認めてはいる……が、たまにこういうところがあるのだ。これまでどう過ごしてきたかは知らないが、ふとしたことに映し出されて彼の孤独の影を感じることがある。そういうとき俺は、それに手を伸ばしてそっと触れてみたいと、そんなことを思う自分の気持ちがどういったものなのかわからなかった。


「なんだか君が頼もしく見える」


「ふん。俺は貴様の主だし、別に……もっとた、頼るがいい」




 その後のゆでたまごは いろいろと腹が立った。卵を茹でるだけだというのに何故これほどの悔しさに歯噛みしなければならないのか意味がわからない。茹でるだけだ。

 ただのゆでたまごといってもすることは意外と多い。温度と時間に気を遣い、ゆで上げたあと冷水で冷ます。中心に卵黄がある美しい仕上がりにしたければ茹でながら転がして丁寧に面倒を見なければならない。ゆで加減を指定されると温度と時間の管理が難しかった。


 特にむかついたのは殻が全然剥けないことだ。苦労して剥き上げた玉子がデコボコしているのを見ると余計腹が立つ。小さな穴をあけて茹でると面白いほどきれいに剥けたのは良かった。最初からそれを教えればいいんだ。そう思うとむかつきがぶり返してくるが、ピホポグラッチウォーリア2世に腹が立つのはこれに始まったことじゃないと折り合いをつけることが出来た。



 ********



 一週間ぶりに来た魔女イムガルダの毒壺は相変わらず美しく、なんとなく安心する。妙なことに毒壺は俺にとって心安らぐなつかしい場所になっていた。

 いつもの休憩場所でピホポグラッチウォーリア2世は珍しく丁寧に魔術式を地面に描いた。まだ魔力を流してない、棒でただ描いただけの状態だ。


「何をするんだ?」


「いいかい、アスレイヤ」


 そう言うなり魔力を練り上げ術式を描き始めた。今までで一番精緻で繊細で美しい魔術式だ。凛と背筋を伸ばして魔法を行使するピホポグラッチウォーリア2世は清浄な空気を纏っている。

 いつもこのくらい真剣に取り組めばいいのにと、俺は思った。


 そんなことを考えていると術式から光が溢れ辺りが真っ白になった。俺は目を開けていることができずに細く眇めて原因を探った。多分俺は今、酷い#表情__かお__#をしているだろう。



 ――― 私に何か御用かね、人の子よ



 突然、頭に澄んだ声が届いた。

 はっとして顔を上げるともう眩しくはない。ただ目の前に見たこともない大きさの鹿のような獣がいた。枝垂れた大樹のような二本の角は立派な枝ぶりで、花でも咲きそうな勢いだ。真っ黒の大きな眼に知性の煌きを宿している。


「すごい……異界の獣だ。本当にいるのか……」


 お伽噺の中で活躍し、子供たちが憧れる 夢みたいな獣達だ。異界とは 圧倒的な力を持つ者達が棲む世界だといわれている。召喚によって彼らを呼び出し行使できると古典に記されているが、研究しようにも手がかりとなるものが少ない。ただのお伽噺だと異界の存在が完全否定されなかったのは、稀に召喚を成功させる者がいるからだ。


 俺が言葉を失って呆然としている傍で ピホポグラッチウォーリア2世がのんきに失礼なことを言っていた。


「呼び出しといてなんだけど……これといった用はないんだ」


 ――― おまえはいつもそうだ。そこの小さい方は……誰かを連れてくるのは初めてじゃないか、紹介くらいしてくれるんだろうね。


「彼はアスレイヤ。俺の、ええと……雇い主で…… ……」


 ピホポグラッチウォーリア2世が何か言ったようだが俺は聞き取ることができなかった。ふっと笑う気配がして、ふたつの大きな眼が俺を見た。


 ―――それはけっこう。私は安心したよ、どれ帰るとしよう。


「せっかく応えてくれたのに速攻で帰らせてすまないな」


 ――― いいさ、魔力を削るのはおまえだからね……そうだ。


 ――― コダイサマは残念だった。でも、私は感謝しているよ。


「……伝えておく」


 俺には全く意味の解らない会話だ。漠然と疎外感を感じながら異界の獣が消えるのを黙って眺めていた。

 清浄な空気が よく馴染んだ毒壺のものへと徐々に戻っていく。召喚の展開式が消えたころピホポグラッチウォーリア2世が口を開いた。


「異界では、彼らは姿を持たない」


「姿を持たない……?」


「喚び出すことで姿を得るんだ」


 そう言ってピホポグラッチウォーリア2世はしゃがみこんだ。俺はこれから何をするのか見当もつかないまま 彼が手袋を外すのをぼうっと見ていた。亀裂が走った白く長い指を地面に伸ばして、足元の泥をざっと掴んで掌に入れたあと、本当に何でもないことのような何気なさで言った。


「これが魔法」


 しゃがんだまま腕を高く上げて開いて見せた掌の上には、固く握り込まれて塊になった泥が乗っている。俺を見上げて笑ったピホポグラッチウォーリア2世は、今まで見たこともない、無邪気な子供みたいな目をしていた。


「召喚もこんな感じだ」


「意味が解らない」


「そうかな」


 今度は腕を下げ、膝のあたりに肘をついて掌を安定させると、泥の塊の周りに魔術式を描き始めた。


「で、これが付与魔法」


 掌の上に乗った土くれが震え始めた。ぶるぶると一際激しく揺れたあと、にょきっと二本の腕がはえ、二本の脚が飛び出し、ぐぐっと頭が押し出された。


「何…… なん、これは」


 目も鼻も口もない、形だけは人を模した土くれが二本の脚で立ち上がり、ピホポグラッチウォーリア2世の掌の上でぺこりとお辞儀をしたのだ。これが何かは知っている。


「ゴーレム……!」


「そう呼ばれてる」


「生きているのか?」


「どうかな」


「……」



 ―― 土くれに魂を吹き込んでゴーレムが出来ました。



 ふと思い出したのは、誰でも知ってるお伽噺の一節だ。

 俺は目の前で起きている出来事が恐ろしかったが目を逸らすことも出来なかった。凝視しながらも俺の視界は霞がかったように現実味がなく、首を傾げて見上げる土色のゴーレムをまともに見ているわけでもなかった。掌の上のゴーレムをぼんやりと見ながら、無邪気に無感情に生き物みたいなものを作り出す彼へ抱いた恐怖が去るのを待っていた。


「……魂が宿っているのか?」


 そんな疑問が漏れ出たあとから、また疑問が湧いてきた。


「魂とは何なんだ」


「魔法と似てるかもしれない」



 ―― 魔法は行使する者の魂を映すといわれています。



 そんなことを授業で聞いたことがある。


「あっ」


 ほろほろと、ゴーレムは崩れ落ちた。

 ピホポグラッチウォーリア2世の掌の上に小さな山を作った土くれが、はらはらと指の間から落ちていく。それを二人でぼんやりと見ていた。



「付与魔法で、何を付与したんだ」


「魔力を付与した。俺が分けた魔力で動く一番簡単なやつ」


「何故崩れたんだ」


「彼には祝福がなかったから」


「……祝福」


 俺はこの言葉が嫌いだ。

 14年前、シグレイスもベルメロワも領民皆が俺の誕生を祝福した。けれど今となってはどうだ、結局はその祝福が領民に燻る悪感情を再び煽り、母上を余計に傷付けている。


 ふと視線を遣ると、しゃがみこんでゴーレムだった土を見ているピホポグラッチウォーリア2世はとても寂しげだった。


「血も流さず苦痛もなく何の犠牲もなく生まれた。自らの危険を顧みず彼に生命を与えた者は一人もいなかったんだ。それが一番最初の、生き物が皆 当たり前に受け取る祝福だ」


「……貴様はただ、ほんの少し動く泥人形をつくった、だけだ。生き物をつくったわけじゃない」


 生き物を生み出すことは大変なことだ。種によっては生み出すと同時に死ぬものもいる。だから俺は、使い魔もゴーレムも簡単に作り出すピホポグラッチウォーリア2世に恐怖を感じたのだ。何も犠牲にすることなく、簡単に生命が作られてしまうのではないかと。


「生き物は、生命を生みだすために生死をかけるほどの犠牲を払う……はずだから」


「そうとも言える」


 だけど、とピホポグラッチウォーリア2世は言葉を切った。


「生死をかけるほどの犠牲を払ったために生命が生まれた。俺はそう考えることにしてる」


「そんなの どちらでも……」


 同じだろうか。

 どちらでも変わらないことなのに、何かとても重要なものが、ふたつを遠く隔てている。けれどやはり、ふたつは何も変わらず同じところに存在している。隔たりがあるというのに隔てているものが見えない、だから本当は隔たりは無いのではないか?

 俺はよくわからなくなった。



「ひと掴みの泥だよ」


 ぽつりと言葉を溢した彼の表情はわからない。


「魔法が?」


「そう……で、魂も」


 それが先程 俺がこぼした二つ目の疑問に対する答えの続きなのだと気付いた。


「人だけが、何でもないものに形を与えることができるんだ」


「人だけ? 本当に人だけなのか……?」


 俺は見るともなしに空中を眺めた。

 青白い淡く光る毒胞子がぽやぽやと漂っている。ゆるい風に乗って移動し、また漂ってどこかへ消える。


 言われてみればそうかもしれない。人はものを創って表現する。美術品や文章、美しい街並み、庭園、魔道具……手段は様々だ。特に優れたものでも、子供の作った些細なものでも、人の心を動かすものには何か魂の存在を感じるものだ。


 風が草を倒して痕跡を遺し、水が岩を削って形を刻み、音が砂の上に自身の姿を描く。鳥が求婚のために立派な巣を作ることもある。でも人は、心を描こうとするのだ。それらは様々な形で遺されている。


「魔法を行使するにあたって生命はその法の支配下……魔法の法そのものでもある。けど、魂は違う。魂に限っては、共通の支配者は存在しない。それが人の理で、ほかの種族に不可侵なもののひとつだ。もしかしたら同じような理を持つ種族もいるかもしれないが」



 ―― 土くれに魂を吹き込んでゴーレムが出来ました。



 この一節が また頭の中で繰り返された。


(魂を宿すことができるのだろうか)


 もしも誰かが人生を賭けて、渾身の力を振り絞ってゴーレムを作ったとしたら。


「ゴーレムが生命を宿すことはないとされている。だけど、もしも魂を得ることが出来たなら……不可能ではないかもしれない。付与魔法はそういう魔法だ」


「生命あるものが魂を持ち、魂あるものが生命を持つなら……可能かもしれないということか」


 俺は、自分で言っておきながら 全く理解できないでいた。


 互いに循環しているものの始まりなんて、きっと誰にもわからない。最初の一滴がどこから来たかを知る由もない。答えを出しようのないものはずっと曖昧なままだ。

 だが人は選ぶことができる気がした。同時にひどく傲慢な気もした。

 命を得て生まれた人は 選びようのないものを選び、曖昧なものに形を与え、そうして魂を得るのだろうか。





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