第12話

 

「えっと。整理させてね? あのアカデミーで経済を教えてるリチャード・ロベリア先生は、本当はロベリア先生じゃなくて、ラーディクス大公家のご子息ってことね? つまり、トラヴィスの従兄弟ってこと。え、でもラーディクス大公家の一人息子は、病弱で屋敷から出られないんじゃないの?」


 私はそう聞いていた。

 だから一度も会ったことがなかったけど、疑問に思わなかったのだ。


「俺もそう聞いてるぞ。それが本当だとしたら、なぜ身分を隠すんだ? 髪の色も大公殿下と違うし」


 ニコラスの頭の上に?が浮かんでいる。

 私も同じ気持ちだ。

 てゆうか私は仮にもトラヴィスの婚約者なのになぜ聞いてないの? そんな極秘事項なの?



「これも公にされていないことだが、伯父上……ラーディクス大公の嫡子は既に病死している。リチャードは、代わりにと引き取られた庶子だ」



 ええええ!

 なんかもう次々と驚きの事実出て来るんですけど! 後出しが過ぎない!!?

 これが小説だったら読者に『後付けだ!』って怒られそうなんですけど!



「今から6年……いや、7年前か、リチャードが大公家に入ったのは。リチャードの母は没落した男爵家出身のメイドで、身籠ったことでメイドを辞めてずっと市井で暮らしていたらしい。

 まだリチャード本人も自分の出生を知らない頃、俺とリチャードは偶然街で出会って親しくなった。それからしばらくして、大公家の庶子だと分かったんだ。

 リチャードには色の発現がないから本来継承権に問題はないんだが、念のために俺がアカデミーを卒業して地位を確立するまで、この事実は伏せられることになった。髪も染めているんだ。リチャードの母方のロベリア家の色に。

 元の従兄弟殿は病弱すぎて議論にならなかったが、リチャードは庶子とは言え健康で非常に優秀だからな」


 なるほど……。

 確かに6年かそこらで市井の暮らしからアカデミーの教師を務める程に知識を得るなんて、相当に優秀に違いない。

 さすが王族、ウォルト顔負けって感じだな。

 しかしまさかリチャードもミシェルと似たような境遇だとは、全く知らなかった。


 にしても、王子とその従兄弟が偶然街で会って親しくなるなんて、そんなのってあり得るのかな?



「疑問は分かるが、本当に偶然だと思う。あの日俺は初めてお忍びで街に出たし、むしろ俺と親しくなったことで、護衛から父の耳に入ってリチャードの存在が発覚したんだ。リチャードの母上が急に辞めてしまって、伯父上も子どもの存在は知らなかったらしい」



 母子家庭で市井の暮らしが楽ではないことくらい、想像に難くない。

 もしかしたらその暮らしから脱却するために、自分の存在を王宮に知らせよう、という意図があったとは考えられないかな。

 あ、でもトラヴィスは街にお忍びで行く時髪を染めたりして行くんだよね。

 すると、リチャードがトラヴィスを初めて見て王子と認識できるかは怪しいか。やっぱり偶然なのかも。



「それじゃあなんでロベリア先生が怪しいと思うの? 親しかったんだよね?」

「それが……この世界に来て、よく思い出してみたんだが……どうもリチャードにお前が悪女だと誘導されていたように思うんだ。けれど、当時はリチャードの言うことは全て正しいように思えた。今になって考えれば、些かいささか不自然なまでに信じていたと思う」



 何だって!?

 いや、これいよいよ魅了案件では??

 でもさっきシリルは魅了なんて魔法はないって言ってたし……。けど、それに近いものには違いなさそうな気がする。




「トラヴィス。もしかしてロベリア先生と話す時、毎回何らかの肌と肌の接触をしなかった?」


 シリルがトラヴィスの瞳を覗き込んで言う。


 無駄に可愛らしい仕草だな、などと場違いなことを考えてしまった。

 仕方ない。うちの弟はミステリアス改めあざと可愛いのだ。


「そういえば……リチャードが俺の相談を聞く時、いつも俺の手を握っていた。そうすると何故か気分がすっきりするような感覚がし」

「それ! まさに洗脳の手法だよ! 接触する時にほんの少しだけ相手の魔力に同調するように自分の魔力を流すんだ。これが本当に難しいんだけど……でも成功すれば、相手に心地良さを与えて、その時話した内容を洗脳出来るっていう研究結果があるんだよ!」


 トラヴィスの話が終わる前にシリルがバンッと勢いよく立ち上がって言った。

 今でこそ可愛い系専業主夫になっているけれど、元々彼は超優秀な、それはもうべらぼうに優秀な魔導士だったのだ。

 彼は様々な論文を読み漁り、日夜魔法の限界に挑戦していた。

 そんなシリルならば、きっと見たことがある内容なのだろう。


「この魔法の条件は、一定期間継続して同じ状況、同じ接触を繰り返すこと。

 あと洗脳される側が、洗脳する側にある程度好意を持っていないと成り立たない。

 それから、本人が嫌だとか出来ないと思っていることを洗脳するのはすごく難しいんだ。例えば『今死ぬことが正しい』と言っても大概の人は死にたくないから無理だし、『人は殴って鍛えるべき』と言っても暴力を忌避する人は洗脳出来ない。

 あとこれが大きな要件だけど……洗脳の精度は魔力の親和性で変わる。つまり、血縁関係が近ければ近いほど有効だ。これらの条件に……トラヴィスは全部当て嵌まってるんじゃない?」


「……そうだな。リチャードとは従兄弟だし、好感も持っていた。それにあの頃の俺は……その、すまない。クローディアが婚約者であることに不満を持っていた。そこを狙われたんだろう」



 リチャードとトラヴィスが出会ったのが7年前ということは、まだトラヴィスは12歳か。

 こっちの世界ではまだ小学生。

 子どもっぽい不満を持っていてもおかしくない年齢だね。

 仕方ない。許してやろう。



「けど、それなら目的は? 動機に心当たりがあるって言ったよね。何のためにトラヴィスを洗脳して私を嫌わせたんだろう」

「それはたぶん、伯父上の……大公の指示だと思う」



 トラヴィスは語った。


 ラーディクス大公は現王の兄だ。

 これが他の国であれば、トラヴィスの父である現王でなく、ラーディクス大公が王となるのが普通だが、フロース王国では銀髪に金の瞳を持つことが条件である。

 ラーディクス大公は建国神話と同様に茶色の髪を持っていたために、王位に就くことは叶わなかった。

 実はこのフロース王国の風習は、他国から奇妙なものと受け取られることが多いそうだ。

「もしも子どもが1人だけで、その子に色の発現がなければどうするのか」

「もしも色の発現者に事故があったらどうするのか」

「もしも色の発現者が粗野で浅薄な者ならどうするのか」

 等々、確かにごもっともな疑念点がある。

 だがこれはもう、「女神の思し召し」としか言えない不思議な因果により、必ず一世代に1人は銀髪金眼の者が王家にはいるし、銀髪金眼の者は事故に遭わないし、須く優秀なのだ。



 とは言え、王位に就けなかった者が、反逆の意を持ったとしても、おかしくないだろう。

 現に歴史上、何度かそういった謀反は起きている。

 けれど女神の愛し子とも言える色の発現者には、いつだって敵わなかった。

 大公もまさにその類いではないかというのが、トラヴィスの推測だ。


「伯父上が野心を持っていると思ったことはないが、王族なら鋭い牙を隠して笑顔の仮面を被ることくらいするだろう。ずっと市井で育ったリチャードが俺やクローディアを害する理由は、どうしてもないように思う。それなら、伯父上が俺の信用を失墜させ、王位継承権の妥当性に疑問を呈そうとした、と考えた方が自然だ」



 もしもあの断罪劇の後、本格的に公爵家を調査すれば、トラヴィスたちが掴んだのが偽の証拠だと分かっただろう。

 そうなると、痛手を負うのは、トラヴィスたちの方だ。



「はーー。その説はかなり信憑性があるかも……。

 あ、ねえ。不思議なんだけど、なんでウォルトたちは止めなかったの? しかもあんな卒業パーティーの場でさ」


 これも疑問だったのだ。

 仮にリチャードが本当にトラヴィスを洗脳していたとして、ウォルトたちまで洗脳していた訳ではないだろう。



「あの時は焦ってたんだ! 俺たちが卒業してすぐ、2人の結婚の準備が始まる予定だっただろう? そうなったら婚約を解消するのが大変になるからな。多少強引にでも罪を突きつけて、本格調査しなければならないようにするのが目的だったんだ」

「確信もあったのです。証拠や証言もありましたし、何よりあなたという人を誤解していた。私も、いつも不快な顔をして人と接するあなたをよく思っていなかった。パーティーでもいつも不愉快そうにすぐ帰っていましたし。それをただ傲慢な態度と思っていましたが……あれは貴族たちの匂いが原因だったのですね」


 ニコラスとウォルトが言う。

 あの場で全てを明らかにするのが目的ではなく、公の場で騒ぎ立てることで、私を逃さないようにすることが目的だった訳だ。

 確かにあそこまでの騒ぎになれば、有罪にしても無罪にしても検証のために本格調査をしなければならないもんね。

 それにしても私の好感度低すぎない?

 それだけ向こうの世界で浮いてたし、嫌な態度だったんだな。ちょっと反省かも。



「……姉さん。この場で言うのもどうかと思うんだけど……僕は、何も知らなかったんだ。もしも知ってたら、全力で止めたよ。あんな衆人環視の中、姉さんにあんな恥をかかせるなんて……」


 そう言ってキッと他の3人を睨んだ。

 3人は気まずそうに視線を外す。

 私のことで怒ってくれるのは嬉しいけど、居た堪れなくなるからやめて欲しいです……。


「っていうかシリル、あなたも他の人のこと言えないんじゃない? リリーさんが私に虐められたーって話してる時、同調してたでしょ」

「同調なんてしてないよ! ただ、否定しても『お姉さんが怖いのね』とか斜め上のことしか言われなかったから、もう諦めて無視してたっていうか……」

「まあ、確かに多少夢見がちな所があったな、ミシェル嬢は!」

「虐められたという事実がないのなら、夢見がちというより妄想癖ですけどね。少々距離が近すぎるのも、やたらと側に寄って来るのも、何度か如何なものかと注意はしていましたが……」

「考えてみれば、ミシェルと最も親しくなったのはリチャードだったな。境遇が似ているし通じるものがあったのかと思ったが……。もしやミシェルに何やら吹き込んだのかもしれない」



 むむむ。

 なんとミシェル、話通じない系女子だった訳? それともリチャードに洗脳されて?

 いや血縁関係にないから無理かな。

 もしかして、ミシェルも私と同じ様にこっちの世界の記憶があるとか?

 で、自分がヒロインだと思い込んだ……とか。

 にしても、みんながミシェル逆ハー要員だと思ってたってのは……本当に私の思い込みだった訳か。


「なんか……私もみんなのこと勘違いしてたみたい。全員リリーさんにベタ惚れなんだと思ってた。それに、あの卒業パーティーでのことも、根拠もないのにリリーさんへの想いで突っ走っちゃったのかと思ってた。ごめんなさい」



 私たちは、お互いに誤解していたんだな。

 本当の内面が見れてなかったのは、彼らだけじゃない。

 私もだったんだ。



「本当に! 全く! 彼女のことは好きじゃないからね!!」

「あなたにそう思われていたと言うことは、他の人にも思われていたということでしょうか……。それは……結構ショックですね……」

「ミシェル嬢が君に虐められているというのも、君への悪印象とロベリア先生の目撃証言がなければ信じなかっただろうからなぁ。それにミシェル嬢は多分、本当に君に虐められたと思ってるぞ?」

「……そういえば、俺はなんでミシェルと呼んでいるんだ? 彼女に親近感が湧くよう洗脳されていたのか……?」






 話が煮詰まって来た時、私のスマホにバイト先から電話が入り、一旦話を終えて解散することになった。


 そう、実はこの話、結局あちらの世界に行って真相を確認しない限り、解決はしないのだ。

 今日話したことはあくまで仮定。事実は全く違うかもしれない。

 思い込みで考えることの恐ろしさを知った私たちは、仮定は仮定として置いておくことにした。



 けれど、この1年、見て見ぬふりをしてきた問題と真正面からぶつかって、すっきりした気持ちになる。

 トラヴィスは、ずっと信じて来た人の裏切りを予感して、悲しい気持ちになったと思うけれど……。

 それでも、お互いの誤解はきっとある程度解けたから、それだけでも大きな収穫だ。



 晴れやかな気持ちで自室に戻ろうとした所で、シリルに呼び止められた。


「姉さん、ちょっといい?」

「ん? どした?」

「あの…………父さんと母さんのことだけど……」


 そう言われたところで、渋い顔になってしまう。

 いかんいかん。

 こんな顔をしては話しにくくなってしまう。


「姉さんは、父さんと母さんのこと、誤解してるんじゃないかと思って。

 父さんも母さんも、すごく姉さんのこと大事に思ってるよ? アカデミーでのこととか、いつも様子を聞いてくるし。

 トラヴィスの贈る花を直接姉さんに届けないよう指示したのは父さんで、家中から花やその匂いを消したのは母さんだもん。

 父さんも母さんも僕も、姉さんが嫌がるから、香水も何もつけてないんだ。パーティーに行くとどうしても匂いが着いちゃうから、同じ馬車で気持ち悪くならないようにって僕たちは別の馬車にして、姉さんに会う前に必ず着替えて湯浴みもしていたんだよ。

 ……気付いてた?」



 ……え?


 確かに、家の中から花は消えたし、匂いも無くなった。

 でもそれは私が見苦しく狼狽えるからで……トラヴィスの贈り物は使用人の計らいで…………。

 父と母が、香水を付けてない?

 貴族にとって、それは嗜みなのに……?

 確かに、一家で出なければならないパーティーではいつも別の馬車で、でもそれは私を嫌ってるからで……。

 家に着くと私の顔も見たくないって家の中に入って……。



 でもそれが、全部、私のため?



「私……だけど一度だって抱きしめられたり、優しい言葉をかけられたことなんて……」

「それは、子どもの頃に抱きしめようとして、姉さんがパニックを起こして気絶したことがあるからだよ。多分匂いかドレスの柄とかが原因だったんだろうけど……それが怖くて、抱きしめられなくなったって言ってた。

 それに、いつも姉さんは、他人を見るような目で見てくるって。母さんなんか、姉さんに親だと認められてないって、泣いてたよ」


 それは、そうだ。

 だって、私にとっては他人だから。


 けど、父と母にとっては……?


 私は赤ちゃんの頃から私だった。

 途中で誰かに憑依した訳でも、召喚された訳でもない。

 私は2人にとって、間違いなく実の子どもだ。



 あちらの世界でのことを思い返してみる。


 私は一度だって、あの2人を父と母とは思っていなかった。

 それは、2人にも分かったんじゃないだろうか。

 確実に自分の子どもな筈なのに、他人かのように接されたら、どう思うだろう。




 あの2人も、私のことを愛していた?

 本当に……?




 何故、父と母に疎まれてると思っても平気だったのか。


 父や母と思っていなかったから。

 ゲームの中のシステムだと、思っていたから。


 悪役令嬢が悪役になるのには、理由があるのだろうと。

 これはクローディアの「設定」なんだろうと。

 だから致し方ないことなのだろうと。


 そう思った。


 けど、その前提が違っていたら?



 さっき思ったばかりだ。

 私は、色々な誤解をしていたと。



「姉さん、僕が言えた義理ではないけれど、2人は姉さんのことを愛してるよ。間違いない」



 どうせ乙女ゲームの世界だから。

 どうせ悪役令嬢だから。



 そう思っていたのは、私の思い込みだったのか。





 実は、薄々気付いていた。

 けれど、これまでずっと信じていた前提を覆すことが出来なかった。


 けど、もう。





 認めよう。


 本当は、あの世界はゲームの世界なんかじゃなくて、もう一つの現実なんだ。





「……そっ、か。私が、2人に向き合ってなかったんだね」

「あ、ごめん! 姉さんを責めるつもりじゃなくって……このままじゃ、寂しいなって思ったから……」

「分かってるよ。ありがとう……私のことを思ってくれたんだよね。でもなんで、今になって? そもそも向こうの世界では、私のこと無視してたでしょ」



 ずっと思っていた疑問が口をついて出る。

 つい、責めるような口調になってしまった。

 だって不思議だったんだもの。

 この世界でのシリルは私に好意的だし、ミシェルのことも好きでなければ私が濡れ衣だって思ってたんでしょ?

 それなのに何故、向こうでは無視していたのか。

 もしも向こうできちんと話していれば、父と母との関係を改善できたかも……なんて。

 そんなことさえ思ってしまう。


「それは……。僕が、姉さんと接するのが辛かったから……」

「え!? 私何かした!?」

「ううん、そうじゃなくって、その……僕はちゃんと姉さんの弟でいなくちゃと思って、でも…………ごめん!! 今度また話す!!」



 そう言って、慌ててシリルは自室へと入っていった。


 ???


 なんだろう、シリルにも何か事情があるのかな。





 私は向こうに17年も居たのに、知らないことが多すぎる。

 見ないようにしてきたと言ってもいい。


 そんなことに、こちらの世界でこのまま暮らす決意をし始めた途端に、気付くなんて。

 なんて今更なのだろう。


 それでも、今日のことはずっと忘れないと思う。

 本当の意味で、彼らのことを、あの世界のことを、少し、知ることが出来たから。

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