1-2 自己紹介、そして世界の終焉


 自己紹介が遅れた。

 

 俺は中本才雅なかもとさいが。前述の通りこの春から都内の外資系コンサル会社に就職する新社会人だ。

 大学も無事に卒業。学生時代に住んでいた部屋も引き払って、就職先の借り上げ社宅への引っ越し作業もつい先日終わった。(社宅には家具が備えついていたため、不要な物は実家に送り返し、純粋な俺の荷物はかなりコンパクトになった)

 

 入社まではあと1週間ほど。

 今日が社会人になる前の最後の飲み会ということになるかもしれない。


 ……そんなふうにちょくちょく飲み会の話が出てくるが、別に俺は元から友人が多いかと言われればそうでもない。


 律儀・勤勉・目つき悪い。


 これは俺がされる時の【3大キーワード】だ。


 前2つについては、まあ誉め言葉とも取れるが、後ろに『w』がつけば一気に皮肉へと変わる。

 

 ラストの1つ『目つき悪い』はこれはもう諦めている。生まれもっての吊り上がった三白眼で、表情の変化もどちらかと言えば少なく、【けわしい顔つき】を標準装備中だ。

 

 一応はそのことを気にしてるから前髪を少し長めに伸ばしている。

 しかしその結果『マフィアのカリスマ気取ってる若手構成員』みたいな例えをされて、余計に皆が近づき辛くなった時期もあったが……触れ合ってさえくれれば前の2つ【律儀】【勤勉】の性質があるので、


『見た目怖そうだけど案外優しいヤツ』

『イケメン風だけど真面目で女に興味なさそうだし、実害トラブらないからいっか』


 などと。

 生きていく上でほど良いポジショニングを学生時代には確保することができた。


(ただひとり、江花晴海えばなはれみだけは最初っから俺のことを一切物おじせず、むしろ気の知れた子どもと触れ合うような無邪気な態度で接してくるが……まあそれについては【幼馴染】という関係以上にヤツのによるところが大きいだろう)

 

 真面目で勤勉家。

 成績も優秀でちょっぴりを発している一匹狼。

 

 まわりからそんな評価を受ける俺には。

 だれにも言っていないひとつの大きな〝秘密〟がある。


「………………」


 みんなが飲み会で盛り上がっている中。(晴海は俺の忠言どおり、別のテーブルでわあきゃあとはしゃいでいた)

 

 座敷の隅っこで俺は注意深く周囲を見渡した。


(大丈夫、だれもいないな……)

  

 ポケットからスマホを取り出して、ロックを解除する。


 その壁紙になっているのは――


 


 時を代表するトップアイドルの肖像画しゃしんだ。 

 シンプルな白いドレスを持ち前のスタイルの良さで完璧に着こなして、夜の海辺にたたずんでいる。

 下がり気味の眉に、つんとした猫目。

 口元は何かを言いたげに微かに開いている。そこからは今にも潮騒しおさいと共に奏でられる神秘的な歌が聞こえてきそうだ。

 黒いストレートヘアには海と同じ色のインナーカラーが入り、潮風になびいている。

 右上の空には満月が浮かんでいるが、その美光と見劣りひとつしない輝きを彼女ははなっている。


 幻想的ミステリアスな雰囲気をまとっただ。

 

「っ……!」


 はっ、いけないいけない。

 思わず口元がニヤけてしまった。だれかに見られていないかあたりを見渡したが……みんなは会話に夢中で、隅っこでひとりスマホをいじる俺のことなんて気にも留めていなさそうだった。


 俺は手で顔を隠しながら、ふたたび携帯の待ち受け画面に目をやる。そしてふたたび頬が緩んでいく。


 そう。

 だれにも知られていないとある重大な


 ――俺は【月城なゆた】の熱烈なファンなのであった。

 

 隠しているのには理由がある。

 なにせ俺の人生はアイドルという存在とはだったからだ。


『中本って真面目で女に興味なさそうだよな』


 明確に語尾に『w』をつけてそんなことを言われたことは数知れず。

 芸能? ゴシップ? そんなものは知らん。俺には目の前にオイラーの等式と孔子が残した名言、そして漱石全集さえあればいい。

 そんな勤勉一直線な自分が【アイドル】にハマるとは俺自身もまったく思ってもいなかった。

 しかしそうなってしまったものは仕方ない。もともと凝り性だった俺は【月城なゆた】という存在に徹底的にハマりにハマった。

 

 出演作品はすべてリアルタイム視聴&録画で目に焼き付け、掲載雑誌はバックナンバーもすべて取り寄せ記事収集スクラップしてある。

 グッズやCDは鑑賞用・保管用・保管用・保管用・保管用の5つを購入している。

 ファンクラブにも入り、ライブには全国各地すべてに駆けつけた。

 【アイドルオールスター総選挙】の投票券には、バイトで稼いだ俺の全財産を突っ込んだ。むしろそのために複数のバイトを掛け持ちしていたと言っても過言ではない。


 ――すべては月城なゆたのために。


 ここで俺の人生における〝仕事〟の立ち位置に戻ろう。

 つまり俺は、人生を賭けた推しアイドルである彼女への〝お布施〟を増やすためだけに給料の良い企業へ入社することを決意したのだ。


 ――俺の世界は今この瞬間もキミを中心に回っている。

 

 なんなら早いところ飲み会を切り上げ、年末ライブのブルーレイ映像をモニターで再生→特製イタ法被はっぴとハチマキ姿でウルトラオレンジ U O ・サイリウムを振り回したいくらいだ。


『ねえねえ、こいこくみたー?』

 

 ふう、と画面上の【月城なゆた】の美貌に感嘆の息をついていたら、そんな会話が隣のテーブルから聞こえてきた。

 

 恋告こいこく――先日公開されたばかりの『恋し告られ、』という月城なゆた主演の映画だ。

 どうやら質問されているのは我が幼馴染・晴海はれみであるらしい。


 彼女は日本酒をとっくりのまま握りしめて左右にふらふらと揺れている。相当にアルコールが回っているようだ。


「あ、うん~。で見たよ~」


 なに! 晴海のヤツ、あの超高倍率の試写会に当たったのか⁉

 ちなみに俺は落選組だ。代わりといっちゃなんだが公開初日に大量の前売り券を映画館のチケット窓口に叩きつけて、朝の9:30の回から夜の23:00の回までぶっ通しで拝見した。感想を語ると軽く10万字を越えそうなので要点だけ記しておくとマジ天使。


「当たったっていうか、なんていうか~えへへ~」


 呂律ろれつの回っていない声で晴海が答えた。


『いいなー。あたしも応募したけど外れちゃった……明日友達と見に行くんだよねーめっちゃ楽しみ!』


 耳を澄ませば飲み会の会場の至るところから【月城なゆた】の話題が聞こえてくる。

 今や文句なしに全国区のアイドルだが、割と初期から推していた身としてはなんだか誇らしい気持ちになる。

 

 さて。そろそろ俺はおいとまして家でライブ映像でも見るか――とバッグを持ち席を立とうとしたところで。

 

 ぴんぽん。ぱんぽん。

 座敷の上部でニュースを映していたテレビから緊急速報が流れた。

 またどこかで災害でもあったのかと思い、ちらりと視線を向けると――


「……え?」


 俺は思わず手にしたバックを床に落とした。

 テレビに映し出された文字列テロップが信じられず何度も読み返す。


 ――アイドルの月城なゆた氏が退を発表。事務所より声明あり。


「え、え……え?」


 パニックになっているのは俺だけではないようだ。

 同時にみんなのスマホにニュースの通知が飛んで、我々どころかが大騒ぎになっている。


 ――月城なゆたが現役アイドルを引退。


 そのニュースは文字通り世界中を駆け巡って――同時に。



 彼女を中心に回っていた俺の世界はこの日、崩壊し終焉を迎えた。



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