第1話④ 捨てられた男と女

 どれだけの間、俺はこうして立ち竦んでいたのだろうか。

 ぼんやりとした頭で時計を見る。


(15時15分……)


 どうやら時計の針が狂っていたのは俺の脳内だけの話で、実際は数分にも満たない時間だったらしい。


 俺はもう一度だけ息を吐く。嫌な思い出はここに置いていく。

 なんて、割り切りたいところだったが。


(あの人……ハナさんだっけ。彼女にはバレバレだよな……。ちくしょう、恥ずかしい、ダサい、痛い……)


 もうかれこれ、彼女と会話から15分も経っている。この時間にもなって相手が現れていないのだ。『あっ……(察し)』となるのは当然だろう。


 しかも、今俺がいるのは通路の突き当たり近くの奥側。つまり、彼女の前を通り過ぎないと帰れない。嫌でも生温かい目で見られることになってしまう。俺にしては珍しく、彼女とはわりと爽やかに話を切り上げられたのに……。


(……ん? あれ?)


 そこでハタと気づいた。


(ハナさんの相手もまだ来てないんだな)


 彼女も、もうかれこれ15分程度相手を待っているようだ。じっとスマホに目を落としている。


(まあ、早めに来てたってことか。女の人だと珍しい気はするけど、まあ彼女、しっかりしてそうだしな)


 俺がこのアプリで会うところまでたどり着けたのはわずか4人(ちなみに分母は1,000くらい。「いいね」の数を回復させるために課金しまくった。これもまた黒歴史だ)。


 そして4人が4人とも、現れた時間は約束の時間ぴったり。俺より先に来て待っていてくれた人は一人としていなかった(正確にはうち2人は遅刻)。


(……いや、違うな。彼女はこの出会いをすごく楽しみにしていて、俺と会った人たちは全然気が進まなかった。そんなとこなんだろうな)


 普通に考えればそうだ。楽しみにしているなら、マッチした相手に好印象を持っているなら、本当にその人のことを知りたいと思っているなら、それなりの準備をするはずだ。別に服装とか化粧とかという意味ではなくて。


 時間にルーズだとか、奢ってもらって当たり前だとか、少なくとも初対面でそんな態度は出さない。相手に変なところで悪印象を持たれないように振舞うはずなのだ。


 でも、俺が会った人たちはそうじゃなかった。もちろん、相手もいい大人だから露骨には態度に出したりはしないし、表面的には『お金出しますよー』とは言ってくれはした。でも、どことなく軽く見られている感じはあった。


(結局めんどくさかったってことなんだろうな。俺なんかと会うなんて)


 ヘコむ。間接的にとはいえ、自分とハナさんの会う男との差をまざまざと見せつけられた気がして。


(通りたくないな……彼女の目の前)


 とは言っても、通り過ぎなきゃ帰れない。かといって、『いやあ、まだかなあー?』とわざとらしく見栄張ってこのまま待つのもありえない。さらに言えば、彼女が来た男と嬉しそうにしている姿もあまり見たくなかった。


 俺はいつも以上に顔を俯かせて、いつも以上に足早に歩き始める。さっさとここを去りたかった。モテない男のみじめすぎる末路。


 ……だけど、それでも、彼女の目の前を通りかかった時、ちらりと視線を向けてしまった。

 すると、偶然かそれとも必然だったのか、彼女もまた、見ていたスマホから顔を上げた。


 当然、望まなくとも目が合う。

 その時だった。


 彼女の……ハナさんの瞳からポロポロと雫がこぼれ落ち始めたのだ。


「え」


 衝撃的な光景に俺は絶句する。思わず足を止めてしまった。


 それが最後の引き金となったのか否か。


「うう……!」


 彼女の嗚咽が次第に大きくなる。そして、


「ふえぇぇん……!」


 ついに本格的に泣き始めてしまった。


(え、マジ?)


 自慢じゃないが(ホントに自慢じゃないが)、俺は女を泣かしたことなどないし、目の前で泣かれたこともない。泣かされた(心の中だけで。念のため)経験ならいくらでもあるが。

 つまり、こういう時にどうしたらいいかまったくわからない。


「え、えっと、ちょ、どうしました!?」


 だから普通に声をかけるしかない。

 しかし当然、若い女性が声を上げて泣いているのだから、通りかかる人々から胡乱な視線を向けられることになる。露骨に舌打ちしてくる男もいたし、『うわあー、女泣かしてるー』『男のほう、全然パッとしないのにねー』『サイテー』と聞こえるように非難してくる女もいた。

 

 ……これ、俺のほうこそ泣いていいんじゃないの? 何この仕打ち。泣きっ面に蜂すぎる。


「と、とにかく! ここだと人の迷惑になっちゃいます! 落ち着いたところに移動しましょう!」


 こうして、俺は生まれて初めてガチ泣きする女性を慰めるという、非モテには高度過ぎるミッションをこなすことになるのだった。


 

 ×××



 はい、というわけで長い回想は終了。舞台は夜の居酒屋に戻る。


「えっと……はい。どうぞ」


 勢い余って気管支でアルコールを吸収してしまった彼女……ハナさんのため、俺は店員さんからもらってきたおしぼり、それから自分で持っていたティッシュもついでに彼女に渡す。


「ず、ずみません……」


 涙目でそれを受け取ったハナさんは、いそいそと鼻と口元を拭った。当然恥ずかしいのだろう、顔を逸らしながら。さっきまでの可憐な印象が一転、残念で野暮ったい感じに様変わり。


 こういう人もいるんだなあ……。

 俺は彼女のほうを見ないよう、あさっての方角を複雑な面持ちで眺めるのだった。

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