第2話


 夜会の喧騒を少し早く抜けだしたフロイドは、自宅の執務室で執務机に向かっていた。

 今夜、フランチェスカに対して嫌がらせをしていた令嬢達の名を書きだしている。

 その数四名。そのうち、二人は再犯である。

 一度目は温情を与え見逃すことにしている。だが、二度目はない。

 


 真っ白な用紙に書かれた二人の名。


一人は伯爵家の令嬢。そしてもう一人は子爵家の令嬢だ。

 確か伯爵家の令嬢には婚約者がおり、来年あたりには婚姻をするとも聞いている。

 だがどうだろう、この娘が他の男と浮気をしている現場を目の当たりしたら。到底男側は受け入れることなど出来るはずがない。他の男の種を仕込んでいるかもしれない娘を娶るなど、もってのほかだ。


 そしてもう一人、子爵家の娘はと言えば。この子爵家、確か昨年の干ばつで領地経営が芳しくないと聞いている。いっそこの家にとどめを刺してしまおうか?それとも家のためにと、金と引き換えにこの娘をどこかに嫁がせようか?

 そうだな、辺境の地にいる伯爵は最近またしても妻を亡くしたと聞いている。

 大層色事に長け、何やら変わった趣味を持つと言う男の元に身売りをさせるのもまた一興。今度は何年もつのやら?


 はたしてどれが良いものか? 二人の娘の名を前に、フロイドは口角を上げながら考えにふけっていた。

 しばらく想像を膨らませ思案したあと、目の前にあるベルをチリン・チリンと鳴らした。


『コン・コン』

「入れ」


 フロイドの言葉にドアが開き、執事のセバスチャンが現れた。


「旦那様、お呼びでございますか?」


 セバスチャンの問いに、フロイドは無言で目の前に置かれた紙を差し出す。

 それを受け取った彼は、真剣な眼差しで目を通し、フロイドに視線を向けた。


「いつものように頼む」


 すでにフロイドの意識は別の書類へと向けられており、自分の思いを完璧に汲み取る執事を信用しきっているようだ。


「かしこまりました。早急に……」


 セバスチャンは預かった紙を綺麗に折りたたむと、大事そうに胸ポケットに仕舞い込んだ。その後、改めてフロイドに向き直ると、


「例のモノ、今月はいかがなさいますか? 準備は整っております」


『例のモノ』その言葉を聞くと、フロイドはピクリと眉を動かしペンを握る手を止めた。


「そうだな。では、今から頼めるか?」

「かしこまりました。すぐに」



 セバスチャンは部屋を出ると、花瓶に生けた一輪の薔薇をお盆に乗せ戻って来た。

 フロイドのデスクに花瓶を置くと、彼の前に短刀を静かに置き部屋を去る。


 フロイドはその短刀を片手で持ち、聞き手でない右の薬指に付きつけた。刃の先端は指先の皮を破りプツッと聞こえたような気がして、フロイドはわずかに眉間にしわを寄せる。

みるみる溢れる赤い鮮血が指先からしたたり落ちそうになると、フロイドは迷うことなく薔薇が生けてある花瓶の水に「それ」を落とし入れた。

 透明なガラスの水の中を、まるで生き物のようにうごめく「それ」を、フロイドはずっと眺めていた。いつしか「それ」は、自らの意思を持つかのように薔薇の茎にまとわりついていく。まるでフロイド自身のように。

 水に自身を委ね切った「それ」は、生気となるべく薔薇に吸われることで一体化していくのだ。


 「それ」をその身にまとわりつけ一体化した薔薇の花は、フランチェスカの髪色と同じ銀色のリボンを結び、本来の主の元へと贈られていく。

 彼女がその薔薇を手にした時、その指に、肌に「それ」を否応なく触れることになる。それを想像するだけでフロイドは心の高まりを覚える。


 しばらくうっとりと「それ」を眺めていたフロイドは、ポケットに手を入れ大事そうにハンカチーフを取り出した。

 そう、夜会の席でフランチェスカの顔に付いたワインを拭きとった物だ。

 白い布時には赤いワインが染み付いている。広げたハンカチーフをフロイドは自身の鼻にあて、思い切り息を吸い込んだ。

 ほんのりと高級ワインの豊潤な香りの中に、フランチェスカが身に付けていた香水の香りがするようだった。

 ゆっくりと顔から離しワインの染みを確認すると、一筋、ほんのわずかではあるが、ワインとは違う紅のような赤みが付いていた。

 フロイドはそれを指でなぞると、その指先を自らの唇にそっとのせた。

 


 誰もいない一人きりの部屋で、フロイドは愛する女を堪能するためにその時間を費やす。この時間が彼の至福のひととき。

 引き出しの中から小さな額縁を取り出し、目の前に立てる。そこには愛するフランチェスカの姿絵が描かれてあった。

 サイドボードの上にはセバスチャンが用意したワインがある。それをグラスに注ぐと、絵姿の額縁にあて一気に飲み干した。

 

 フロイドは椅子に深く腰掛けると目の前の絵姿に手を伸ばし、優しくフランチェスカの輪郭をなぞり始める。ゆっくり、ゆっくりと、髪の毛一本、まつ毛の先までも堪能するように、彼の指先は慈しむように触れていく。


 

 恍惚とした表情を浮かべるフロイドの目じりが、次第に薔薇色に染まり始める。

 それはワインによるものなのか、それともフランチェスカに対する欲情のものなのか?


 それは誰にも分らない。




~・~・~




 フロイドは王太子の側近である。それと同時に宰相の補佐もしており、多忙を極めている。自分に与えられた執務室で机に向かうことなど滅多にない。

 常に王太子殿下か宰相に呼びつけられ、どちらかの部屋で仕事をすることが多い。



「そう言えば。東の辺境伯爵のところに子爵令嬢が嫁いだそうだ。前の奥方が亡くなられたばかりで、まだ喪も開けていないというのに」

「それだけ魅力的なご令嬢なのでしょう」


 突然の王太子の言葉にも、フロイドは眉一つ動かすことなく淡々と答える。

 子爵家への援助と引き換えに差し出された娘。


 先に手を出してきたのは向こうの方だ。愛する者を傷つけられ、黙っているほどフロイドは甘くはない。やられたからやり返した。ただそれだけの事。


「今度はどれくらい持つか賭けるか?」


 子供のような顔をした王太子を前に、ふっと鼻で笑うと、


「一年持てばいい方でしょう? では、私は一年以内で」

「あ!ズルいぞ。私も一年持たないと思っていたのだ。これでは賭けにならん」


「私が先に言いました。殿下は一年以上でお願いしますよ」

「そんな、勝ち目のない賭けに乗るほど私は間抜けではない」


 王太子は不貞腐れたように頬を膨らませた。


 年上のフロイドを兄のように慕う王太子。彼がまだ若い頃からお目付け役としてその側に付くことを任されていた。

すでに妻を娶り子をもうけ、平和な今の世では何の憂いもなく次代の王になるべく人である。


 フロイドは政治に興味があるわけではない。

 次代の王となる人間を傀儡に仕立て上げ、自らの思うままに操りたいなどと思ってもいない。そんな面倒な事をする暇があるのなら、自分のために時間を使いたいと思う。その内容はどうであろうとも。



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