第26話 八枝子

「お札が光るって、どう言う原理なんだ?」松宮も、斗南もただただ目を丸くしている。


 豪切が、と身構えるも、桜紗は「そうではないが、来るぞ」と豪切の横を素通りして階段付近に集まる斗南たちのところにいき、加賀島に耳打ちする。


「あああ!」

 隣にいた紫桜が突然叫び倒れ込むが、とっさに加賀島が支えた。「ここは、ああ、なんてこと」見開いた瞳がカクカクと横揺れしている。


 視ようとしたわけではなく、岩壁に手を当てた時に、強烈な映像が勝手に頭の中に流れ込んできてしまったようだ。


 斗南たちが紫桜に気を取られている中、桜紗は気配に振り返る——通路中央に立つ豪切の背中越しに女が見える。

 すでに豪切と女が対峙していた。


「ついはっ」豪切の突き出した手に弾かれるように女が奥の壁まで後退り、狂気の表情を歪ませた。


 きいぃぃぃいいあああああっ!


 女が金切り声を上げる——それはまるでこの場の空気を振動させるようだった。

 壁がボロボロと崩れ、天井からはザラザラと小石混じりの砂が落ちる。


、さがれ! さざめ」

 桜紗が身軽に女と豪切の間に躍り出た。


 途端——どっ! と三つの牢屋の中から無数の髪の毛が、まるで波のように飛び出して豪切を、桜紗を、斗南たちの全身を絡め取る。

 しかし、巻きつく髪に動じることなく、桜紗は豪切を見据えて言う。


「お前は友達を助けろ」


 紫桜もまた、全身を髪の毛に縛られながらも念唱を唱え始めていた。

 そうしている間にも、絡む髪の毛の束は青黒く、鋭い爪を持った手に変貌していく——。

 さらに、もがく松宮の足元からは、ここ、こ、ここ、と声を発しながら、青白い影のような人型がずるりと出てきた。

 それは全身が青白く、その頭には唯一大きな口があり、並びの悪い汚らしい歯をカチカチと鳴らしている。


 青白い人型が、こ、こここ、ここここ、と声を発し、ペチャリペチャリと足音を鳴らして迫ってくる——。


 そして青黒い手の爪は服の上からでも、ものともせずにつき刺さってくる——。

 

「てつ!」

 念唱を終えた紫桜が気合を込めて発した。


 風船が割れたような軽い破裂音とともに、紫桜たちを拘束する青黒い手が弾かれた。しかし一旦は離れたものの再び絡みついてくる。

「—— ヤヨメノヨビウヲンイラ タヌキオツ ホヨマ——ついは!」


 バン! 豪切の念唱で爆発するように、青黒い手と青白い人型が消し飛んだ。


「全員ここから出ろ!」

 豪切の後ろに位置していた桜紗が拘束されたまま言い放った。


 松宮は跳ねるように階段を上った。

 わたしもここに——豪切が言いかけたが、監禁場を出るように指示する桜紗に応えて加賀島が豪切を抱えるように足止めして、紫桜を連れて階段を上る斗南に続いた。

 それを追って、再び青黒い手と人型が湧き出してくる。


 桜紗は勢いを増したその手に、牢屋の鉄格子にはりつけにされているものの、鋭い爪は、皮膚はおろか、服すらも突き刺せず、とり囲む人型たちも桜紗には近づけないでいた。


「邪魔者はいなくなったぞ」女に言う。

 邪魔な奴らめ、殺す、殺す! 頭の中に声が流れ込んでくる。

 女と桜紗の顔はわずか数センチのところまで迫っている。


 ぐしゃぐしゃの長い黒髪が泳いでいる。首を傾げ、睨みつけるその目は血走っていた。服は闇のように黒く、間近で見ていてもその形がわからない。そこから出る筋肉のそげおちた皺だらけの細い手足は空中に浮いているようだった。

 その獣のような爪を生やした両手が、身動きの取れない桜紗にゆっくりと迫る。


じょう!」頃合いを見ていたのか、桜紗が手首を返し指を鳴らした。

 とたん、呼応して壁の四隅に貼られた札の表面が燃え上がり、逆さまだった文字が正しく現れた。


 同時に土蔵のなかで応戦していた斗南たちの目の前から、すうっと青黒い手も青白い人型も消え、五人は外に避難することができた。


「急に消えたぞ? どうしたんだ? お兄さんがあの女を倒したんじゃないか?」

 松宮は言うが、豪切は四隅に貼られた札の効果だと言った。

 その効果とは、札を貼ることで結界を作っているのだが、逆さ文字では霊体を結界内に通し、文字を正しくすることで閉じ込めることができるものだった。

 

 憎い憎い憎い——邪魔な奴め邪魔な奴め邪魔な奴め——。

「そういうな。色白同士仲良くしようじゃないか」

 口角をあげ「それにしても随分遅かったんじゃないか? おかげでいろいろ知ることができた。しかし、この場所はいとうか——」

 余裕の笑みで、そう言った桜紗の髪の毛一本一本が、生気を奪われていくように白くなる——輝き始める。


「——辛い思い出を覗かれるのは嫌なのかい?」


 女が雄叫び、桜紗の首を握りしめる——。

「なあ、八枝子」桜紗はあえてその名で呼んだ。

「お前は本当に斗南くんを——我が子を殺したいのかい?」

 女の締める力がわずかに鈍る。


 刹那、「ちてやっっ!」

 桜紗も叫び返す。


 振動をともなう重低音が響き、拘束するものが、取り囲むものたちが粉々に消し飛び、女も後方に飛ばされ、通路の壁にめり込んだ。


「やはり、お前は八枝子か! ここで一つ、決着をつけようか」

 札を二枚取り出して、頭の先からつま先まで白く染まる桜紗が八枝子に迫る。


「ナチチメニヤヲヨイ ヤンヨノツキオヌヲ タキワヘン——ちてやあっっ」

 札を持つ両手で八枝子の腹と胸に、さらに追い討ちをかける。


 おごおおおおおおん。


 目を見開き大きく口を開け、強烈な唸り声をあげて八枝子の身体は四散した。


 その振動は監禁場はもちろん、土蔵全体に及ぶ。

」言って桜紗は階段に向かうが、すんでのところで天井が崩れ、階段が埋まってしまった。


 地上への逃げ道が閉ざされた。

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