第12話

 ふ…… と、自分に身体があることに気付く。それは初めて呼吸をしたようであり、再開のようでもある。

 なんにせよこれほど飢えて目が覚めたのは初めてのことだ。


「おはよう、アスレイヤ」


「……おはよう」


 身支度を整えて階段を降りると普段通り朝食が用意されていた。だが昨日までとは格段に差がある。一言で言って、豪華だ。だがしかし。


「資金繰りを俺に任すから、お気楽に食費に全振りしたのか?」


「これは俺の責任というか……。おかげ様で調子がいいんだ。君を貪り喰った責任を取ってるだけだから気にしなくていい」


 つまり全て経費外だと。俺が家のカネを使うことに苦言を呈してきたくせに……と、思いはしたが、俺だけこんなに腹をすかせてピホポグラッチウォーリア2世が元気なのは癪だ。おとなしく席に着いた。


「いただきます」


 焼きたての柔らかいパンと ほんのり甘いかぼちゃのポタージュはとてもおいしかった。温野菜のサラダを咀嚼していると、挽肉のパイを切り分けてくれた。デザートの焼き菓子もある。ピホポグラッチウォーリア2世の作る料理はどれも美味しい。邸の食事より贅沢なのが謎だ。


「あの菓子は?」


「ガトーバスク。地方の名前が付けられている伝統的な菓子だよ。今回は練りパイで代用したが本来は木の実を粉末にして練り込んだクッキー生地で作る。中に入っているのは地方特産のさくらんぼ……ジャムだが、それとカスタード。あとで切り分けて、残ったのは昼のおやつに持って行こう」


 特産がさくらんぼ…… いいな。 

 美しい編み目で覆われた挽肉のパイはスパイスが効いてとてもおいしい。


「バスク地方なんて聞いたこともない。ティウォルトの片田舎か?」


 俺が尋ねると正面の席で食器を扱う手が少しの間止まった。

 そういえば……ピホポグラッチウォーリア2世の食事の所作は整っている。不快な思いをすることが一度もなかったから間違いない。


「……、……おとぎ話に出てくる国の、地方、……だな」


 ずいぶん設定に凝ったおとぎ話だ。


「どんな話なんだ?」


「いや、特にこれといって……。あ、魔法が存在しない」


「魔法が存在しないだと?」


 興味を引かれて更に尋ねた。この手のおとぎ話は魔法があって当然だ。魔法がないなんて、凄いファンタジーを考えたものだ。


「人間は住んでいるのか?どうやって暮らすんだ?文明はあるのか?」


「うんまあかなり……便利な世界だ。国によって差はあるが人は快適に暮らしてる」


 まるで見てきたことを思い出すような口ぶりだ。


「だが魔力が無いんだろ。全て人力なら文明にも限界がありそうだが」


「そう、だからエネルギーを……いつでも引き出して使える魔力みたいなものを作るわけだ」


「人工の魔力か!」


 すごいな。どうやって作るんだろう。と、思ったら声に出ていたらしい。


「火を燃やして生まれる熱を魔力にして使う」


「……それじゃ途方もない量の薪がいるだろう」


「だから別の燃料を探し求め……ついに、危険で安全な燃料を手に入れた。扱いを間違えると人の手に負えなくなるが、きちんと管理している限りは効率よく魔力を作ることが出来る」


「なんだつまらん。所詮おとぎ話か。そんなの都合よく存在するものか」


「管理出来てる限りは便利なんだよ。……ま、ゆるい自爆誘導装置みたいではあるな。俺も魔道具作るときは利益か不利益をちらつかせて自爆に誘導する機能を付けることもある。他人に渡したくない魔道具には大抵………なんの話してたっけ」


「…………」


 切り分けられたガトーバスクはとびきり美味しかった。丸く蓋をしたパイはさっくりと焼き上がり、施されたシンプルな模様が黄金色に浮き出て美しい。ナイフを入れると、甘さを抑えたカスタードがさくらんぼの砂糖煮をやわらかく覆い しっとりした層を作っている。優しげな色をしているこのカスタードクリームは、脳を蕩かしそうに刺激的な甘い匂いの酒で香り付けされているので、バターの香りと相まって もはや夢見心地だ。さくらんぼの濃い甘さにくらくらしながら幸福を享受すれば、ほのかな酸味がすっきりとした目覚めをもたらしてくれる。


(……おいしい。本当に謎だ)


 俺はせっせと食べながらおとぎ話の世界を思った。

 その”魔法が存在しない世界”は、誰かにとって、”他人に渡したくない世界”、なんだろうか。


 ピホポグラッチウォーリア2世は やはりどこか曖昧な存在に見えた。



***



 ティウォルトとエルドランの国境を守るベルメロワ辺境伯領、その東側にあるのがシグレイス、我がエインダール家が治める伯爵領だ。ベルメロワよりも小さいが王都に近く、豊かだ。魔道具の研究・開発が盛んで、どの領よりも魔道具が身近な生活に馴染んでいる。――何故か。


 エインダール家は優秀な魔術師の血統で、領民もそれを誇りに思っている。それゆえに、魔法をうまく使えない領民は貴族でも……貴族であるからこそ蔑みの対象になるのだが、優れた魔道具を開発すればそこそこ敬意を払われるようになるからだ。

 国境防衛では武勇に秀でたクアトラード家と並ぶ重要な役割を持つ……のだが、そのクアトラード家との間には親から子へ代々引き継がれた確執がある。

 二家の最大の敵はシエカート公爵――ヴァストリ家だが今はそうでもない。公爵領はここ何代かの領政が特に酷く、荒れ果てていた。外に敵がいない、そうなると内の目障りな奴が余計目障りになってくる。それぞれ魔術士と騎士、多くの貴族に影響力を持つのだ。本家が望んでも望まなくても自然と二家の対立は激しくなった。


 父とベルメロワ卿は共に王都で学問を修めた。二人は対立することが多く、周囲もそれを煽った。二家の対立は一人の淑女の登場でさらに激しくなった。最終的にその女性が 今のベルメロワ辺境伯夫人になったことで終わったのだが、あまりに激しく争いすぎたことを双方反省してかしばらく平穏な時が過ぎた。

 平穏すぎるのもまた問題で、一向に伴侶を得ようとしない父に焦れた周囲は強引に父の結婚を進めた。二家の対立によって育てられた領民達の対抗意識は双方そう簡単に収められるものではなかったが、エインダールとクアトラード両家の和解と友好の証として、ベルメロワの貴族――クアトラード家の分家から伴侶を得たのである。それが俺の母だ。


 それから数年で俺が生まれた。第一子の誕生は両家からも、両領民からも祝福された。だが俺は、扱える魔力の極端な少なさから魔法の才能がないということが早くに判明した。シグレイスの領民は優秀な魔術師の血統に誇りを持っている。俺がエインダールの名に相応しい魔術師でないことは母への、更にクアトラード家、ベルメロワ辺境伯領領民への悪感情を再び呼び起こした。

 そこにきて弟の存在が発覚した。しかも母親が違う。更にその女性はシグレイス伯爵領の没落した貴族の末裔――庶民の女性だ。そして弟には、非凡な魔法の才能があった。これ幸いとばかりに父は邸に弟達を住まわせ可愛がっている。


 エインダールの血統を穢した女、それが母への周囲の評価だ。それはベルメロワの領民の反感を招いたが、だからといって母を労わるでもなく魔術師として才能のあるを望み、叶わぬことに失望した。


 俺付の家庭教師や世話係は皆、弟に仕えたがっていることくらい気付いていた。俺は見向きもされない存在だが、カネと権力で全て片付けることが出来る。それが理不尽な我侭でも、過剰な奉仕や敬意でも、名乗れば思い通りだ。


 俺の周囲の者は皆、俺の背後にあるものに跪いている。弟が家督を継ぐとなったら、彼らが掌返しの華麗さを競い、親切かつ有難い説教をしながら俺を糾弾し罰を与える様を見るのがのちの楽しみである。それまでせいぜい俺のでもないものにひれ伏し、俺に言われるままに、言い訳できない程の愚かさで服従していればいい。あとで何を言ってこようと彼らの言葉は言葉になり得ないただの音でしかない。まあ今だけのことではあるが、だからこそ、存分に楽しむつもりだ。

 学問も剣の稽古も放り出し、他人の力を笠に着て好き放題に過ごすのは愉快だった。



*****



「あっ! ……失敗した」


「怪我はないか?」


 割れた採取瓶と採り損なった毒胞子を呆然と見ていると、ピホポグラッチウォーリア2世がひょいとのぞき込んできた。


「慣れた頃が失敗しやすいんだ。でもそのおかげで失敗時の対処法を実践できる。覚えてるかな」


 放たれた胞子がポヤポヤと青白く光って周囲に広がっていく。その様は幻想的で美しいが、毒だ。俺は無言で頷いて以前説明された手順を思い出しながら実践した。


「さすが、よく聞いてたな」


「おい……手がしびれるぞ」


「この毒ならその程度吸い込んでも大丈夫。放っておいてもそこそこ平気な毒とその量、即対処必須の毒か、その辺の判断が出来るようになれば毒採取も一人で行けるよ」


「目がじんじんしてきた」


「ソロ活動なら即撤退するところだ。……少しずつ耐性を付けよう」


 俺はしばらく突っ立ったまま痺れが収まるのを待った。

 静かだ。生き物のたてる音さえ静寂の支配下にある。


 俺達が薬草採集をしていた湖はウィッツィの湖と呼ばれている。太古の昔にウィッツィという名の精霊が棲んでいたらしい。その奥に広がる岩と岩に囲いこまれて生い茂った毒の森は、魔女イムガルダの毒壺、だそうだ。意外なことに毒壺の中はとても美しかった。


「アスレイヤ、平気か?」


「……休憩する」


 俺がそう言うとピホポグラッチウォーリア2世は一瞬で結界を張ってしまった。これで獣に襲われる心配もなければ、放出された毒に気を配る必要もない。手近な岩に腰かけるとお茶を渡された。


「痛みがなかなか引かないようなら言ってくれ」


 こんなところで優雅にお茶ができるなんて贅沢なことだ。


 鬱蒼としたこの森は陽が差しこむ隙が無い。粘菌類は倒木に群がりその命を余すことなく吸い尽くしている。足元はしっとりと苔に包まれ 歩けばさくさくと音がした。水分を含んだ空気は微量の毒を吸っているので、ここに居るだけで体力が削られていく。

 これだけでは薄暗い陰気な森かと思いがちだがそんなことはない。毒壺の中は鮮やかな色に満ちている。が、その色は個性的だ。小さな虫達は青緑の光を纏い ゆるく点滅しながら薄暗い森の中を飛び交う。至る所に生えた苔のようなものから飛び出た花は、赤や橙、黄色や紫……気まぐれに色を変えては淡く発光している。ナイトランプのように周囲を明るく浮き出す、大きな袋状の花もある。


 この森は珍しい色と形をした植物と粘菌類の宝庫だ。時折姿を見せる生き物たちは不気味な姿をしていた。ここで暮らすものは皆、魔女の毒壺の中で交わり淘汰され、生き残ったものたちなのだ。


「ほら、アスレイヤ。あれを」


 指された先には大きな赤紫の花をつけ、トゲトゲした鱗に覆われた植物――リザードラフレシアがいた。近づいた熱に反応して攻撃し、獲物を捕らえ喰らう珍しい半獣植物だ。毒嚢、強酸性の液体を分泌する胃、魔法を反射する鱗や棘なども採取対象なのだがCランクの上位案件になる。魔核と呼ばれる心臓部近くに甘い実をつけるんだ、と教えてくれた。……ピホポグラッチウォーリア2世は食べたことがあるんだろうか。


 ぼんやりとそんなことを考えていたら、生ぬるい風が頬をなでた。するとざわりと森が揺れ、植物達が一斉にふくらんで弾けた。


「すごい、 すごく……きれいだ」


 花という花、そこらじゅうの植物も粘菌類も、光を纏って次々と毒を放っている。放たれた毒は様々な色と形状で、星がきらめくように淡く発光し、ゆったりと空を漂い消える。


「しばらく動けないな。このまま昼にしよう」


 思わず立ち上がって見入った俺の後ろで ピホポグラッチウォーリア2世がそう言うと、結界を更に描き足し強化した。本当に一瞬のことなので何をしたのかさっぱりわからない。奴が魔法を使うのを見ると いろいろとバカバカしく思えてくる。


(いったい何が俺を苛立たせていたんだ)


 学院で、あの邸で、シグレイスで、世界中のどこでも、俺が見向きもされない存在だろうと何も問題ない。

 今となっては、理不尽に投げつけられた他人の無責任な感情にいちいち影響されていたという事実こそが俺の人生における汚点だ。



 薄暗い森を青白く照らす、人の使う明かりとは異質な光源達は、時折吹く風の姿を明らかにしてはまた方々に散っていく。毒が放つ光を受けて、新緑の色をした目が楽しげに俺を見た。彼の双眸は深い緑になることもあれば金色に近い緑になることもある。瞳のふちがくっきりと黄金色になっているので、まるで金環にはめ込まれた新緑色の宝石だ。本人はきっとそれを知らない。


 ピホポグラッチウォーリア2世は矛盾の塊だ。

 何者にも干渉させない揺るぎなさがこの男を曖昧なものにしている。

 だが俺は、彼の心をわずかながら預かっている確信がある。それは名も与えられずに俺に注がれているとはいえ、悪い気はしなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る