第45話 傷
ひとしきり泣いたら少し気持ちも落ち着いて、シャワーは一人で浴びることができた。
妃乃に全部お世話されるのも捨てがたいとは思ったものの、わたしが自失状態から回復したことを察知したら、妃乃はわたしを一人浴室に残して去っていった。
「はぁ……何やってんだか」
銀子を失うかもしれないというだけで、驚く程自分を見失ってしまった。
銀子のことが大切なのは事実。でも……わたしは、思っていた以上に、銀子のことが大切だったのだ。
「ねぇ、銀子……。わたし、どうすればいいのかな……?」
銀子がわたしのことを好きだという事実を知ってしまった以上、今まで通りの交流はできない。それは妃乃に申し訳ない。
優先順位なんてつけたくなかったし、そういう言い方はしっくりこない。でも今は、わたしは妃乃を優先したい。
妃乃のことが、好きなのだ。
銀子が離れていくとしても、妃乃との関係を優先させないと……。
そんなことを考えていたら、またじわりと涙が滲んだ。
「……またぁ?」
もう、なんなの? わたしは妃乃のことが好き。妃乃のことを一番に考えたい。
わたしには、それ以外の選択肢なんてない。
「銀子……。バイバイ」
胸が痛い。心臓がよじれて破裂しそう。
「……無理か。銀子を完全に忘れるなんて、できないや」
わたし、銀子のこと、好きだ。
この気持ちは恋じゃない。
でも、もしかしたら……恋よりも、強い気持ち。
恋心が、あらゆる感情の中で一番尊くて強い、なんてことはない。
妃乃と銀子、どっちの方が大事かなんて、決められないとしても。
銀子の存在は、わたしにとってあまりにも大きい。
「泣いたって、どうしようもないじゃんよぉ」
目から溢れるものを、シャワーで洗い流していく。
声は出さない。でも、わたしはまたしばらくひっそりと泣いた。今日一日のことを思い出しながら、泣き続けた。
十五分くらいして、わたしはシャワーをとめる。浴室を出たところで……妃乃がいた。こちらに背を向けて、膝を抱えて座っている。
わたしがシャワーを浴びている間中、ずっとここにいたのなら。
たぶん、妃乃は、わたしが考えていたこと全てを読みとっている。
今日あった出来事も、わたしの銀子への想いも、理解してしまっている。
「妃乃……?」
まだ体を拭いていないので、滴がぽたぽたと落ちる。
「ねぇ、瑠那」
「何?」
「……瑠那は、銀子さんのところに行った方がいいんじゃないかな」
その声は震えていて、今にも泣き出しそうだった。
「なんでそんなこと言うの?」
「だって、瑠那は銀子さんのことが好きなんだもの」
妃乃の背中は、こんなにも小さかったかな。
「銀子のことは好きだよ。でも、この気持ちは恋じゃないよ。ずっとそこにいたなら、わたしの気持ち、わかってるでしょ?」
「……自覚がないだけだよ。それは、きっと恋だよ」
「違う」
「違わない」
「……違うって」
「違わないよ」
「ばか」
妃乃の服が濡れてしまうのもお構いなしで、わたしは妃乃の後ろに座り、その体を抱きしめる。
いつも温かくて頼もしい背中が、凍えたみたいに震えていた。
ついさっきまでわたしの方が取り乱していたはずなのに、妃乃の姿を見ていたら、妙に冷静になってきた。
「なんでわからないの? わたしの心が読めるんでしょう? わたしがどれだけ妃乃を好きで、大切で、絶対失いたくないって思っているか、わかるんでしょう? なんでそんな勘違いしてるの?」
「だって……瑠那にとっての銀子さんは……あまりにも、大きすぎる……。私には、それもわかる……」
「そうだね。銀子はわたしにとって、かけがえのない存在だよ。銀子のことも、絶対に失いたくないって思ってるよ。でも、キスしたいと思うのは妃乃だよ」
「……でも。もし、瑠那が私と付き合うことがなくて、私と付き合う前みたいな交流を銀子さんと続けていたら、二人は絶対に付き合うようになってた。もっと早く会ってみるべきだったねとか言いながら、私よりもずっと強い絆で結ばれて、お互いのことを好きになってた。私は……瑠那と関わるべきじゃなかったんだよ……」
「……違うよ。それは違う。妃乃がわたしと関わるべきじゃなかったなんてことは、絶対にない」
「嘘っ」
「嘘じゃない。ねぇ、だって、妃乃と一緒にいられるようになって、わたしは心底幸せなんだよ? この幸せを得られない人生なんてもう考えられない。わたしは妃乃が好き。他の誰より、妃乃と一緒にいたい」
「……銀子さんの方が、大切なくせにっ」
「そんなことないよ」
「嘘っ。私と付き合ってても、今みたいな状況になっても、瑠那は銀子さんを手放せないって思ってる! 私より、大事だから!」
「……違うよ。そうじゃないよ」
わたしの心がわかるはずなのに。
妃乃は、わたしの心を理解していない。
どうしてだろう? 全部わかるんじゃなかったの? わたしが銀子を手放せないのは、妃乃より大切だから、なんてことじゃないよ?
「違うっていうなら……銀子さんと、もう連絡取らないで。私だけを見て」
絞り出すような声に、胸が痛くなる。
わたしに妃乃の心はわからない。わたしの銀子への気持ちを理解して、妃乃はわたしと銀子の交流を認めてくれていたのだと思っていた。
でも……ずっと辛かったのかな。わたしが銀子に恋愛感情がなかったとしても、恋よりも強いかもしれない絆に、わたしが想像する以上に嫉妬していたのかな。
言ってくれないとわかんないよ。
なんて言うのはずるいよね。
言ってくれたって、わたしは銀子と縁を切るつもりはなかった。
「……ごめんね、妃乃。ずっと、ごめんね」
謝りながら妃乃の頭を撫でる。小さい子供をあやすみたいに。
「瑠那……。わたしを、捨てないでよ……」
なんでそんな心配をしているのだろう? 捨てるわけないのに。
「捨てない。一生傍にいる」
「瑠那は、わかってないよ。瑠那がどれだけ特別か。私のことを知って、それでも平気な顔で傍にいてくれるのが、どれだけ異常なことなのか。そんな人、瑠那しかいないんだよ。私には、瑠那しかいないんだよ……っ」
「気づけなくて、ごめん。わたしと付き合う前、妃乃は、ずっと寂しかったんだよね。今は、わたしがいなくなるかもしれないって思うのが、すごく怖かったんだよね」
わたしの強い想いを知ってなお、不安を抱き続けてしまうくらいに、妃乃はずっと辛かったのだ。
家族に、この家に置き去りにされた心の傷は、ずっと残っていたんだね。
普段は平気そうに笑っているから、気づくのが遅れちゃったよ。
「妃乃。ごめんね。好きだよ」
ようやく。
妃乃がこちらを振り向く。その頬は涙で濡れていた。
「私を、離さないで」
妃乃の唇が、わたしの唇と重なった。
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