第4話


 この娼館を見つけたのはたまたまだった。


 金の為にその身を落とした貴族令嬢の、身請け代理人としてやって来た時に偶然この部屋の存在を知った。遠巻きに見える街並みの方角にグリーン伯爵家がある。肉眼では見えないが、最近聞いた遠くがよく見えると言う望遠鏡なる物を使えば見えるのではないか? そんな疑問を持ち、伝手を使い望遠鏡を隣国から取り寄せると、試しにこの部屋を借り試みた。

 望遠鏡の性能は思いのほか高く、グリーン伯爵家が良く見え、フロイドは思わず興奮の声を上げたくなるほどだった。


 この高級娼館の一室を借りておきながら、女を呼ばない道理はない。だが、フロイドは巧みに主の弱みを握ると、その我儘を通した。

 娼館など綺麗ごとでまかり通るはずがない。その悪事のネタを握り潰すことなどフロイドにとってはさも簡単な事。それを条件に、この部屋を我がもの顔で使用するのだ。店側も、たったそれだけのことでこれからも安心して商いができる。お互いにとってこんなに都合の良いことはない。


 フロイドも男だ。

 今まで浮いた噂ひとつないとしても、その性のはけ口を求めて娼館に通い詰めても何らおかしくはない。むしろ男色とまで流れた危ない噂が一掃されて好都合。




 サンドイッチを食べ終わると、ワインをボトルごと握り直接口をつけラッパ飲みをし始める。

 普段の彼は決してこのような下品な事はしない。だがこの部屋に来ると、彼の男の部分が掘り起こされるようで、行動が乱暴になってしまう。

 それはこの部屋の様相や、館中に漂う甘い媚薬のような匂いのせいかもしれない。


 望遠鏡から覗くフランチェスカの部屋は暗く、灯りが灯されることはなかったが、

 しばらくするとぼんやりとした灯りが部屋を動き周り始める。

 たぶん、メイドが彼女の部屋に灯りをともし始めているのだろう。

 その光は端から段々と増え始め、やがて部屋中が明るく灯される。

 そろそろ、フランチェスカが部屋に戻ってくるのだろう。

 晩餐を終え、今頃は湯あみをしているのかもしれない。

 その後、彼女はいつもまっすぐに部屋に戻り、部屋でくつろぐことが多い。

 そんな日常すらも美しいのがフランチェスカだ。

 ただ待つだけの時間を過ごすのも、フロイドにとっては至福の時間なのだ。



 フランチェスカの部屋に灯りが灯り、しばらくするとフランチェスカがナイトガウンを着たまま部屋に入ってきた。

レースのカーテン越しにも人物の確認はできる。フランチェスカはソファーに座ると、メイドが入れてくれたカップを口に当てている。

フランチェスカは夜会の席などで、ほとんど飲食をすることはない。たまにグラスを口にする光景は目にするが、口をつける程度でほとんど飲んではいないようだった。そんな珍しい姿を目にすることができるのも、またフロイドの心を刺激する。

何をしていても、彼女のすることは全てが好ましく思えてしまう。


 ソファーに座り本を読んだり、少しばかり何かを摘まんだりして時間を過ごすフランチェスカ。いつもの見慣れた姿にフロイドもチョコレートを一つ摘まむと、口に放り込む。そして、その指を加えチュパチャパと吸い付くように音を立て始める。

 そろそろか?と、フロイドは濡れた指を自らのシャツで拭い、カーテンを大きく開くと、自らの姿が見えるように立ち上がった。

 三脚の高さを調整し立ったまま見える位置に直すと、そのまま望遠鏡を覗き込む。


 フランチェスカはメイドと何やら話し、少し笑みをこぼしている。

 お茶の道具を片付けたメイドが部屋を去ると、彼女は自室に一人残された。

 そして、窓際に近づくと静かにドアを開け、一人ベランダに出る。

 彼女は最近、ベランダに出て一人月を見ているようだった。

 王都の端にある高台。この時間、その高台の上に月が上り、その月の下にこの高級娼館が位置している。

 彼女の視線の先にある月。その下にフロイドがいることになる。

 フランチェスカがこの娼館にフロイドがいるとは、知る由もない。

 だが、彼女の視界の中にはこの娼館も入っており、認識はされなくても彼女の目にはフロイドも映っているのだ。

 そのために彼はカーテンを開け、たとえ見えなくても、認識できなくても、自分の姿が彼女の瞳に映ることを喜び、快感を覚えるのだった。

 

 望遠鏡越しに映るフランチェスカは、ナイトガウンを着ており、その美しい銀髪はゆるく編まれて右の肩に流れるように下ろされている。

 時折吹く風が彼女の髪を揺らし、色香を纏っているようだった。

 フランチェスカはまっすぐフロイド見据えるように、こちらを見ている。

 彼女の瞳には月が映し出されているのに、時折視線が絡み合う錯覚に陥ることがある。フランチェスカの黒い瞳が自分をとらえて離してはくれない。がんじがらめにされるような、そんな束縛感のようなものを感じ、フロイドは背筋にゾワリとする感覚を覚えてしまう。だが、それもまた彼にとってはたまらない恍惚感を得ることになる。



 誰も知らずとも、彼女自身が知らずとも、フロイドにとってはふたりきりの至福の時間。



 しばらく月を見上げ堪能すると、フランチェスカは部屋に戻る。

 そして寝台に横になると、彼女はレースのカーテンを開け放ち、月を見上げたまま眠りにつくのだ。

 まるで誰かに己の存在を確認させるかのように。


 フロイドは彼女が眠りにつくまで、望遠鏡から視線を外すことは無い。

 次第に彼女の胸元が規則的に波を打ち始めると、メイドが静かに部屋に入りカーテンを閉めていく。レースのカーテンの上から厚いカーテンをさらに閉じていき、わずかに漏れる灯りも順番に消え、フランチェスカの部屋は静寂に包まれる。



 こうして、存在を知られることもないままに、フロイドとフランチェスカの夜は更けていくのだった。



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