第16話

▫︎◇▫︎


 ベラに資料をもらってアイーシャは無事手紙を書き終えた。

 初めての手紙を書くという事柄にアイーシャは四苦八苦したが、無事描き終えた頃には満足のいくものが書けた。送り主の名前を書いてその次に季節の挨拶、そして書きたい内容を書いて、相手を気遣う文章、そして締めくくりにお名前。我ながら初めてにしては完璧な出来栄えだとアイーシャは自負した。


「ベラ、この文章でおかしくないかしら」


 アイーシャに手紙を手渡されたベラはふむふむと読んだ後、微笑みを浮かべてコクリと頷いた。


「問題ないかと思います。何かプレゼントもお付けになりますか?」

「刺繍を刺そうかと思っているの。だから、お手紙は明日出そうと思うのだけれど、いいかしら?」

「えぇ、よろしいかと思います」


 こてんと首を傾げたアイーシャに、ベラは1つ頷いた。


(これは奥様へのご報告が必要ね)


 先程シャロンから便箋をもらう際に、アイーシャが刺繍を完成させて誰かに贈るようならば、必ず報告をしなさいと命を受けたベラはここまで早く報告しなければならなくなったことに驚くと同時に、刺繍に何か深い秘密があるのかと詮索してみたくなった。

 が、プロフェッショナルな彼女は必死に耐えた。ここで質問してしまえば、必ず大事に巻き込まれると長年の直感が感じ取っていたからだ。


「ベラはどんなお花が好き?」

「私、ですか?」

「えぇ、ベラは何が好き?動物でも構わないわよ」


 アイーシャのいきなりの質問に、ベラは首を傾げた。


「花は菖蒲あやめが好きです。動物は、………強いて言うならばリスでしょうか」

「そう、ありがとう」


 アイーシャはにこりと微笑みを浮かべた。アイーシャは企みを気づかれないようにさっさと話題を変えてしまおうと、ベラに新たな質問を投げかけた。


「ベラはずっと叔母さまに仕えているの?」

「はい、私は昔、幼い頃に奥さまに拾っていただいたのです。それ以来、ずっとお側でお仕えさせていただいております」


 ものすごく優しい表情をしたベラに、アイーシャは目をぱちぱちとさせたあと、ふんわりと花のように微笑んだ。


「ベラは叔母さまのことが大好きなのね」

「当たり前です」


 即答したベラに、迷いという感情は一切見当たらなかった。アイーシャはそんな叔母たるシャロンとベラの関係を心の底から羨ましく思った。


「………アイーシャお嬢様?」

「あ、ううん、なんでもないわ。ただ、………ちょっとだけ、羨ましいと思っただけよ」

「そう言っていただけると嬉しいです」


 ベラの美しい笑みに、アイーシャは微笑みを返した。


「わたしはこれから刺繍を刺すことにするから、荷物についてはお任せするわ」


 そう言って話を切り上げたアイーシャは、スケッチブックの中でも1番新しいものを手に取ってさらさらと新しいデザインを描き始めた。

 次々に生み出される芸術のような素晴らしい下絵に、ベラはほうっと溜め息を漏らして魅入っていたが、気を取り直してすぐにアイーシャに言われた通りに荷解きを再開した。アイーシャの荷物はとても少なかった。アイーシャが持って行ってしまった物を除けば、数日分の下着と上質な生地で仕立てられた服しか入っていなかったのだ。


 アイーシャは沢山作ったデザインの中からころんと転がっている可愛らしい熊と植物のデザインを選択して真っ白な布地に刺繍を刺し始めた。次々と生み出される縫い目には一切の乱れがなく、本人の身体は楽しげに揺れていた。


「《アイーシャ、楽しそうね!!》」

「えぇ、楽しいわエアデ。エアデはこのデザインが気に入ったの?」

「《うん!それ夫人?にあげるのでしょう?なら、できたら祝福をあげるから教えてちょうだい!!》」

「分かったわ」


 1度手を止めてエアデと話したアイーシャは、ベラが水出し紅茶を机の端に置いていてくれたことにやっと気がついた。そういえば、退出の挨拶を受けた気もする。


「ユエ」


 ベラのことが気に入ったと言っていた精霊を呼び出したアイーシャは、ふあぁっとあくびをした精霊に苦笑した。


「ベラはどう?」

「《ん?ベラ?なんだか楽しそうだったよ~。ふあぁ~》」

「起こしちゃってごめんなさいね。ゆっくり休んでちょうだい」

「《ん~、おやすみ~》」

「おやすみなさい」


 小さな頭をふわふわと撫でたアイーシャにとろんとした表情を見せたユエは、きらきらと黒い輝きを残して消えていった。


「………今度叔父さまに彼らがどこに消えているのか聞いてみようかしら」


 アイーシャはベラが用意してくれていた紅茶に口をつけながらぽつりと呟いた。

 そして、紅茶を1杯飲み終えたアイーシャは、パチンと頬を張ってから作業を再開した。一針一針真心を込めて。相手のことを思いながら刺す美しい刺繍が、アイーシャは幼い頃から母親同様に大好きだ。

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