六話 好奇心は人を迷子にする


 やってしまった。

 美少女の心中を埋め尽くすのはそんな単純な言葉。

 どうしてこうなったのか、わかっているけど考えたくない。

 日が暮れゆく原生林。そのど真ん中で美少女は立ち尽くす。

「好奇心のせいだ!」

 突如発せられた美少女の魂の叫びは鳥たちを羽ばたかせた。

 そう、好奇心。美少女の好奇心がこの状況をもたらしている。

 ちなみに、転びすぎて泥だらけになったインフェリアイは近くの倒木に腰を下ろしている。涙目で。

 なぜ美少女の好奇心でこのような状況に陥ったのか、それは数時間前まで遡る。



 テントから出てきた二人は、ちょうど太陽が昇り切るところだったため、昼食を摂ることにした。晴れ渡る空の下で食べるサンドイッチは格別だった。

 そして、昼食を摂り終えると、ゆっくりと川沿いを歩いて行く。

 下ったり登ったり、特に代わり映えの無い景色にそろそろ飽きてきた頃。

「お?」

 美少女が足を止める。

「どうしたの?」

 インフェリアイは手をかざすと、美少女の見る方を睨みつける。

「森?」

「だね」

「戻ってきてしまったのかしら?」

「いや、あの森に比べたらなんかこう、木が多い気が……?」

 森と比べ大小様々な木が生い茂っている、原生林と呼ばれるものだ。

「迷いかねないわね、やっぱり引き返す?」

 川の進む先にも原生林は続いており、対岸も同じく原生林が広がっている。

「うーん、そうだよね」

 美少女はカバンから地図を取り出すと場所を確認する。

「向かう先はケルリアで、その途中に橋があるんだよね?」

「ええ、地図で見やすいと思うわ」

「おおっと? これはこれは」

「どうしたの?」

「地図に載っていないね」

「また?」

「言い方が悪かった、あの森は載っているけど」

 美少女はインフェリアイに地図を見せる。

 インフェリアイは地図を覗き込むと眉根を寄せる。

「森があるだけね……?」

「そう、森があるだけ」

 地図には森の絵が描かれているだけで、その中がどうなっているのかが分からない。おまけに、地図の端まで森のため、どこまで続いているのかも分からない。

「やっぱり戻りましょうか、大変だけど」

「よし、行こう」

「……戻りましょうか」

「行こう」

「戻り「行こう」

「……「行こう」

「行こう!」

「聞きなさい‼」

 インフェリアイが美少女の肩を持って激しく揺さぶる。

「地図に載っていない未知の場所なのよ⁉ 危険よ! 私達はまだ旅慣れしていないのよ!」

 インフェリアイが必死に言い聞かせようとするが、美少女はなんのその、ニヒルな笑みを浮かべる。

「それのなにがダメなの? 未知の場所だよ、面白そうじゃない?」

「面白くないわよ、未知なのよ? 危険なのよ?」

「初めは全てが未知なんだよ?」

 諭すように言う美少女に、一理あると思ったインフェリアイだったが、それはそれだ。

「そ、それはそうでしょうけど。だからといって私達が危険を冒す必要はないじゃない?」

「インフェリアイの言っていることも分かるよ。でもね、好奇心が……わたしの好奇心が、逃がしてくれないんだ……」

「あなたそんなキャラだったのね……」

「そうなの……嫌いになっちゃた……?」

 いじらしく上目遣いで美少女はインフェリアイを見る。街中でやると確実に卒倒者が続出だが、ここにはインフェリアイしかいない。

「別に、嫌いにならないわよ」

「わーい」

 と、美少女は原生林へと向かう。ため息をついたインフェリアイも後に続くが。

「って待ちなさい‼」

 慌てて美少女の手を掴む。

「ダメって言ったでしょう⁉」

「わかってるけど、気になるの!」

「我慢!」

「でーきーなーいー」

 美少女は必死に足を動かすが、一向に前へ進まない。

 しかしどんなに止められても、美少女の好奇心は収まらない、寧ろ増すばかりだ。

「ちょっとだけ、ちょっとだけだから! 好奇心が満たされたら戻るから! ね?」

 必死に懇願する美少女を見て、少しの罪悪感が芽生えたインフェリアイは、少しだけならということで「まあ……少しだけなら」と、頷いた。

「やった! ありがとうインフェリアイ!」

 美少女はインフェリアイに抱きついてお礼を言うと、原生林へ向かって駆けて行く。


 美少女に追いたインフェリアイは目の前の光景に目を凝らす。

 地面や木々が苔むしており、流れてくる風は湿っぽく冷たい。

「ねえ、ちょっとだけ入ろうよ」

 美少女が目を輝かせている。

「ちょっとだけよ」

 二人は共に原生林へ足を踏み入れる。

 足元は柔らかく、歩くたびに土を巻き上げてしまう。

「おおー、なんかいいね」

 太陽の光が重なり合う葉っぱのカーテンに遮られ、薄暗くなっていて少し肌寒い。おまけに、無造作に乱立する木々や、道を塞ぐ倒木、木の根の階段に邪魔をされてなかなか進めない。

「少し寒いね」

「ふぎゃ!」

「やっぱりかー」

「あまり痛くないわ、汚れるけど」

「地面が柔らかいもんね」

 原生林の中を駆け回る小動物、葉っぱの擦れる音色に合わせて聞こえてくる鳥のさえずり。自然の中を進む二人の気持ちが安らぐ。

 ちょっとだけ、という言葉を忘れて二人は好奇心の赴くままに原生林を突き進む。

 そして――。

 

 

 涙目で倒木に腰を下ろしているインフェリアイは思う。

(すっかり忘れていたわ……)

 なぜあれほど転んでも突き進んだのか自分でもいまいち理解できない。ちょっとだけよと言っていたはずが、ちょっとどころかかなり奥深くまで進んでいる。

 頬を撫でる湿った風がより一層インフェリアイを陰鬱な気持ちにさせる。

「はあ……」

 ため息をつくと、どっと疲れが押し寄せる。

 そしてお腹も空いた。

「あーあ」

 表情の消えた美少女が隣に腰かける。

「好奇心は満たされた?」

「ははっ、もちろん」

 乾いた声で返す美少女。

「そう、それは良かった」

 そしてしばらく無言が続く。

 ポツリと、美少女が声を漏らす。

「ごめんね……」

「私も忘れていたし、お互い様でしょう?」

 インフェリアイが首を振ると美少女は微笑む。

「うん、ありがと」

「とりあえず、テントでも出して休みましょうか?」

「むり」

「……どうして?」

「場所がない」

 辺りは背の高い草木が生い茂り、空いた隙間には気が横たわっており、テントを広げられるスペースが無かった。

「木を動かせば大丈夫なんじゃないの?」

 インフェリアイが近くの倒木に近づくと、美少女もそれに続く。

「持ち上げられるの?」

「大丈夫――よっ」

 美少女の心配をよそに、インフェリアイが倒木を持ち上げるが。

「うぎぇや!」

 インフェリアイが持ち上げた倒木の下には、うにょうにょした虫が何匹も潜んでいた。それに驚いた美少女は急いで距離を取り、鳥肌立った腕を擦りながら涙目で叫ぶ。

「無理気持ち悪いおろしておろして‼」

 美少女の声に驚いたインフェリアイはすぐに倒木から手を離す。

「どうしたの⁉」

「虫!」

「……ああ」

 インフェリアイは表情こそ変わらないが、足早にその場を離れると身体を震わせる。

「広い場所を探しましょう」

 美少女は頷くと先程持ち上がっていた倒木から距離を取りながらインフェリアイを追う。


「ねえ美少女」

「なに?」

 あれからしばらく、足元に注意しながら歩いていたインフェリアイが立ち止まる。

「なにか便利な道具を持っていないの?」

「あー、例えば?」

「なんて言うのかしら、進む先が分かる道具……とか?」

「あったかなあ」

 美少女は眉根を寄せながらカバンの中を漁りだす。やがて「おっ」となにかを見つけた様子でそれを取り出す。

「なんかこれはそれっぽくない?」

 美少女が取り出したのは手のひらに載るほどの大きさの円盤型の透明な箱で、箱の中心には一本の細い棒が付いており、それに支えられるように細長いひし形の、一方に色の付いた針だった。

「これはいったいなに?」

「さあ?」

 インフェリアイは美少女が持っている箱を覗き込む。

「これが指している方に進むものかしら?」

「たぶん?」

「たぶんって、あなたの持ち物でしょう?」

「そうだけど、これも貰い物だし、それに説明されなかったもん」

「それなら仕方ないわね」

 口を尖らせる美少女を少し微笑ましいと思ったインフェリアイはもう一度箱を覗き込む。

 箱の中ある針は、ゆらゆら揺れながら一方向を指し続けている。

「とりあえずこの針が指している方向に進みましょうか」

 闇雲に歩き回っても一向に原生林から出られる気はしない、それなら針が差している方へ向かおうと、二人は針の指す方へと突き進む。

 もう間もなく日が暮れる、闇の中原生林を突き進むのはできるだけ避けたいし、今はただ危険な動物に遇っていないだけで、この原生林の中に危険な生物が生息しているかもしれない。自然と二人の足取りは速くなる。

「ふぎゃ!」

 案の定インフェリアイは転んでしまう。

 立ち上がるインフェリアイを支えながら美少女は言う。

「今日はもう進むのをやめよっか」

 日はすっかり沈んでいて原生林は闇に包まれる。空を見上げても、木々が邪魔をして星明りすら届かない。むしろ、よくこの暗さで進んでいたものだ。

「でも、テントを張れないじゃない。危険よ?」

「まあどんな生物がいるか分からないから危険っちゃ危険だけど、見えない中進むのはもっと危険だと思うよ」

「……そうね」

 見えない中進むのは確実に危険。対して、危険な生物は、いない可能性がある、と納得する。

「でも、どうするの? テント以外になにか便利な道具はあるの?」

「探せば割とありそうだけど――」

 そこで美少女のお腹が鳴る。

 虫から逃げたせいで腹ごしらえをするタイミングを逃していたのだった。

「先に腹ごしらえだね」

 カバンからクッキーと水の入ったボトルを取り出す。

「そうね、ありがとう」

 クッキーとボトルを受け取ったインフェリアイは近くの倒木に腰をおろす。

 美少女もインフェリアイの隣に腰を下ろす。倒木の下に虫がいたとしても持ち上げなければ問題ない。

 クッキーの甘さが疲れた身体に染み込む。クッキーを食べ終えたあと、水を飲んでホッと一息つく。

「暗くて全く見えないわね」

 美少女の取り出したランタンの灯りのおかげで、辛うじて二人の位置を把握できているが、それ以外は完全に闇に包まれている。

「インフェリアイの見ている景色はこんな感じなの?」

「こんな感じ?」

「ほら、周りが暗くて全く見えないからさ」

「ああそういうこと。残念ながら違うわよ」

 インフェリアイは得意げに微笑む。

 微苦笑を浮かべた後美少女は少し寂しそうに呟く。

「そっか、わたしもインフェリアイの見ている景色を見てみたいなあ」

 その呟きは闇の中に吸い込まれていくが、インフェリアイにも聞こえていたらしく。

「止めておきなさい、いいことないわよ」

 ジト目でそう言うインフェリアイ。

 すると、ごまかすように美少女はインフェリアイに、密着すると身体を預ける。

「寒い」

「そうねえ、少し寒いかも」

 元々湿っぽかった原生林。夜は日の光が無く、冷えた空気がその場を満たす。

「……トイレに行きたい」

「そこらでするしかないわね」

「やむを得ない」

 美少女はカバンからテントを取り出すと少し開けた場所を探して広げる。

 テントは広がりきるが、地面へ綺麗に広がらず、斜めになっている。

「あら、広がったじゃないの」

「広がるんだけど……ね」

 歯切れの悪い答えにインフェリアイは首を傾げるが、美少女に続いてテントの中へ入る。

「なにか問題があるの?」

「うん、地面についていないと機能が死んじゃうんだよね。なんでだろ?」

「本当に不思議ね。という事は?」

「まずお風呂は使えない、洗い物、掃除はしてくれない。なにより、防衛機能が動かない」

「それは危険ね」

 防衛機能が機能せず、外が見えないテント内にいるより、なにかあればすぐに逃げることのできる外で過ごした方がいくらかは安全だろう。

「それでも、少しだけ地面に触れているからトイレぐらいは使えると思うけど」

 美少女はトイレへと向かう。

 程なくしてトイレから戻ってきた美少女は、スッキリとした表情を浮かべている。

「良かった、トイレは使えた」

 トイレは問題なく使えたようなので、ついでにインフェリアイもトイレを使う。

 インフェリアイが戻ってくると美少女はクローゼットから防寒具を持ってきていた。インフェリアイはそれをお礼を言って受け取る。

 二人はテントから出る。外は相変わらず暗いが、防寒具のおかげで寒さは感じない。

「交互に見張りながら寝たほうがいいわよね」

「そうだね、じゃあわたしが先に見張るよ」

「ダメよ、あなたの方が疲れているでしょう?」

 インフェリアイは自分の肩に美少女の頭を乗せる。

「あなたはまだいっぱい動くのに慣れていないでしょう、私は丈夫だから」

「……インフェリアイは心配性だね」

 そう言うと美少女はインフェリアイの肩に頭を乗せたまま目を閉じる。

 インフェリアイの言う通り。まだ身体が旅に慣れきっておらず、なおかつ足場の悪い原生林を移動していたため、自分が思っている以上に疲れが溜まっていたようだ。

 すぐに睡魔が襲ってきて、美少女の意識は眠りに落ちてしまう。


 美少女が寝たことを確認した私は、眠ってしまわないように辺りに注意を払う。そういえば交代の時間を決めていなかったな、と思ったけど、気持ちよく寝ているのなら別にいいか、と思う。一日ぐらい寝なくても別に大丈夫だろう。

 転んだせいで少し身体は痛むけど、動いたことによる疲労はほとんど無い。どうしてこんなに丈夫なんだろう。孤児院で逞しく育ったからかしら? でもあれは夢のはずで……。それにしても記憶が無さすぎるわね、夢を見る前の記憶は無いし。夢の記憶も段々と思い出せなくなっているような。

 いけないわ、今は周囲の警戒をしないと。

 聞こえるのは風が奏でる葉っぱのさざめきと、彼女の息遣いだけ。動物の気配は感じられない。

 私はランタンの灯りを消す。このランタンは、美少女の不思議な持ち物シリーズ(私が勝手にそう呼んでいる)の一つで、スイッチ一つで灯りをつけたり消したりできるものだ。

 灯りがあってもそこまで近場しか照らせないし、この子の睡眠の妨げになってはいけない。それに、万が一なにかが出てきても気配で分かる。


 目が覚めてもまだ周囲は暗いまま、どれぐらい寝たんだろうか? 知らない間に膝枕の体勢になっていたようだ。そういえばインフェリアイにどれぐらいで交代するのか聞いていなかったな、と思いながら身体を起こす。それにしても見えない、ランタンがついていないようだ。

「見えない」

「あら、起きたの?」

「うん、灯りつけて」

 すぐにインフェリアイがランタンの灯りをつけてくれる。

 綺麗なインフェリアイの深紅の髪と錫色の瞳が目に入る。なにも起きなかったようで安心する、それにしてもインフェリアイは丈夫だなあ、自分でも丈夫って言っているけど、疲れが全然見えない。もしかすると朝まで見張る気だったかもしれない。

「ごめん、交代の時間決めてなかった」

「大丈夫よ、私は疲れていないから」

 まだ寝ていても大丈夫よ、と言ってくれるけど、甘えすぎるのもよくない。

 今度はわたしが見張る番だ。

 インフェリアイがしてくれたように膝枕をしようと、わたしは膝を叩く。

「ほらほら、ひ ざ ま く ら」

「……もう」

 インフェリアイは照れた様子でわたしの膝に頭を乗っける。頭って結構重たいんだ。

「しんどくなったら起こすね」

「ええ、わかったわ」

 しばらくすると寝息が聞こえてくる。

 わたしはインフェリアイの深紅の髪を軽く撫でる。サラサラの髪の毛は指の中を流れていく。そういえばわたしもインフェリアイも髪の毛結ぶの忘れていた、草とか付いていないかな? わたしはインフェリアイの髪の毛が汚れないように注意する。

 見張りをするとは言ったけど、ランタンの灯りが遠くまで届かない。これじゃあ近づかれるまで気づかない気がする。インフェリアイは気配で分かる人だけど、わたしはそんなことできないし……ちょっと危なくない?

 これからはテントを確実に広げることができるようにしないと。

 私はカバンから透明な箱を取り出す。中央の針はずっと一方向をゆらゆらと僅かに揺れながら指している。この先になにがあるのか、ここから出られるのか、それともなにかがある場所を指しているのか。

 それにしても美少女だからもっと楽に旅できると思っていた、テントもあるし。実際楽に旅できるはずなんだけど想定外なのは自分の感情だ。ほんとにすっっごい好奇心、今回はまだこれだけで済んだからよかったけど、次からはもっと自制しないとダメだ。

 そんなことを考えていると。

「んっ……」

 インフェリアイがモゾモゾとわたしの膝の上で動く、少しくすぐったい。

 夢でも見ているのかな? この前話してくれた夢じゃなくて、もっと楽しい夢を見てほしいな。

 ん? この前話していた夢って本当に夢だったのかな? インフェリアイが夢だって言っているならそうなんだろうけど……まあいっか。

 夜は長い、今までずっと一人だったから慣れていたけど、誰かと一緒にいることが当たり前になると少し寂しくなってしまう。

 早く朝になってほしい、二人で一緒に、旅の続きを楽しみたい。

 わたし達の旅が、これからも続きますように。

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