第二話 鈴の鳴る町の話
1
魔女は潮騒を背に船を降りた。
荷下ろしも終わったころ、夜逃げをするようにこそこそと、水兵さんの邪魔にならぬよう。
この町は南の開拓のために作られた最初の町で、陸路、海路、空路からあらゆる物資が集まるという。さて、小さな魔女は港にぽつんと立ち尽くし、首を右往左往させた。
「やべえ、完全にオノボリサンだシャミ!」
『ふむふむ。広すぎてどこに向かったものか判断しかねるな』
萌え袖から羽付き帽子をかぶった鳩の頭が覗く。
「そもそも、ここって徒歩で移動するもの?」
三階建ての屋敷くらいの大きさの倉庫が十も二十も並ぶ。
ひっきりなしに大箱の搬入搬出が行われ、時に荷馬車が、時に自動車が慌ただしく走る。人力車を引く厳めしい男達の怒号で頭が割れそうだ。
『交易船に潜り込んだのが仇になったかね?』
客室のお大尽は各々の用立てた馬車に乗り込み、準備のない魔女は今に至る。
『ちと空から座(商会の集まり)を探すとしよう。我の目を通して地図を頭に入れろ』
「そだね、愚痴ってもしようがないシャミ。ハルパス、お願い」
片目を閉じ、鳩の目に己の視界を移す。
太陽は完全に沈み黒の獅子の支配する闇夜だが、遠方には都市部の灯りが、塔の影と相まって蕾から花弁が漏れるように淡く金色に光っていた。港からは長い道路でつながっており今から向かうのは空でも飛ばなくては厳しい。
『我の影に入るか? 向かってもよいが?』
「港でこのありさまシャミ、不夜城で途方に暮れるのが目に見えてるシャミね」
続いて広い空間に、小型飛空艇が並ぶエリアが長い道路脇にあるようだ。
竜の翼の国の飛空艇船団からの交易のためのもので、こちらもそれなりに賑やかそうだ。
『歩きなら、西の方角に倉庫市場があるようだ。商会の旗がたくさん揚がっているぞ』
そこで魔女は片目をあけ、視界を自分に戻した。
気配遮断の帽子は雑踏では危険なので胸に抱く。
ぶつかりそうになりながら帽子を押さえ、背の風呂敷からはみ出たおたまを引っ込め、ただ、とにかく歩くしかない。目印になるものはある。倉庫に掲げられた商業座の象徴印の抜かれた旗を注意深く見ることだ。
肩にハルパスが戻ってきたので、帽子の中に詰めた。
『これこれ、雑に扱うものでない』
と抗議した。
例えば緑の旗に象徴印として白抜きで魚の姿が描かれていたら漁師の魚市場が周りに集まっている。牛や豚の姿の旗を揚げる肉屋と間に仲介の商人が入り換金や交換を行っている。
青い旗の薬師の座の下には、生鮮市場ができていた。
「はっさく?」
魔女は‘アオギリ青果’なる市で足を止めた。
「克己の楼閣の町・ブラックボウの八つの砦を攻略する際、不毛の大地に根ざしていたという柑橘類さ」
アオギリ青果の主人、名前も同じくアオギリ夫人は得意げに講釈をたれる。
「切ったら月の満ち欠けみたく八つの果肉があるから八朔とも言うね」
夜空を指さすと、ヘリオスの化身たる太陽が消えて、代わりに黒の太陽によって三日月に欠けた月が顔を表していた。
「どのみかんもそうなりそうな気がしますけどーシャミー?」
「まあ、南征時に偉人の八つの砦を攻略するエピソードが大事なわけで。干ばつに強いみかんだからね、豊作祈願の縁起物だよ」
試食させていただくと、甘すぎず酸っぱすぎず、栄養不足気味の身にいたく染みた。一袋買うと、三つもおまけしてくれた。
「まだはっさくを知らない人に出会ったら、分けてあげてね」
壮年期の女性特有のなつっこい笑顔で鞄に詰めてくれた。
市場では道々で呼び止められる。豚の腸詰を、薄い生地で包んだもの。先っちょはぱりぱりとした食感で、最後の方は溜まったタレが濃厚で数刻甘さが口に残った。それを果実酒の酒精を飛ばしたものに、もちもちとした澱粉の塊をたっぷり入れた飲み物と一緒にいただいた。
「しまった、マニ(共通通貨)がだいぶ減ってしまったシャミ!」
気が付いたのは両手に砂糖の麩菓子を持っていてどちらから齧ろうと考えていた時だった。
『我が窘めねばならなかったな、つい嘴がすすんでしまった。面目ない』
しゃく、とさくらんぼ味の果実糊をかじりつつ、ハルパスが謝罪した。
「あら、一周してきたのかい?」
なんとはっさくを売ってくれたアオギリ青果まで戻ってきていた。
「おばさま、お薬の鑑定と買い取りをやっている店はこの区画にありませんシャミか?」
「あー、セージ(薬師)ギルドのアオギリ。うちの甥っ子がやってるよ。しみったれた奴だけどあてがないならよろしく頼むよ。ちょいと」
伝票裏に青桐とみかんの絵をかき、署名する。
「紹介状。これでボラれることはないさね。ベル=ターブラの町を、竜の翼の国の読みにして‘鈴の扉の町’って商人が言うんだけどね、扉を開くものがあったらベルを鳴らして警戒を促せってこと。この町の気質は扉に鍵をかけないほど開放的だけど、用心深いのさ」
『ふむ、田舎魔女などカモだろうからな』
「シャミーは都会派ですからね?」
クックルーと鳴く鳩に妙な相槌をする魔女に、アオギリのおばさまは首を傾げた。
市場の隅、猫の額程度の土地にセージギルド・アオギリがあった。
青い旗に白抜きの桐、賢竜である雷の飛竜の刺繍が施された立派な象徴印だ。
「旗の割に建物がしょぼくないシャミ?」
トタン板で組まれていた。
『中ではそういうこと言わないようにな』
からん、と乾いた音を立て戸がひらかれた。
濃い茶色のカウンターに、眼鏡をかけた店主が宝石箱とにらめっこしている。
どことなく先程のアオギリおばさまの面影があるが、柔和な顔に苦労人の皴が年輪のように刻まれていた。
店を見渡すと、棚は丁寧に整理されていて、几帳面な性分を匂わせる。
「あのー、飛び込みシャミが、鑑定と買い取りをお願いいしたいシャミ!」
「歓迎するよ。何を持って来てくれたんだ?」
店主は眼鏡をはずして、笑顔を見せた。
「あのあの、青果市場もおばさまから紹介いただいたシャミー。仲介のマニが十分用意できていないシャミが、なんとかよしなにお願いしますシャミ」
「最近みない正統派スタイルの魔女さんだな。いいお客さんだ、叔母様には感謝しなくちゃな」
笑みを強め、眼鏡をきちんと正した。
魔女はたどたどしくも五つの瓶、船で生成した霊薬を並べた。
「若返りの霊薬です」
「ほう」
眉に唾を付ける表情だったが、アオギリ主人は慎重な商品を扱う手袋をはめた。
手にもち、まずは幻影の類でないか鑑定。
触れたものに害をなす防衛の結界の有無。
そして製造者の象徴印の確認、生成された日の確認。
「黒の太陽に獅子……何十年ぶりかねえ闇魔女の象徴印をみたのは。子供のころに父から見せてもらった、魔女の始祖、偉大な九賢者たる大樹の魔術師パナケアの解毒薬以来だ」
そう言って一度瓶を置く。
「嬢ちゃん、こいつはいただけないな。瓶に封印が施されたのはここ一週間だ、知っての通り大樹の魔術師は疫病竜の毒の特効薬を生み出す千年樹に身を変えたとされる。いま、新薬を作り出すことはできない」
「本物シャミよ?」
「嬢ちゃん」
後退した額をわしわしと掻き、苛立ちを示した。
「闇魔女本人ですよ、大樹の魔術師はグランマ(祖母)シャミー」
「いやいやいや……瓶の真贋で言えば間違いはないだろう。しかしこれほどのものだ、入手経路を聞かせてもらいたいね」
詰問するような強い口調に変わった。彼らは商人である以上に探究者であり、贋作まがい物については取り締まる立場にある。
「シャミーが作りましたとしかいいようがないシャミねえ。あっ、一本開けてみますか? 術式を見ていただければわかってもらえるはずシャミ」
「そうはいかんだろう、瓶だけでも貴族様に回せば十万マニは下らんものだ。金額以上にどれだけの対価を支払えば入手できるものか知らん。なにしろ大樹の魔術師は金では薬を作らなかったそうだからな」
「めっちゃ作ってましたけどね。グランマ、宝石とか大好きだし」
腕を組む魔女。アオギリ主人の疑念の顔が困惑の顔に変わる。
「……もしかして本当に闇魔女なのか?」
「いざ証拠って言われると困るシャミねえ。魔女は嘘をつくことができない、という性質なのシャミが……そっかー、私の象徴印自体がこっちじゃ、胡散臭いシャミか」
都会派のつらいところである。
『神話の登場人物の親族が飲み食いでマニを失い、困ったところで戸を叩いたなど、まあ嘘くさいを通り越して冗句にもなるまいよ』
見兼ねてかハルパスがもぞもぞと帽子の中から出てきてカウンターの上に乗った。
「魔神――ハルパス伯?」
店主は眼鏡をはずし、慌てて新しいものにかけ替えた。その反応で恐れ入っていることは丸わかりである。
『ほう、我の声を聴き分けるとはもぐりの薬師ではないようだ。北部のギルドマスターにもなかなか持ち得がたい資質よ。自信を持つがよい』
「ええー、シャミーの立場がナイ」
『ふふ、我が名は通りがよいからな』
アオギリ主人の目から懐疑の色が消え畏敬のものに変わっていた。
これは魔女的には面白くない。とても面白くない。
「あの、コレにも鑑定の魔法かけたほうがよくないシャミ?」
指でハルパスの羽根帽子を小突いたが、アオギリ主人は首を横に振る。
「いや、おみそれしました、闇魔女様、ハルパス伯、ご容赦を」
『ふふ、気にするものではない。こいつが貧相で威厳に欠けるのがよくない。我の風格の一部でも身に纏うがよかろうに』
ひょい、と指定席とばかりに魔女の肩にとまった。
「では、そうですね……五本で八十万マニとプラスでいかがでしょう」
「大金過ぎて怖いシャミ。四十万マニでどうでショ」
『下げてどうする』
かく、とハルパスはわざとらしく頭を前傾させた。
「あーあとね、ご主人、コレ、ハルパス? 召喚の制約で不殺の契約をつけてますからね? 威厳とやらに、変に忖度してイロをつけなくて大丈夫シャミ」
『まったく。自ら駆け引きのカードを捨ててどうするのだ。さて主人。このようにこやつは実に幼い。寛容な心で商いを進めていただきたい』
「こ……の……! いちいちシャクに障るシャミ!」
「は、ははあ……まあ、ははは」
苦笑いを見せるに留めた主人はたいした器だと思った。
「あまり店にマニは置いてないから助かりますな。六十万に、宝石・輝石・魔石をお付けしましょう」
先ほどまで整理していた宝石箱を主人は魔女との間に置いた。
「これ、これは……所有の呪いがかかったままですね、解呪しても?」
マニを介して商取引を行えば所有の呪いは解ける。
盗難防止のために、百識の魔術師が作り出した基本魔法の一つだ。
解呪されていないものということは、盗品であることがわかる。そういう持ち込みもこの店は受けている、ということだ。なるほど油断ならない町だ。
「ふふ、さすが。隠匿・秘匿の幻術も通じそうにありませんな。どうぞ、必要なものをお好きにお持ちください」
大げさに手を広げ、アオギリ主人は悪びれた様子もない。
宝石を三つ、魔石を七つ提供してもらった。
魔石は便利なもので、魔法を封じておけば即席魔法の触媒に使える。
「まだ天秤のつり合いがとれておりませんな。ああ、こういうのはどうでしょう?」
店主は足元の金庫をごそごそとあさっているようだ。
「ご存じですかねえ、眠りの魔術師。あの方が作られた霊薬なのですが」
「え……」
ぞっと、背中から悪寒が上がってきた。見えない何かに見張られているような感覚だった。
「うちで一番高価な品ですから、ちょっと所以をお話ししましょうか」
懐かしむような、悪気ない笑顔がそこにあった。
『そらみたことか。余分な駆け引きは、こういう余計な縁を引き込んでしまうのだぞ』
ハルパスの呟きは正鵠を射ていた。
「まあそう構えずに、そんなに長い話ではありませんよ」
アオギリ店主は手元のベルを鳴らした。すると、自動人形が氷の入った水差しを運んできた。
『長くなりそうだな』
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