第47話 白き巫女

 ——放心状態の松宮は、掘り起こされた穴の中で目を見開いたまま、ぴくりとも動かない。

 目の前にいながら近づくことができない斗南は、何度も、何度も呼びかけた。


 しだいに松宮の白く濁った瞳が黒味を帯びていき、意識を取り戻した。

「と、斗南、斗南氏か? あれ? まだ穴の中か、あっ!」

 思い出し、慌ててめくれたスカートを直した。

「あれ? 服装が戻ってるぞ」松宮は辺りを見回して確認する。右腕はあるが、折れている。だが痛みを感じなかった。

「未だ幻覚の中にいるんだな」


「そうですね。そういえば僕も自分の体に戻ってますよ。今まで爺ちゃんの中にいたんですけど」

「そうか、でも良かったよ。ずっと音も声も聞こえなかったんだが、君の声は聞こえる」

「え? 僕は普通に聞こえてましたよ。体は自由にはできなかったけど」

「……見せられた幻覚はそれぞれ微妙に違うのか。いったい、この状況は何なんだ?」


 その言葉に、斗南は「それなんですけど……想いじゃないですかね。マチの時と同じように」

「伊予乃氏の時と同じ? ……ああ、なるほど。この幻覚——擬似体験は、あの女と同じ怒りや恨みの感情を私たちに持たせて体を乗っ取るため、ということか?」

 理解はした。が、本当にそうだろうかといぶかしんだ。


「斗南氏、あの女は『覗いているな』と言っていた。覗いていたのはたぶん豪切氏たちのことだ。きっと同じように幻覚の中にいるはず、とにかく豪切氏を探そう」


 そう言われても、と斗南は言葉に詰まる。

「心霊ナビだ。覗けば覗かれるだよ! きっと女を通して私たちの意識は繋がっている。君は私を見つけたじゃないか。どうやった?」

「特に……何もやってないですけど、先輩のことを強く思い浮かべて呼びました」

「ならそれだ」


 斗南と松宮は豪切の姿を思い浮かべてその名を呼んだ。

 再び景色は飛び、二人は豪切のもとへ——。



 豪切は診療所の前で仰向けに倒れていた。

 松宮と同じように放心状態だったが、斗南たちの呼びかけで意識を取り戻した。


「二人が無事で何よりだわ」

 豪切は辺りを見回し、幻覚だったとは知りながらも、自身の身なりを確認した。


「まあ、いろいろ無事ではないんだが……それより、何だかちょっと見ないうちにやつれたんじゃないか?」

 松宮は冗談ぽく言っているが、その表情は硬かった。

「ええ、心身ともにボロボロよ。助けれくれてありがとう……そろそろ決着をつけないとな」

「でも、まだ幻覚の中なんです」言った斗南に、「ええ……そうね。任せてほしい」と豪切は、斗南ではなく、松宮でもなく、二人の後ろを睨みつけた。


 その視線をたどり、二人は振り返った。

 青白い光を纏った八枝子の思念体が立っていた。

「うわあ、いるじゃないか?」

 慌てる二人の間を通り、豪切が前に踏み出した。

 そして、目を閉じてゆっくりと前進する。


「ああ、兄様の言うとおりだ。私はなんて未熟者なのか。雑念だらけだ」


 大きく深呼吸をする。


「二人に助けられなければ、死ぬまで幻覚の中だったろう」


 思念体の八枝子が奇声を発すると同時に、豪切はその想いを聞いた。


 邪魔をするな……邪魔を、しないで……来るな。


 ビリビリと空気が振動するような圧力を感じる。松宮は耳をふさぎ、身をかがめた。

「待て、豪切氏! 行くな、危険だ」

「待ってください先輩!」


 バシンバシンと、見えない何かに全身を弾かれながらも、豪切は歩みを止めない。

 松宮は目を細め「豪切氏——」そして必死に「さざめ! 待てよ——さざ!」


 ! 豪切は足を止めたが振り返りはしなかった。だが、思わず口元が緩んだ。


「いきなりあだ名だなんて、少々照れるよ——」


 切り刻まれ、長さの揃わないバサバサの黒髪が、ざわざわと揺れ始める。

 全身も、その心も傷だらけで、何度も諦めた。

 立ち上がれたのは、自分一人の力ではない——。

 

 その黒髪が、先端から光を当てられたように白く染まっていく。


 真っ白に。


 来るな来るな来るな……来ないで……坊やを——、


 坊やを返して。



「八枝子——こういう時、兄様ならこう言うだろうな」


 その白髪がさらに輝きを増す!


「同情はするが、同調はしない!」


 鋭い眼差しが八枝子を射抜く。


「ついはあっ!」


 その瞬間、斗南たちが、景色が、思念体の断末魔すら、全てが白く消えた。




 ——研究所二階、八枝子の思念体がいた部屋の、壁も屋根も爆発でもあったかのように吹き飛んでいた。

 思念体も消えていたが、対峙していたはずの豪切の姿もなかった。

 爆風に吹き飛ばされた豪切は、研究所一階の外、荒れた草むらに横たわっていた。




 ——ううううううう。八枝子が唸りながら、ふらふらと、斗南と松宮から後ずさる。

「ぐうっ、あ、ううう、腕の痛みが……戻った」

 松宮が、激しく痛む折れた腕を見ながら言った。

「は、はい、戻ってます。戻ってますよ先輩」

 斗南は辺りを見回した。


 豪切が思念体を浄化させたと同時に二人の幻覚も消えていた。

 ガクリと両膝をついた八枝子を見て、松宮が「お兄さんの——」

 儀式が終わったんじゃないか? そう言おうとしたが、村の方に気を取られて言葉が出なかった。

 斗南も村の方に視線を移す。


 複数の、緊急車両のサイレンが聞こえる。

「パトカーに、救急車? 近づいて来ているんじゃないか? 見ろ、あの警告灯の数。ほら」

 松宮が興奮気味に言う。


 東の空が明らむ中、二人が見下ろす村に、複数の緊急車両が近づいている。

「良かった。上手くいったんだ」

 と斗南。

「もしかして、君が呼んだのか? どうやったかわからないが、まだ気を抜くな。終わってないぞ。女はまだ目の前だ」

 松宮はワイヤーカッターを片手に、八枝子を睨みつけた。




 そして、桜紗たちが行なっていた『成浄魂祓じょうじょうだまはらえ』の儀も、ようやく終わる。


「ようやく覚醒したか、さざめ!」

 桜紗は流血で濡れる顔も拭わず、一拍打つ。

「さあて、しまいだ! 八枝子!」


 ——眠れ!


「ちてやああっ!」


 ひざまずき、鋭い気合の声を発し、高く上げた両手を振り下ろし八枝子の亡き骸に押し当てた。


 穴から、間欠泉かんけつせんのごとく大量のどす黒い血液が噴き出し、桜紗と紫桜を飲み込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る