第10話
「じゃあ、話を始めようか」
夕飯も終わって、みんなでダイニングテーブルに着いた。
今日のご飯は親子丼で、卵のトロトロ具合が絶妙で本当に美味しかった。
シリルはどんどん料理の腕を上げている。多分もう私より上手いんじゃないかな。この間のパスタも美味しかったから、また作ってもらいたい。
なんて。
現実逃避をしていても始まらない。
ついに、この時が来てしまった。
この1年。
見て見ぬふりをしてきた。
今の関係が心地よくて、触れずに来てしまった。
けれど本来私たちの関係は、最悪なものだった。彼らは本気で私を罪人だと思っていたし、私も彼らと関わらないよう生きてきた。
本当は、今でも私を悪人だと思っているのかな?
あの卒業パーティーでは無実だと訴えたけど、こちらに来てからは否定してないし。少しは親しくなれたと思っていたけど、それが私の思い込みだったらどうしよう。
でも、さっきトラヴィスは私に謝罪してくれた。少しは、私の無実の可能性を考えてくれたのかな。
私はドキドキしながら、テーブルに視線を落として手をぎゅっと握った。
「……蘭。あの時は、お前の話を聞かずに……本当に悪かった。だが、もう一度お前の口から聞かせてくれ。本当に、お前は何もやっていないのか?」
トラヴィスが、意を決したように言う。
真っ直ぐに私に視線が向けられ、真剣さが伺える。ウォルトもニコラスも、同じように私を見つめている。
ああ、ちゃんと私の話を聞こうとしてくれている。
1年前の、あの卒業パーティーとは全く違う。
今なら、話せば分かるかもしれない。
「うん。私は何もしてないよ。リリーさんを虐めてもいないし、ましてや麻薬の密売なんて絶対してない」
私も、しっかりトラヴィスの瞳を見つめ返して真剣に伝えた。
トラヴィスはそんな私を見て、うん、と頷いた。
「そうだよな。この世界に来て一緒に過ごしたお前は、そんな人間じゃなかった」
「蘭! 無理矢理腕を掴んで床に押さえつけたりして、本当に悪かった! 痛かったか……?」
トラヴィスの言葉を遮る勢いで、ニコラスがバンっと机に手を突いて立ち上がり、体を乗り出して言った。最後の方はまるで泣きそうな顔で眉を下げ、心配そうにしている。
「そうだね……。なんて言うか、多分脱臼したしね……」
良心が痛んだけれど、いやでも実害は実害だときっちり事実を伝える。
するとニコラスの目がどんどんと潤んできて、ついにはポロポロと涙を流し始めた。
「すまん……!! 本当にあの時は頭に血が昇っていて、お前の罪を疑ってもいなかったし……だからと言って暴力だなんて最低だ! お前は暴れている訳でもなかったのに……俺は騎士失格だ!!!」
えええ。
何故お前が泣くニコラスよ!
いかんぞ君がそんな感じじゃ。私が何も言えなくなるじゃないか!
「ニコラス。君が泣いたら姉さんが怒れないじゃん。やめて」
おっと、びっくりした。
すごい、私の気持ちをこんなに代弁してくれる人って他にいる?お姉ちゃんの気持ちよく分かってるね?
でも、さっきも思ったけどシリルって、こんなに冷たい声出せるんだ。
でもいいよシリル。
ニコラスが涙を抑えようと唇を噛み締めすぎて血が出そうよ。
「私も、蘭さんは私たちが当時思っていたような方ではないと思います。ならば尚更、検証しなければなりません。何故、私たちがあなたの罪を確信したのか」
そうだった。久々にウォルトが冷静頭脳派キャラだってことを思い出したよ。
私も不思議だったのだ。
当時は、揃いも揃ってヒロイン(仮)に骨抜きにされたお花畑ボーイたちだと思っていたから特に不思議に思わなかったけれど、今ではそんなことはないと知っている。
トラヴィスは王族としての責務をきちんと理解しているし、国のことを大事にしている。俺様って言うより、口調が偉そうなだけで施政者としての思慮深さを兼ね備えている人だと思う。
ニコラスはただの脳筋ではなくて、周囲を観察して細かい気配りが出来る人だ。確かに腕力だけでは、王子の側近候補にはなれないだろう。
ウォルトは頭の硬い腹黒だと思っていたけれど、全く腹が黒くない。ただ劣等感を隠すために武装していただけで、とても心根の優しい人だと思う。
シリルは……。
シリルはなんていうか、元の世界とこっちの世界では完全に別人だ。もっと無表情でミステリアスキャラだったのでは……?
とにかく、彼らがただの思い込みだけで、あんな断罪劇はしないだろうと思うのだ。
「まず、公爵家のメイドへの傷害事件を考えましょう。私たちはあなたが隠れてメイドに暴力を奮っており、怪我を負ったメイドに障害が残ったと思っていました。メイド自身からは証言が得られませんでしたが、同僚のメイドからは証言を得たのです。これについて、本当はどういうことだったのですか?」
「それってマリーのことだよね。確かにマリーは怪我をして、声が掠れて出なくなっちゃったし、手にも麻痺が残っちゃって……本当に、辛そうだった。でもマリーは、強盗に襲われて怪我をしたんだよ」
マリーはたまに私の部屋を掃除してくれるメイドの1人で、そばかすが可愛らしい子だった。
まだ10代で人生これからというところだったのに、買い物からの帰り道、強盗に襲われて財布ごと荷物を奪われたのだ。その際に角材で殴られてしまい、運悪く当たった首とそれを庇おうとした腕に酷い怪我を負った。
私はできる限りの治療を受けさせて怪我は治ったけれど、残念ながら障害が残ってしまったのだ。
あまりに不憫だったし、マリーは平民出身できっとこれから大変だろうと思って、私はこのまま屋敷に残っても良いと言った。けれど、働けない身で残るのは忍びないと思ったのか、彼女は屋敷を去ることになったのだ。
彼女は喋れないし文字も書けなかったけど、“はい”か“いいえ”で答えられる質問を重ねて、どうにか意思を確認できた。
彼女の実家は馬車を乗り継いで何週間もかかる程遠い所だったけれど、叔母だと言う人が王都に居たため、一緒に付き添ってくれて彼女は王都を離れて行った。
故郷に帰ってから、代筆屋に書いてもらった手紙を送ってくれ、無事に故郷で暮らしていると聞いた。
きっとあの長さの手紙を書いてもらうのは大変だったろうに。
今考えても胸がツンとする。どうにか、幸せに過ごしてくれればいい。
「なるほど……。ではお前がやったことだと証言したメイドは、嘘を吐いていたことになるな」
トラヴィスが顎に手をやりながら呟く。
知らなかった。
そんな証言をしたメイドが居たのか。
「その証言、誰がしたんですか? 私、その子に嫌われることでもしたのかな……」
「確か、ジルという名前のメイドだ。洗濯メイドだったはずだが」
ニコラスの言葉に、私は首を捻る。
そんな子居たかな?
自慢ではないけれど、断罪回避のために使用人に優しくしようキャンペーンを実施していたので、屋敷の使用人の名前は全員覚えているのだ。ほら、誰だって名前を覚えててもらうとちょっと嬉しいじゃん?
1年前の記憶だから、もしかしたら忘れてるだけかもだけれど……。
「あ! 分かった! その子、割とすぐ辞めちゃった子だ。確か、マリーが屋敷から出て行って少ししたら辞めちゃったんじゃないかな」
公爵家のメイドになれるなんて栄誉あることだと言われているのに、一身上の都合と言って辞めてしまったから、当時気になったことを思い出す。
「なるほど……。そのメイドは誰かの密偵だった可能性がありますね。私たちの調査に嘘の証言をすることで、任務を達成したため辞めたのかもしれません。しかし、他の使用人にも話を聞いたのですが、皆一様に口を閉ざしたと聞いています。それは何故でしょうか」
「そんなの決まってるじゃない。私が口止めしたんだよ」
「何故そんなことを?」
「いやだって、暴漢に襲われただなんて、事実はどうあれ噂好きな人たちがアレコレ言うに決まってるじゃない。まだ若い女の子が……そんな噂を立てられたら名誉が傷付くと思わない?」
王都の人々は、貴族も平民もとても噂好きだ。元の話から尾鰭も背鰭も付いて広まっていく。
まだ未婚の若い女性が襲われたなど、一度出回ったらきっと下世話な内容が付いていくに決まってる。
ただでさえ障害を負って大変な状況で、口さがない人たちの餌食になってはあまりに不憫だ。
「事故だってことにしたとして、街中の事故なら真偽なんてすぐバレてしまうし、屋敷内の事故だと誰かの責任問題になっちゃうかもだし。だから、マリーが王都を出るまで黙ってて貰ったの」
故郷に帰ったら、それはそれで色々言う人が居ると思うけど。
せめて私が出来る範囲では、どうにかしてあげたいと思ったのだ。
「……一介のメイドに、そこまで心配りを?」
ウォルトが目を丸くして驚いている。
うーん、まあ高位貴族の彼らにとってはそうなのかな。
「メイドだって、同じ人間だよ? それに一緒の屋敷に暮らしてる仲間じゃない。むしろなんで何もしてあげないと思うの?」
なんて言うか、みんな何でそんなに使用人を自分たちとは別物だって考えられるんだろ。
ほら、AIだって明らかに人間じゃないのに会話するとちょっと愛着湧いたりするじゃん。ましてや人間なんだから、何か迷惑かけたら悪いなって思うし、今回みたいなことがあったら不憫にも思う。
それって人間として当然だと思うんだよね。
「……確かに、この1年ここで暮らして、その感覚は分かるような気がするなぁ」
「そうだな。バイト先の仲間たちを見ていると、彼らにも生活と家族があって同じように生きているのだと分かる。ここに来るまで、使用人というのは空気に近い存在だったが」
「そう……ですね。使用人に非道なことをしたとあなたを非難しながら、私たちこそ彼らのことをきちんと同じ人間と捉えていなかったのかもしれません」
ニコラスとトラヴィス、ウォルトが妙に納得している。
ふむ。こちらの世界での生活で、彼らの価値観も変わったようだ。
確かに彼らの気持ちも分かるのだ。貴族、特に彼らのように名門家系だったりそれこそ王族であれば、ほぼ常に誰かが近くに居る。
使用人を空気だと思わなければ、息が詰まるだろう。
それでも私は、そうは思いたくなかった。
「姉さんは、昔からそうだよ。誰に対しても対等に接してて、使用人たちから慕われてた」
シリルの言う通り。
両親とも義弟とも婚約者とも上手くいかなかったが、使用人たちとはそれなりに仲が良かった。あちらの世界で何とかやっていられたのは、彼らのおかげだと思う。
トラヴィスは顎に手を当てたまま、更に尋ねる。
「では、街のパン屋を強奪したという件は何だったんだ? 実際に建物の名義は変わっていただろう。その後店を出した訳ではないし、何のために買収したんだ?」
「ああ、それね。そのパン屋を営んでる店主が、マリーの叔母さんだったんだ。折角良い立地が手に入ったのに、マリーに付き添うと長期間店を空けなきゃいけなくて、そうすると支払いが滞って出て行かされるかもって心配してたから。建物を分割払いで買ったらしくて、まだ支払い途中だったんだって。お金を立て替えることも考えたんだけど、それよりは不動産を購入する方が父に説明しやすかったから、そうしただけだよ」
叔母さんはマリーのことを不憫に思い、付き添うことに快諾した。
けれど、そうすると店はどうしよう不動産屋にお願いするしかないか、と悩んでいたから、謝礼代わりに一旦私が所有権を買って、後で私に賃料を払ってもらうことにしたのだ。
私の小遣いの範囲であるとはいえ、何に使ったかは父に報告しなければならない。
ただメイド個人のために支出したというよりも、収入の期待できる投資と思われた方が話しやすかった。
「店主の叔母さんもマリーの故郷に着いたらしばらく滞在してくるって言っていたけど、あの卒業パーティーの頃にはそろそろ戻って来る頃だったんじゃないかな」
「じゃあ、お前と店主が揉めていたという証言は……また偽りか?」
「うーん、そうかもね。確かに私はあの店にマリーのことを話しに行ったから、『クローディアがあの店に行った』という事実はあって、後は見た人の印象と言われればそれまでだし。あーでも一応お忍びで行ったから、私だとは分からなかっただろうし、やっぱり仕込みかも」
馬車だって家紋入りのじゃなくて普通ので行ったし、フードで髪の色も分からなかっただろうから、これで私だと断定されたのは、やっぱり不自然だ。
どう考えても、誰かが裏で糸を引いている。
そう思った。
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