第27話

 薄暗い階段を降りると細い廊下になっていた。幅は3メートル程度、石造りの壁に彫られた美しいレリーフを眺めながら 燭台に所どころ火を灯しつつ進むと、ずっと先が突き当りであることが判った。歩けば足音が反響し、やけに大きく聞こえる。長い階段を降りただけあって天井が高く、突き当りには扉があった。




 扉を開くと、4人は山の稜線に立っていた。

 眼前に迫る星空に気を取られているうちに、背後にあった扉が消えた。ぐるりと見回しても 夜に塗り潰された山の峰がいくつも重なっているのが見えるだけだ。


「大胆に空間を無視し始めたわね……」


「んじゃ一旦ここで野営しような。今日は探索終了、お疲れさん!」


「それじゃ、結界は任せてくれ」


「……これ使えばいい っす」


 サークェンが出したのは魔道具の一つ、結界石だ。初めて市販のものを使うシルガは興味深く観察した。刻まれている魔術式はかなり良いものだ。これに魔力を流せば誰でも簡単に術式が展開される。一つあたりが高価で、結界範囲が狭いため複数個必要になり、何度か魔力を追加で流して維持しなければならないのが面倒なところだ。結界石を起動させるシルガの後ろでグイーズ達はテントの設営を始めた。幸いなことにこの辺りは地面が平らだ。実はシルガの収納鞄には一人用の自動結界付テントがあるのだが 今更言えなかった。


 第3階層で採った獲物で食事を作り、星の下でお茶を飲みながらまったりとしている。迷宮の外であれば今の時期なら雪が積もっているはずなのに、雪はなく寒いだけだ。見下ろすと森が近いので案外標高が低いのかもしれない。強い風や寒さは 結界である程度緩和されて過ごしやすくなっている。火の番をしていたグイーズが思い出したようにマジックバッグから草を二株取り出した。


「そうだピポっち、これ先に渡しとくわ」


「いいのか?」


「俺達が持っててもただの草にしかなんねえからよ、これは兄ちゃんの好きにしてくれよ」


 シルガは有難く受け取った。


「ありがとう」


 あと二日間、探索に付き合うことになっている。何も情報がない階層を探索するにあたって、戦闘にほぼ参加しないのは戦力的に厳しくなってくるはずだ。しかしシルガの魔法がどの程度のものか実際体感しなければ、慣れた3人の戦い方を崩してしまうだろう。


「明日からは俺も魔術師らしいことを少しはしようと思うんだ。戦闘で」


「ああ、今でも十分助かってるけどさ、そう言ってもらえると俺達も心強いってもんよ」


 その日は戦闘時の連携について話し合いつつ夜が更けていった。

 シルガは、眠る3人の気配を感じながら、テントの端っこで丸くなっている自分の状況が不思議だった。ルーンシェッド大森林で引き籠っていた自分の家にジスが訪ねてきてからというもの、今まで縁のなかった未知の事象が押し寄せてくる。外出するのも案外そう悪くもないな、と思っているうちに眠りに落ちていた。



*******



 普段よりも早めに目が覚めた4人が外に出ると、ちょうど日の出だ。しんしんと凍みわたる薄蒼い山が 黄金色の朝日を浴びて、生命が目覚める気配がした。

 山草の生い茂った尾根を下ると森があり、そのずっと下は谷だ。峰と峰をつなぐ稜線の少し低くなったところから、人が通るためにできた山道がなんとなくあるような申し訳なさで 尾根を裂くようにして緑が削れている。山に挟まれて出来た谷には まだ雲が薄く溜まっているのではっきりとは見えないが、川が流れているようで、家屋らしきものがある。ちなみに、4人が今見ている山の反対側は ごつごつした赤褐色の岩と切り立った崖が多く荒々しい。その向こうに聳える連なった山の頂は白い。


 4人は申し訳程度に出来た山道を進んで尾根伝いに山を下ることにした。


「迷宮探索に来たのになんだかおかしな話よねぇ」


「遭難したら転移で外に出るしかないっすね」


「ちょっとサクちゃん、遭難とかやだぁ!もう!」


「そういえば、一度外に出たらまた1階層からの探索になるのか?」


「だろなぁ……迷宮の中へは外から転移できないって、むかーしの記録に書いてあったぜ」


 つまり9階層の彼らは何度も往復していることになる。あの双頭の蛇を何度も倒すのはなかなかの根性ではないだろうか。


(マジックバッグの買い占めが起きてそうだな)


 素材になる獣の乱獲も起きそうだ。といっても魔法を使う凶悪な獣の革でないと十分な術式を刻むことは出来ないので、そう気軽に狩れるものでもないが。少なくとも取引値が跳ね上がることは想像するに難くない。


「……あれ」


 サークェンが何かに気付いた。遠目に見るに何かの獣だが判別しない。無心に草を食べているのでそこまで害はなさそうである。鑑定魔法の範囲に入るには距離があるため、気配を殺してこのまま進み 様子を見ることになった。

 近付いてみてわかったことは、大型の獣であること。ふかふかの毛玉から大きな耳が伸び、短いしっぽはツンと上を向いている。なんとなく既視感があるその獣はその辺に生えている草を手当たり次第に貪り食っている。4人が観察していると、耳をぴんと立ててこちらを見た。


「!!」


 ものすごい速さで突進してきた獣をエルザの槍が止めた。しかし獣の勢いは猛烈で、長い爪をしならせ槍を弾き 大きく開いた口から鋭い切歯を剥き出しにして襲い掛かった。斜め後ろに跳んで避けたグイーズの元いた場所は深くえぐれて穴が出来ている。臨戦態勢をとった4人に対峙した 2メートルを優に超える獣は、頭を地に伏せ鼻を鳴らして後ろ脚を激しく打ち付け威嚇した。興奮状態の獣の向こうで、仲間と思しき2頭が臨戦態勢でこちらを伺っている。あの強靭な後ろ足で地を蹴れば一瞬で跳べそうな距離だ。先程から鑑定魔法を展開していたシルガにグイーズが聞いた。


「ピポっちこれ、何か判った!?」


「キラビットだな」


「うっそ、アルティメットアサシンエクストリームキラビットとかじゃないの!?」


「いや、普通のキラビット」


「っふ、ウケるっす」


「ウケてんじゃないわよぉ!」


「こんな物騒なキラビット、居てたまるかっつーの!どうなってんの一体……」


 困惑するグイーズを余所に、後ろの2頭の魔力が動く兆しを感じたシルガは咄嗟に結界を張った。


「何か来る……!」


 ほんの数秒、遅れていたら危なかった。

 周囲が真っ白になったかと思うと、凄まじい轟音を立てて稲妻が4人を襲った。天の鉄槌のように狙いを定めて落ちた雷は シルガの突貫の結界を破壊して相殺された。後ろ足で地面を打ち鳴らす1頭の後ろに控えた2頭のキラビットが二本脚で立ち上がり、魔力を纏っている。


「あのコ達、魔法を…… しかも連携して合わせ技を使うんだわ……!」


「ピポっち、ほかになんか判る!?」


「ゴメン役に立ちそうにない。周辺住民の貴重なたんぱく源になってる普通のキラビットらしい」


「え、これ狩って食ってんの?」


「っふふ……村人総戦闘民族、ヤバ……っすね、ふふ、 っふ」


「いつまでウケてんのよ!」


 グイーズ達は武器を握りなおして対峙した。陣形を組んだ4人の真ん中で、シルガが身体強化を全員に付与した。


「分散させて大技を防ぐ!奴らの魔力連携には予備動作がある。ピポっちの結界範囲から離れすぎないこと!」


「後ろ2頭が物理で押してきても厄介っすね。魔法発動をちょっと邪魔する程度で後方の奴はおれが引くっす」


「それなら1頭ずつわざと逃して魔法を使わせよう。都度結界を張って防ぐから気をつけてくれ」


「頼むわよ!」


「気ィ引き締めて……いくぜ!」


 にわかに実践となった4人の連携はなかなか良かった。

 嫌なタイミングでサークェンがちまちまと矢を射て3頭の連携を阻み、1頭ずつ発動させた小規模の魔法をシルガの結界が防ぐ。その間にグイーズとエルザが1頭を片付ける。身体が大きく魔法を使うとはいえ慣れ親しんだキラビット、二人は的確に急所を突いてきれいに仕留めた。あとはもうその延長で、思いの外早く片付いた。


 シルガは きれいに倒された3頭を手早く解体しながら考えた。


 これでマジックバッグ作ったらいいかもしれない。

 見たとこ術式を十分に付与出来るポテンシャルがあるし、ふわもこの鞄を肩から提げたアスレイヤはきっと可愛い。


「グイーズ! この毛皮少し分けてほしい」


「ピポっち1頭分持ってったらいいじゃん、牙とか爪も。毎回解体してくれんの助かってんだわ」


「そうか、ありがとう」


 余りの毛皮でアスレイヤのフード付きケープみたいなの作ろう。


 嬉しそうに目を細めて笑ったシルガを見た3人は驚いて固まった。


「ピポッチったら、目の色変わるのねぇ」


「え……そんなにギラついてたか?」


「そうじゃなくて瞳の色よ。今は新緑みたいな色してるわ。金色のふちどりなんてゴージャスよぉ、素敵ね♡」


 少し身を屈めたエルザに覗き込まれながら言われてシルガは反応に困った。


「そうなのか? 自分の目なんて見ることないし、どう……あんまり興味ないんだ」


「色変わるの不思議っすね」


 シルガはなんと答えれば良いのかわからず曖昧に微笑んだ。ちらりとグイーズを見ると珍しく黙り込んで何か考えていた。



 その後4人はうかつに獣に近づかないよう用心しながら山を下った。低木がポツリポツリと目立ち始め、しばらく歩くと樹木地帯に入った。深い緑の森の中には沢がいくつもあり、湧き出した水が急斜を造った岩の上を滑り落ちている。見落としそうなくらいの申し訳程度でも 人が通るための道が整えられていたのは幸いだ。

 何度か休憩を挟んでみると、そこはとても気持ちの良い森だった。木々の間から漏れ射した陽が空気をやわらかく温め、土と草木と苔の匂いが、澄んだ水の匂いと合わさって心地よい。可憐な色をした花が控えめに咲いているのも心を和ませてくれた。


 急になり始めた勾配をなんとか下りきって4人が森を出たのは昼をとうに過ぎていた。グイーズ達は警戒しつつも逸る心を抑えながら、人の手を感じさせる石壁を目指した。


 そこはとても小さな集落だったようだ。だったというのは、遺された家屋のほとんどが木々に飲み込まれていたからだ。


 集落の周りをぐるりと囲った 石を積んでできた低い塀は、所どころ崩れ落ちて草の苗床になっていた。居住区よりも一段低いところを細い川が流れている。4人は川沿いで昼食をとり、目的もなく散策した。見上げると、集落の家の屋根越しに下ったばかりの山の峰が見える。家屋にはそれぞれ庭とちょっとした畑があったらしく、柵と置きっぱなしの農具が草に埋もれて朽ちかけていた。


 小さい集落ながらも川には石造りの丈夫な橋が架かっている。人がどうにか住める程度の狭い村の端まで行くと崖が聳え、滝があった。苔の生えた岩の間を流れ落ちる水が 白いしぶきになって蒼玉色の滝つぼへ注がれている。水の浅いところはターコイズ色に変化し輝き、二層になった青が美しい。どうどうと腹の底を揺さぶる滝の音が心地よく、水面がキラキラ光る様子は見ていて飽きない。妖精でも棲んでいそうな幻想的な眺めだ。


「ん……?」


 シルガは岩の隙間に生えている草に目を留めた。かがんでよく観察してみれば、やはりそうだ。


「これ、9階層で採取したあの草と同じだ。そこにも生えてる。向こうにも……」


「淘汰された古代の薬草じゃなかったのかしら」


「わからない」


 意識して見わたせばいくらでも生えている。せっかくなので研究用のサンプルとして数本採取した。


「家の方も行ってみようぜ」


「誰かいるかも、っすよ」


「いても怖いんですけどぉ……」




 雨風に晒されボロボロになった塗壁に蔦が生い茂り、青灰色の瓦で葺かれた屋根は破れ、家屋の中から生えた樹が好き放題に枝を伸ばしている。かろうじてくっついているだけの扉は腐って土になりかけていた。家具はそこそこ形を残しているものもある。そこから生活様式を想像するに、かなり古風な生活だ。今では見ることもなくなった日用道具が転がっているのをシルガは興味深く眺めた。

 何軒か見たところで、山間のいち民家にあるのが不思議なものを見つけた。


(…… … 読めないな)


 本である。


 箱の中に入れられて無造作に置かれていたのだが、手に取ったそばから崩れるようなことはなかった。なんとか開けそうだが心もとない脆さだ。ここで開くのは不安がある。


「すまない、持って行く」


 後ろめたさを感じて断りを入れ、シルガは家屋を離れた。




「おれ達、何しに来たんだっけ……っす」


「んなコト言わない。……まぁ何かさ、意味があるんだろうよ」


「ここは10階層ってことになるのかしら」


「どうなんだろう。けど、他の冒険者に会えそうにもないな」


 民家の間にできた細い道をなんとなく進んだ。

 ふと足元を見ると石畳だ。大半は剥げてしまっている。


「この辺は村の広場だったんだろなぁ」


「こんな小さな集落なのに、橋もそうだし、割と整備されてる」


 他と比べて開けたそこは、建物の痕跡があった。


「けっこうデカい建物……っすね」


 両腕で抱えるくらいの太さをした柱は崩れ、苔が生えている。


「ねぇちょっと見て!すっごい!」


 エルザに呼ばれた先には、葉を茂らせた大木が枝を広げていた。その幹は一本とは思えないほど太く、幹からいくつにも分かれた枝の隙間からは青白い光が漏れている。根元には、泥にまみれた鎧と折れかけの剣らしきものが転がっていた。



「あれ、なんっすかね」


 枝に守られるように抱き込まれ、幹の中で青白い光を放つ何か。


「……? 魔力……?のような、そうでもないような」


「ピポッチにもわかんないんじゃ、 !?」


「なんだ!?」


 大木を中心にして魔術式が描き出されたのだ。

 足元に浮き出た魔術式はどんどん広がり、煌々と輝く眩い光が辺り一面を覆いつくした。荒れ果てた広場は 時間を高速で巻き戻るように変貌していく。


「な……にが起きてんだ!?」


 眩しさに目を細めて警戒するグイーズ達4人は、いくつにも重なって脳を揺さぶる不気味な音が響くのを聴いた。




 ――― 何びとも赦し難し




 ガキイィィン!!



「グッ、」


 気配もなく繰り出された重い攻撃を 咄嗟に反応したグイーズの剣が受けた。


「らあぁぁ!」


 剣撃の音を頼りにエルザが突き上げた槍が 空を切る。確かに攻撃されているにもかかわらず、敵の姿を見るどころか気配すら掴めない。最後方でサークェンが警戒しているのを確認し、シルガは輝く魔術式を解析した、のだが。



(この術式は、魔法じゃない)


 すべてが言葉で構成された、詞で組み上げられた展開式のようなもの。


「これは……」


 ―― 呪いだ。




 眩い光に視覚を奪われていても、強烈に存在を主張するどす黒い渦に気付かないわけがなかった。

 4人の目の前に現れたどす黒い渦――それは背丈ほどもある大剣だった。先程の攻撃はこの大剣が仕掛けてきたのだ。扱う者なく宙に浮いたそれは、禍々しい殺気を纏って紅く染まった刃先をこちらに向けた。

 シルガは呆然とそれを見ながらなんとなく腑に落ちた。


「そうか、亡霊……」



 命を失い死さえも失くした、生命の理を外れたもの達。




 突然、視界が開けた。

 4人がいたはずの朽ちかけた広場は 小さいながらも美しい神殿に変貌していた。わけもわからず臨戦態勢をとっていたグイーズ達は更にわけがわからなくなった。

 荘厳さを取り戻して並んだ太い柱の間から、澄んだ空と草原、深い森、その向こうに山の峰が連なって見える。一面に茂って揺れる山草は、よく見れば花を咲かせた例の草だ。


 訝しむ空気の中、ガシャン、ガシャンと金属が触れ合う音が響いた。徐々に大きく響くにつれ、接近を感じた4人に緊張が走る。

 忽然と現れたその者は、大剣が放つ禍々しい殺意の奔流をものともせずに悠然と剣の柄を掴んだ。薄汚れた鎧を纏った何者かが攻撃的に剣を構えると、錆びついた鎧はかつての美しい姿となって神々しく輝いた。



「……ひょっとしたらこの階層、いや、迷宮自体が、亡霊だったりするかもしれない」


 シルガの言葉にグイーズは口笛を吹いた。


「つーことはよ…… 俺達は今、亡霊の、腹ん中!」


「いやあぁぁぁぁ上等よぉ!!」


「……来るっす」



 対峙したのは、宵闇色の鎧をつけた 顔のない戦士だった。




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