3‐3 易 妙という女官

 嵐は一晩で通り過ぎた。

 女官たちは朝からおおいそがしだった。荒れてしまった庭や廻廊の清掃、壊れたところの修繕、雨洩りの掃除など、昼食の時間まで休憩を取る暇もなく働き通しだった。


「ああ、お腹減ったわあ」


「こんなに賄いが恋しく感じたのは久し振りよ」


 賄いは、女官たちの楽しみのひとつだ。正確には、昼食を取りながら、妃妾がどうだの、仕事がきついだのと噂や愚痴に花を咲かせるのが女官の日課である。

 だが、毎度喋るよりも食べることに熱心な女官がいる。

 イー ミャオだ。食いしん坊な新人女官――だが、食べたら食べただけ、きびきびと働く頑張り屋、というのが職場の女官たちの、妙にたいする印象だった。

 それなのに、だ。


「……ごちそうさまでした」


 ミャオが匙をおいたのをみて、先輩女官が瞳をまるくした。


「え、妙……お、おかわり、食べないの?」


「お腹いっぱいなんで」


「でも、海鮮粥はあんたの大好物じゃないの」


「好きは好きですけど……残りは、先輩がたで食べちゃってください」


 妙は袖を振って、ふらふらと食堂を後にしてしまった。


「あの妙が、おかわりしないなんて、そんな……」


「変なものを食べてお腹を壊したんじゃない?」


「まっさか。あの娘はそうそう、お腹なんか壊さないでしょ」


 先輩女官に続いて、ほかの女官たちも心配そうに顔を見あわせる。


「恋わずらい、とか?」


「ないない」


「だよねぇ」


「そうそう、妙が恋なんかで食欲をなくしたら、今晩は嵐どころか、雪が降るわよ」


「で、でも、昨日……」


 先輩女官が言いかけて、唇をひき結ぶ。


 第二皇子である錦珠ジンジュから、内緒だよといわれていたのだった。

 だが、あの後、果たして錦珠ジンジュミャオになにがあったのだろうか。まさか、寵愛を得たとか? いや、あの娘にかぎってそんな。だが、妙は朝帰りではなかったか? 様々なことが頭をかけめぐり、先輩女官まで段々と食欲がなくなってきた。


「ううっ、いったい、なにがあったのよお!」


 後から絶対に聞きだしてやるんだからと、先輩女官は息を捲いた。


 

 …………


 

 結局、嵐の後始末は朝から晩まで掛かった。


 勤務を終えた時には日が暮れていたが、ミャオは気分を変えたくて後宮の町に繰りだしていた。先輩女官がぎらぎらとした眼でみていたような気もするが、まあたぶん、疲れていたせいだろう。

 旨そうなにおいを漂わせた屋台にも、今晩は惹かれなかった。


 橋にもたれて、妙はため息をつく。


(廃嫡された第一皇子を皇帝にする、か)


 あらためて考えても、とんでもないことにかかわってしまった。


 ほんとうにそんなことができるのか。どうすれば、占星師の神託を覆せるのか。朝からそんなことばかりを考えてしまい、食欲が湧かなかった。


 だが、後悔はない。


 錦珠ジンジュは予言ができるという話も気に掛かっていた。彼が予言をするようになった時期は、ちょうどあねが失踪した時と重なる。錦珠について調べていけば、姐の手掛かりも得られるかもしれなかった。


(とはいえ、今の段階では頭をなやませたところで、どうにもならないな。うん、やめやめ。それよか、腹が減ってはなんとやらだ)


 いったん割りきれば、思いだしたように腹がぐうと減ってきた。激安の屋台にでもいこうかとおもったところで、後ろから声をかけられる。


「風邪、ひかなかったみたいだな。よかったよ」


 振りかえれば、路地裏の壁に累神レイシェンがもたれていた。


「これから星辰シンチェンの見舞いにいくんだが、ついてきてくれないか」


「星辰様ですか。その後、体調は落ちつかれたんですか?」


 第三皇子の星辰シンチェン夢蝶モンディエの薬を飲み、急性の発作を起こして、重態になった。累神からはその後、一命を取りとめたという連絡は受けていたのだが、それきりになってしまったので案じてはいたのだ。


「で、でも、いいですかね。私、いろいろやらかしたんですけど」


 なにせ、フェイ妃の頬を張ったのだ。不敬罪で捕まっていないのが奇跡である。


「実は彗妃のほうから、妙にも声をかけてくれと」


「ええっ……どういうことなんですか、それ」


 理解できない。さすがに見舞いにいったら捕吏がいる、なんてことはないだろう。妃から声を掛けられているかぎりは、遠慮するほうが失礼だ。フェイ妃に逢うのは非常に緊張するが、ミャオは観念して累神レイシェンと一緒に星辰シンチェンの宮にむかった。

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