教会へと

「じゃ、また明日な!」


 眩しいくらいの笑顔でダルカは手を振る。その横でウヴとイードゥも同じような言葉を口にする。


「うん、また明日」


 薄黄色の目を細めながら少年も小さく手を振る。離れていく友人たちは、十歩歩いても後ろを向いてまだ手を振っている。


 ダルカはぶんぶん大きく、ウヴは手を肩くらいの高さに上げながら、イードゥは両手と二本の足を振っていた。次第に彼らは前の方を向いた。


 少年も同じように家のドアの方を向いた。ドアノブにカギを突っ込んで回す。ノブ本体を掴んで捻った。押して開けば外とはちょっと違う空気に肌が触れた。当たり前のそれに少年はとまどうことなく家の中に入っていく。


「ただいま」


 小さくつぶやいてから、少年は廊下を歩く。リビングからはテレビの音がしない。キッチンで食器がぶつかる音も、二階で妹が叫ぶ声も何もない。家に自分しかいないことを知ると、少年は息を吐き出した。


 自分の部屋に入ると、少年は電気をつけてドアを閉めた。ベッドのそばに座り込んで、藍色のマットレスに顔を埋める。特に理由はない。


「りゅっく…」


 棚にかけたフックに利口にぶら下がっている黒いリュックに目をやる。ふらりと立ち上がって力のこもっていない手を伸ばす。手のひらの中に転がり込んできた肩紐をにぎって、もう片手でチャックを開く。中にはいつも通り、好きな小説とペンケースとノートがある。


(そういえばこのままだったな)


 ぼーっと頭の隅で考えながら、少年はチャックを閉めて、リュックを背負う。


「あ、かぎ」


 学校用のカバンに鍵を入れていたことを忘れていたことに気がつき、取るためにまたふらりと歩く。


 ベッドの横に投げ捨てられたように置かれているカバンをあける。光を反射する銀色の鍵をリュックに放り込んで、リュックを閉めて部屋を出ていく。


 廊下を歩いて行って、ドアの前に立つ。入ってきた時と同じような動作をして、夕方に変わろうとしている空の下に立つ。電柱を見上げて、ノラは歩き出した。



 ほとんど毎日歩いている道を歩く。もうあれから二週間経ったのか、とノラは時間の流れの速さが小さい頃とは変化していることを実感する。


 日を追うごとに足は慣れていって、秘密基地にいくまでの時間が減っていくことをなんとなくノラはジリジリと温度が下がっていく空気と同時に感じていた。


 結局、僕はこのまま流されていって最後に死ぬのかな。何も成し遂げず、忘れ去られる。それでもいいかな。


 だって、結局この世界が終わったら全部消えるから。この世界が本当に存在している現実かどうか誰も証明できないの、本当に面白いな。もしかしたらこの世界も、そんな感じで誰かが見ているのかな。僕の思考も誰かが…。


 いや、僕ごときの頭の中なんて誰も見ようとしないか。


 あーくっだんねぇ。


 少年は心の中で、くつくつ笑う。鼻の下の汗を拭った。小さい子が描くような星の色をした目でノラは正面を見据えた。


 草をちぎった時みたいな匂いがだんだん強くなっていく。森の緑がチラチラ見えてくる。住居が減っていく。道路が唐突にぶつ切りになる部分が見えてきた。ノラは歩く。


 アスファルトが立ち止まって、そこから動かなくなった。ノラの足裏は草を踏む。十五歩も歩けば、もう森の境界内に立っている。ノラは切り替えて、まどろみがちに下げていたまぶたをあげた。背筋を伸ばし、顎を引く。


 その状態を維持しながらノラは進んでいく。昨日のことが脳内でフラッシュバックしていても、ノラはそれを無視して歩いていく。風が背中の方から吹いてきて、綺麗な緑をつけた木々の枝が揺れ乱れる。


 そのささやかな音を耳で拾い、みずみずしい自然を視覚で捉えながらも、ノラは表情を変えなかった。目元が綻ぶことも、さりげない笑みを浮かべることもなかった。


 無機質に森の中を歩いていくと、ノラは透き通った池についた。先程の風に吹かれたせいでさざなみが立っている。身を翻すように泳ぐ魚は、彼の目には映らなかった。


 池の周りを歩いて、細長くてでこぼこした獣道と対面する。避けようと思わないと避けれないような枝々が自由気ままに生えている道に踏み出した。特に道に興味を示さず、ノラは進んでいく。体に枝があたろうが、葉が皮膚を擦ろうが、何がなんでも彼は進んでいく。


 白い壁が見えてきて、入り口越しに中の様子も眼球を通して理解できる。そろそろ笑顔にならないとな、とノラはいつもの要領で笑顔になる準備をする。


「やっほ〜」


 境界に足を踏み入れながらノラは笑顔で手を振る。


「ノラやっほー☆ 元気ー?」


 無邪気な笑顔で突進してくるネモネに、ノラは「元気〜」と返す。


「お、ノラじゃん。よぉ」


 両手にカードゲームのカードを四枚持ちながらブルーシートの上に座っているチアがこっちを向いた。蛇の下半身がうねる。彼の正面には五枚ほどのカードを持ったニゲラが座っていた。険しい顔をしていたが、パッと顔を上げて、ノラに手を振った。


「やっほー、ノラ。一緒にこれやる?」

「何してるの?」

「マーケリア」

「おれが勝ってる」


 いつもの蛇の笑みを浮かべて、それをカードで隠しながらチアはとぐろを巻いた。黒い鱗に光が反射する。


 ノラが二人の間に目を向けると、ふちが少しかけている白いカップが置かれていた。その周りに四枚のカード。カードの上に硬貨はないが、カップの中にはある。二人の残りのカードから見てゲームは終盤なのだろう。


「そのゲーム終わったらやろっかな」


 二人と同じようにブルーシートの上に座り込んで、ノラは言う。


「うし、じゃ、早く終わらせるか」

「だね」


 チアとニゲラは向き合い、ゲームを再開する。

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