もう一つの真実

「くくくっっ、はははっ、ははっ……」


 見ると、いつの間にか石塚が目を覚ましていた。


「何がおかしい?」


 夏村が睨みつけると、


「失礼。まるで映画か漫画のような話ですねぇ……。猫が理性を持つだなんて、可笑しくて……」


「嘘じゃない」


「そういえば、私が具体的な研究内容を聞いても、夏村さんはいつも核心部分までは教えてくれませんでしたね。まさかそんなことをやっていただなんて……、くくくっ」


 どこか侮蔑的な笑い方だった。


「でも百歩譲って、仮に黒猫が高度な知能を有し環を恨んでいたとしたら、動機は分かりますよ」


「なに?」


「聞きたいですか?」


「あんた、この期に及んで、また取り引きするつもりか?」


 夏村がうんざりしたような表情を浮かべる。


「冗談ですよ。生きることはもう諦めました」


「ふん」


「まぁ今から私が話すことは、信じても信じなくとも、どちらでもいいですよ」


 石塚は安尾の方を見上げて笑う。

 その吹っ切れた態度はまるで別人のようだった。


「安尾さん、あの黒猫はね、お嬢さんに可愛がられていたでしょう? 、そりゃ恨むでしょうね」


「あんた、自分の言ってること分かってんのか? やけくそか? それとも、ただ場を混乱させることが目的か?」


 夏村が横からまくし立てる。


「夏村さん、あなた自身が言ったでしょう? 黒猫は環を恨んでいたと」


 青年の眉間に深いしわが寄る。


「黒猫が環を恨む理由はまさにそこです。環がお嬢さんを殺したからです。そして環にはお嬢さんを殺す理由があった……」


 聞き捨てならなかった。

 いい加減にしろ、という言葉が喉元まで出かかった。


 環が麻友を殺す理由など断じてない。

 麻友は心の底から環を慈しみ、恵子と共にまるで妹のごとく二人を可愛がっていた。

 少なくとも、環は麻友にとても懐いていたように思う。

 感謝こそすれ、恨む道理はないはずだ。


 他方、黒猫が実際に環を襲ったことは紛れもない事実だ。

 あんなに憎悪に満ちた猫を見たのは初めてだった。

 理由が知りたい。

 なぜアイはあれほどまでに環を恨んだ。


 石塚は何を知っている。

 ただの開き直りなのか、それとも――。


 安尾は石塚に向き直ると、


「話せ」


 そう促した。


 男は冷静な口調で語りだした。どうして環が麻友を殺すに至ったのかを――。



 ことの発端は、貞治が死んだあの晩だった。

 石塚は自分の小屋で眠っていた。

 深夜、血相を変えた環が訪ねてきたという。


 促されるまま寝所へ向かうと、そこで衝撃の光景を見る。

 撲殺された貞治の死体と、締め殺された麻友の死体が転がっていたのだ。

 環に理由を問うと、彼女は錯乱しながらも身振り手振りで説明した。


 話はこうだった。

 その夜、環は夜伽の当番だった。

 少女は男と同衾していたという。

 布団の中で、男の股に顔をうずめている時、急に戸が引かれる音がして誰かが入ってきた。


 貞治が急にうめいた。快楽のそれとは違う声だった。

 布団から這い出すと貞治は血にまみれていた。

 枕元に麻友が立っていた。

 彼女は怒りの表情をたたえ、手に持っていた木槌で貞治を殴った。

「ケダモノ、ケダモノ」と小さい声で連呼しながら何度もそれを振るった。


 環は驚きのあまり微動だにできずにいた。

 やがて貞治はぴくりとも動かなくなった。


 麻友は環を抱きしめた。

 それから、急いで自室へ取って返し便箋とペンを持ってきた。

 文机に向かい何かをしたためる。

 それが終わると、環に向き直り「ここから逃げるよ」と笑ったという。

 だけど環は、逃げるわけにはいかなかった。


 安尾が、なぜだ、と聞く前に、


「その話は本当なのか?」


 夏村が口を挟んだ。


「この話は環本人から直接聞いた話です。さっきも言いましたが、信じても信じなくとも、どちらでもいいですよ」


 石塚の話が本当なら、彼女はやはり貞治が撲殺される現場を見ていたということになる。


「なぜだ? 環さんはどうして麻友さんと一緒に逃げられなかった?」


 環は元々浮浪孤児で、有元が連れてきた少女だと聞いている。

 好き好んでここにいるわけではないだろう。


「環はですね……」


 石塚が続ける。


なんですよ」


 耳を疑った。


「何だと……?」


「馬鹿な!」

 

同時に夏村が床を叩いた。


「スパイだと!? 貴様らの仲間だと言うのか!」


 石塚がゆっくり頷く。


「環がいくつだと思ってるんだ! 十三だ! それがスパイだと!?」


「有元が女衒をやっていたことは知っていますよね? 単刀直入に言うと、私たちは子どもの妾をスパイとして送り込むことを思いついたわけです」


 鬼畜じみたことをさらりと言ってのける。

 それから顎で箪笥の方を指し示す。


「さっき便箋を取り出した引き出しのもう一段下……、そう、そこです、そこを開けてください」


 夏村が引き出しから先ほどと同じような書類の束を取り出した。


「これは?」


「一番下の用紙を見てください」


「借用書」と書かれた紙だった。

 借用金は千円とある。

 借り主の名前は「花倉環」とあった。


花倉はなくらたまきは、彼女の本名です。私たちは環に金を貸していました」


「千円もの大金を一体環は……」


「彼女の母親のためです」

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