老婦人

「あのむすめはどうなった?」


 タキが急に喋りかけてきた。


「はい……?」


「あの娘じゃ」


「あの娘?」


「神谷麻友のことじゃ」


 苛立たしげな声。


 安尾は少し躊躇ためらったが、隠しても仕方がないので、


「ご遺体で発見されました」


 と伝えた。


「どんな状態だ?」


 老婦人に動揺した様子はない。

 クスノキの近くに埋められていたことを告げる。


「ふん、やはり殺されておったか」


「やはり殺されておった?」


 タキにとって麻友は孫にあたる。

 他人事のように冷たく言い放つ彼女に改めて愕然とする。

 自分の孫だろうがくそババア! という言葉を飲み込んだ。


「……何かご存知なのですか?」


 感情を押し殺して聞く。

 タキは答えない。


「お孫さんがお嫌いですか?」


「お主には関係のないことじゃ」と、ぶっきらぼうな返事。

 息子に続いて孫娘まで失ったことを、本音では一体どう捉えているのだろう。

 聞いても答えないだろう。

 下っ端従業員ごときに。


 安尾は身をよじり続けていた。

 一向に手首の縄は解ける気配はなく、皮がこすれてける痛みだけが強くなる。

 やはり駄目かと諦めかけた時、ふと右胸ポケットに重みを感じた。

 何かが入っている。


「あっ」


 クスノキへと向かう直前、何か書く機会があるかもしれないと紙と鉛筆を胸ポケットに忍ばせていたことを思い出した。

 鉛筆を削る刃も一緒に入れたはずだ。

 やっぱり。布越しにその感触が伝わってくる。

 縄で縛る時に、有元たちは身体検査をしなかったらしい。

 安尾は体をよじり必死に服にしわを作ろうと試みる。

 国民服の生地自体はかなり厚手だ。

 しわの上に刃をうまく乗せられれば、胸ポケットから頭を出すことができると考えた。

 ポケットの蓋部分が破れて開いていたことは幸いだった。

 もしボタンなどで留められていたら為す術はなかっただろう。


 何度か繰り返すうちに、ようやくポケット内部にできたしわの上に刃を乗せることに成功した。わずかではあるが開口部から頭を露出させることができた。

 安尾は、体がりそうになるのを我慢しながら、必死に首を傾けて胸ポケットに口元を近づける。

 唇をすぼませて刃を口に咥えることができた。


 南無三と、今度は口から刃を離して地面に落とす。

 明後日の方角に飛んでいくことなく、幸い刃は股の間に落ちてくれた。

 それを尻で踏んづける。

 尻の筋肉を必死に動かして、ずりずりとこすって背後まで持っていく。

 ようやく左指で掴むことができた。

 縄の繊維に何度も刃を引き、ほぐすように一本一本ちぎっていくと、やがて縄は切れた。


 立ち上がると膝や腰の痛みで思わずよろけた。

 タキは、安尾が立ち上がる振動を感じたようだった。


「お主……、縄が切れたのか」


「はい」


「おおそうか、それなら、はよう儂の縄も切れ」


 安尾は何度か屈伸運動を繰り返す。


「小刀の刃を持っていたことが幸いしました」


「うむ、そうか」


「タキさん」


「はようせんか。足も腰も痛うてたまらんのじゃ」


「その前に少しだけお話を聞かせてもらえませんか?」


 一瞬間があった。

 表情は見えないが大体想像がつく。


「何を悠長なことを言っとるんじゃ貴様は!」


 怒声は低く抑えられていた。

 石塚たちに気づかれることを危惧しているためだろう。


「怒らないでください。私としてもあまりこのような手段は使いたくないのですが、こうでもしないとあなたは話をしてくれそうもない」


「このっ……! 儂の縄を切るのと交換と言うことか?」


「まぁ、そういうことですね」


 老婦人の怒りが、暗闇の中からでも伝わってくる。


「ならさっさと言え! 何が聞きたい。あの二人が戻ってくるじゃろうが!」


「なぜあなたはここに捕まっているんです?」


「……知らん」


「知らんことはないでしょう」


「知らんもんは知らん」


「本当ですか? 従業員の石塚と有元は、なぜあなたを縛るのです? あの二人の動機はなんです?」


 答えないので安尾は質問を変えた。


「いつ捕まったんですか?」


「……さっきじゃ。ほんの一時間ほど前。部屋で休んでるところを無理やり押し入られた」


 一体何が起こっている。石塚と有元の目的は何だ。


「香苗さんは?」


「分からん」


「分からん?」


「ああ……。儂が拘束されそうになった時、すぐに香苗を呼ぼうとしたがおらなんだ」


「部屋に?」


「ああ」


「どこに行ったんですか?」


「知るわけないじゃろうが!」


 安尾は改めて聞く。


「石塚と有元はなぜあなたを拘束するんです? どういう理由で」


 タキは再び黙り込んだ。

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