第27話 取り戻しに来るつもりなのかもしれない

「そうだ、これも言っておかねばなるまいな。ベル」


 言うなり、ギラリとルシフェルの目が険しくなる。

 厳しさを増す表情に、ベルはただごとではないと息を潜めた。


「なんでしょう?」


「人の国から、使者が来るそうだ」


「まぁ、人の国から使者が?」


 思いもしなかった報告に、ベルの理解が追いつかない。

 持っていた虫カゴをギュッと胸元へ押し当て、彼女は目を丸くした。


「勇者一行以外で人が来るのは初めてのことだから、魔王城ではみな、右往左往している」


 当然、そうなるだろう。

 人の国と交流している魔族は、ほんのひと握り。どう扱っていいものやらと、上を下への大騒ぎになるのは明白だ。


「そうでしょうね。でも、どういった目的でいらっしゃるのでしょうか?」


「どういう目的で来るのかは、まだ明かされていないが……もしかしたら、勇者を取り戻しに来るつもりなのかもしれないな」


「え……?」


「勇者は仲間を逃すため、時間稼ぎをするために単身で残ったらしい。いつか迎えに来る。そう言って、仲間達は勇者を置いていったそうだ」


 ぽとり。

 ベルの手から、虫カゴが滑り落ちる。

 肩にかけていたそれは、彼女の腰のあたりでプランプランとゆれた。


「で、でも、勇者は行方不明で……」


「それがな。ここだけの話、アスモがおまえの境遇を哀れに思って再調査をしたところ、勇者生存の可能性が出てきた」


「は……? お姉様が……?」


 余計なことを……。

 ベルは言葉を飲み込んだ。


 怒りで声が震える。

 なにが、哀れに思って、だ。


(諸悪の根源はお姉様、あなたでしょうに!)


 黙って耐えるベルを、感激しているとでも思ったのだろう。

 宥めるように背を撫でるルシフェルに、ベルは「ちっがぁぁぁう!」と怒鳴りたくなった。


 でも、しない。


(ケイトの居場所を、教えることになってしまうもの)


 アスモは、これと決めたら手に入れるたちだ。


 ベルのため。

 そんな殊勝なことを言っていても、勇者のことを諦めきれていないだけかもしれない。


(いえ……これも言い訳に過ぎないわね)


 ベルは、アスモよりも迎えに来るかもしれない仲間の方が怖いと思った。

 彼女は手を上げて、口元を覆う。


 不安に似た、奇妙な気持ちが胸に渦巻いていた。


 どうして、こんな気持ちになるのだろう。

 ケイトにとっては何よりの朗報であるはずなのに、喜んであげられないのは、なぜ?


「ベル? 大丈夫か?」


 ルシフェルの声に、引き戻される。

 顔を上げた彼女は、まるで迷子のように不安そうだった。


「ベル⁉︎」


「なんですか、お兄様。珍しい食べ物でも、見つけました?」


 ギョッとしているルシフェルに気づいて、ベルは歪にヘラリと笑う。

 らしくもなく取り乱している彼を見るのは、牢に放り込まれて以来、二度目だ。


「あぁ。そうですわ、お兄様。人の国の野菜は動かないと聞きます。ですので、転移魔法陣の周囲で野菜を栽培するのは、控えるべきかと。使者様を怖がらせるのは、お父様も本意ではないでしょう」


「ふむ。それもそうだな。父上からは丁重にもてなせと厳命されている。良いアドバイスをありがとう、ベル」


「いいえ、どういたしまして。お兄様もお忙しいようですし、今日の案内はこのくらいにしておきましょうか」


「ああ、そうだな」


 ベルに促され、ルシフェルは鷹揚に頷く。

 美しい風景を見納めようと振り返ると、凪いでいた湖面が風に煽られて波打つのが見えた。


「うまく、いけば良いのだが」


 なんで自分が、こんなことをしなければならないのか。

 ベルには聞こえない微かな声でつぶやかれた言葉には、そんな気持ちがにじんでいるようだった。

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