第39話 思念体

 ——広場では桜紗と紫桜が、すでに祭壇を作り終えていた。とは言え、それは祭壇とはとても言えない。それに似た物、と言うべきものだ。

 掘られた穴の底に、頭から胸の辺りまでだが、八枝子の亡き骸が確認出来る。

 その穴を中心に四角く囲み、自分は東に立つことになる。紫桜はその横に並び正座する。

 

 これから行う儀式は、『成浄魂祓じょうじょうだまはらえ』の儀。

 これは六魂神道における、魂浄化たましいじょうかの上級念唱だ。

 この儀式は『念唱』の全文字数、正確には五千八百三十一字を五度唱え、一拍、七度唱え、二拍、さらに三度唱え、一拍することで完結する。


 同時詠唱どうじえいしょうすることで時間短縮を考えていたが、加賀島がいないいま、二人とでやるしかない。


 正座する桜紗は、先ほど方角を確かめるために使用した携帯アプリを閉じ、『しえ念唱』と名のある音声ファイルを画面に表示した。

 これは『成浄魂祓え』の儀を行ったしえの声を録音した音声を携帯から流してを使うためだ。

 これならば三人分、一度の同時詠唱で三度唱えたことになる。



 音もなく辺りが陰る。

 今まで月あかりで明るくなっていた広場が、再び闇に包まれていく。

 厚い雲が月を飲み込む。


 二人は消していたヘッドライトのスイッチを入れ、姿勢を正した。

 呼吸を整え、目を閉じる——。

 穴を囲むのは、村で行われていた『祟り鎮めの儀式』で使われていたと思える木片を、等間隔に立てただけ。長さもバラバラで灯火も無い。

 正装することも出来ない。

 せめて、川で体を清めようかとも考えた。盛り塩も供物もない。使用する小道具はポシェットに詰め込めた物だけで残りは車の中だ。しかし事は急を要する。それらに費やす時間は無かった。


 桜紗が『しえ念唱』ファイルをタップする。

 無い無い尽くしの『成浄魂祓え』の儀が、今、始まった。




 ぎし、ぎし、と軋ませて、折り返し階段を三人はゆっくりと上る。それを制止させる八枝子の声はなかった。

「先輩、体は本当に大丈夫ですか?」

 斗南の心配に問題ないと豪切は答える。

「お兄さん、儀式を我々が見てはいけないと言っていたよな……豪切氏、先に言っておくが、思うところがあるなら好きにやればいい。私たちのことはかまうな。だから絶対諦めるなよ。最後までやり遂げろ」

 豪切は深くうなずいた。

 斗南は二人の会話を思案顔で聞いていた。


 階段を上るとT字になっている。左右に廊下が伸びていた。

 二階は居住スペースのようで、いくつか扉が並んでいる。



 左か右の通路のどちらか、そしてどの扉か——しかしそれを確かめる必要はなかった。

 左へ伸びる廊下の突き当たり、左側のドアが異音を発して開き、八枝子が出てきた。

 その姿を見て松宮はハッとする。

 右腕の二の腕から下が無い。

 左腕だけが修復されていた。


 斗南が八枝子を睨みつつ、松宮の耳元でささやく。

「先輩は豪切先輩と一緒にいてください」

 は? 松宮は眉をしかめ、何かを言おうとするが、それより先に豪切が「二人とも、ここにいてくれ」と言い、ワイヤーカッターを構えた。


「すいません! 豪切先輩」

 言って、斗南はきびすを返して階段を駆け下りて行った。

「と、斗南殿?」

 おいおい、と松宮と豪切が目を見合わせる。

 豪切が松宮に斗南を追うように言う。

「あ、ああ、分かっ、! 来るぞ! 後ろ」

 八枝子が向かって来ている!

 豪切は向き直してワイヤーカッターを振りかぶる。「くらえ!」——しかし、空を切った。

 八枝子がすんでのところで消えた。


 ——消えた?


「まずい、あのバカ。豪切氏、私は行くよ」

「ああ頼む。これを、これを持っていってくれ」

 松宮にワイヤーカッターを渡す。

「調べ終わったらすぐに行く」



 斗南はそのまま洋館を飛び出し、広場とは逆に進んだ。

 松宮は斗南の放つ光を追った。急に走らされたことで右足首の痛みが甦ってきた。


 はあ、はあ、はあ、はあ。



 ——八枝子の気配はなくなった。

 やはり囮になったんだと、豪切は斗南の意図に気づいて、急ぎ八枝子の出てきた突き当たりの部屋へ入った。

 六畳ほどの部屋、タンスなどの家具と窓際のベッドだけが残されているだけで、他にはなにもない——いや、いた。


 八枝子がベッドに寄りかかり、足を前に投げ出した格好で床に、べたりと座っていた。

 全身が、ぼんやりとした青い光を帯びている。

 薄い? 体が透けているようにみえる。

 様子もおかしい。気がふれているような、口をだらしなく開けて、時折り笑うが視点は定まっていない。


 これは桜紗の言っていた抜け殻であり、抜け殻の思念体だと豪切は直感する。


 服装は白い浴衣のような、寝巻きなのだろうか。

 近づくと、その体が透けているのがよく分かる。

 こちらだけでも完全に浄化する。豪切はすぐさま、その前でひざまずき、念じ始めた——。




 松宮が崖下を覗き込み、すぐに距離を取り、戻った。

「……これは逃げ道無いな」

「すいません。行き止まりなんです。豪切先輩のところに戻ってください」


 儀式を行う広場へは行けない。豪切の邪魔をしたくもなかった。森の中は周りの全てが凶器になる。こっちに来るしかなかった。

 松宮は「豪切氏は一人で平気そうだ。なんか口ぶりもいつもより頼もしくなってるし。逆に君は一人でどうする? でも度胸あるじゃないか。死亡フラグ立ちまくりだけどな——」と斗南の肩に手を置き、「——私の」と心の中でつぶやいた。

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