第一章

1.二度と戻らぬ温かな日々

1-1.フレデリカはアルズと一緒に祭りへ出掛けたい

 ガストール大陸の北方に、複数の城塞都市からなる連合都市国家フラダが存在する。小麦やライ麦の畑や松やブナの原生林が国土の広範囲を緑色に染める、自然の恵み豊かな国だ。国は狩猟が盛んで、子供でも飛ぶ鳥を射貫くと言われるほどに弓の名手が多い。収穫祭で賑わう首都ヴァニカラードの広場に、鳥の肉を売る屋台が多数並ぶのもそのためだ。


 人々の笑いや楽器が織りなす祭りの喧騒は、首都の北端に位置する王城の円塔まで手を伸ばした。晩秋に至り、北方の山脈から吹く風に冷気と渡り鳥が乗る頃合いではあるが、部屋の主は祭りの空気に触れたくて窓を開け放っている。


「ねえ、オリーブオイルをたっぷり塗って焼いた鳥の、美味しそうな匂いがここまで漂ってくるよ」


 第一王女フレデリカ・ノワールは外の様子が気になるあまり、肖像画のモデルをしているにも拘わらず体をそわそわと動かし、視線を顔ごと小さな窓に向けてしまう。十六歳という年齢相応に好奇心旺盛で、声は今にも駆けだしそうなほど弾んでいる。彼女はなんとかして、同室の者に「二人で出掛けよう」と誘わせたい。


「そろそろお昼だよ。アルズはドワーフのおばちゃんが焼いたお魚が大好きだよね?」


 見る者もつられて笑顔になってしまう、そんな満面の笑みを王女が向けても、画家は表情を変えず、イーゼルに載せたキャンバスに黙々と筆を滑らせる。


「もー」


 国王の方針で王女は十二歳まで市街で育てられたため、祭りの様子をよく知っている。大地母神に扮した者が配るパンを貰い、屋台の串焼き料理を頬張りながら勝手知ったる大通りを歩きたいから、声は踊っている。


「アルズ、聞いてる? ねえ、収穫祭が始まったんだよ? 行こうよ。一週間なんてあっという間に過ぎちゃうよ?」


 もし王女が腰まで届く金髪と絹のドレスで外出すれば、一目で素性がバレてしまう。手入れの行き届いた髪は侍女が仕える証しだし、絹の服は舶来の高級品だ。だから、フレデリカは城を抜けだす時にはいつも侍女から借りた服に着替える。髪を服の中に隠し帽子を目深に被り、協力者の手引きで外を出歩くのだ。


 王都は治安が良いので、たとえ身元が知られても王女にはそれほど危険はない。だが、人々が集まって人垣や挨拶の行列ができてしまうのだ。フレデリカは人なつこい性格をしているし、驕りや差別意識を持ち合わせていないので、誘われれば庶民と一緒に歌って踊る。だから、この日フレデリカが素性を隠したい理由は別にある。


 先程から返事をせずに肖像画を描き続けている者と、二人きりで祭りを楽しみたいのだ。いつもなら、甘えればすぐにお忍び脱走の手助けをしてくれる。しかし、今日ばかりはその協力者である画家がフレデリカを部屋から出させてくれない。


「むー」


 フレデリカが抗議の視線を向けるが、画家はキャンバスに集中しており、気付かない。ふてくされたフレデリカは姿勢を崩し、どうせ見られていないからいいだろうと、髪の毛先を鼻の前に持ってくる。


「ダルトン三世」


 次に髪を顎の下に垂らし、眉間に皺を寄せる。


「ダルトン四世」


 王女が城内に飾られた肖像画の真似をし始めたため、画家は大きく溜め息を吐いてから口を開く。


「フリッカ、じっとしろ」


 無礼と受け止められても仕方のない、素っ気ない一言。


 一国の王女を愛称で呼ぶのは、十七歳の少年アルズ・アッシュ。無造作な黒髪は目元を隠し、地味な顔と相まって陰気くさい。アルズはフラダ王国民の多くと同じように、動物の毛を編んで作った褐色の貫頭衣を着ている。豪奢な調度品が並ぶ王女の部屋には不釣り合いである。貴族や富裕層であればリネンの服を着るし、動物の毛を織った服なら、兎から冬の一時期にのみとれる白い毛先を使う。上等な服を着ていないアルズは、見た目どおりの庶民だ。


「姿勢を戻せ」


 というアルズの言葉に敬意がまったく含まれないのは、彼が幼少期にフレデリカと同じ家で育てられたためだ。アルズの母がフレデリカの乳母だったので、二人は互いを兄妹のように認識している。身分の差は隔たり大きくとも、接する態度に壁はない。


 亡父が宮廷画家だったという縁もあり、アルズは国王からフレデリカの肖像画を依頼されている。


「背板に背中をくっつけて真っ直ぐ座れ。顔は斜め四分の三の角度だ。こっちを見ろ」


 画家がキャンバスから顔をあげてモデルに目を向ける。すると、数刻ぶりとはいえ久しぶりに兄貴分の顔を見た妹は機嫌を良くして微笑む。揺れる金髪の下で青い瞳がまん丸と膨らんだ。

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