第11話「お茶」

 完全に涙が止まり落ち着いた私に、嘘をついてまで諦めさせようとしたのは、流石にやり過ぎてしまったと反省したのかもしれない。


 デュークは言いづらそうではあったものの、初めて私に『これからお茶をしないか』と誘ってくれたのだ。


 もちろん……これまでにデュークは私の誘いをことごとく断っていたので、バツの悪そうな表情をしていた。


 けれど、これは私にとっては、とても嬉しいことだった。


 すぐ前のことを忘れて浮き足立ってしまった私は、近くに控えていた侍女エボニーとアイボリーに命じ近くの応接室を準備させた。


 王族に付く侍女である彼女たちは優秀で鼻の良い獣人たちが好んで飲むとされている花の良い匂いのする茶葉で、わざわざお茶を淹れてくれたようだった。


 けれど、デュークは何故かお茶に手を付けない。私の優秀な侍女の不手際は、余り考えられないから不思議だった。


 もしかしたら、彼には私たちに気がつかない何か気になることがあったのかもしれない。どうしたのかと、私は彼の名を呼んだ。


「デューク……?」


 首を傾げた私の呼びかけの意図をきっとそうするだろうと予想していたのか、ニヤッと悪く笑って長い足を組み直しつつ何度か頷いた。


「すみません。俺は熱いのは苦手なんで、お茶を飲むのは、もう少し冷めてからにします」


 え! ……やだ何、可愛い。


 成人した男性のプライドを傷つけかねない言葉を言ってしまいそうになった私は、思わず手で口を押さえた。


 そういえば……獅子って、猫と同じ種類だったかしら。確か、猫って熱いもの苦手だったわ。


 なんて、可愛いの。


「……姫が今何考えたか、すぐにわかったっす。こんなデカい図体をして、なんだか申し訳ないっすけど、これは生まれつきの体質なんですみません」


「いいえ。気にしないで。こんな二人しかいない私的なお茶会に、礼儀作法も何もないもの。どうぞ自分が飲み頃で飲んで頂戴」


 私は人であれば美味しく適温だと言えるお茶を飲みつつ、デュークに微笑んだ。そんな彼は、なんだかいつもとは違った。


 私を騙そうとしたという罪悪感でも感じているのかもしれない。


「……ありがとうございます。姫は、優しいっすね」


 私は多分……王族はそうあるべきと求められるように、万人に対し優しくはない。


 自分が好きな人には特別に優しいだけだ。デュークには、殊更に優しくしたい。


 でも、そんな自分を好きになってくれとは……望まないけど。


 私だっていずれデュークのことを諦めねばならないことは、自分でも理解している。だから、そんな心配は杞憂だと言うのに。


 見返りを求めない愛という普通なら得難いものを教えてくれた彼には、とっておきの親切をしておきたい。


 後々『あの時に、こうすれば良かった』って、後悔してしまわないように。


「……ねえ。前から聞きたかったことを、聞いても良い?」


「どうぞ」


「……デュークって、そんなに綺麗な顔立ちをしているの。お父様お母様、どちらに似ているのかしら?」


 以前から聞きたかった私の質問に対し、彼は不意をつかれたのか。きょとんとした顔になった。


「俺がですか……? どうなんすかね。毛が黒いのは、単なる突然変異っす。白と黒は、一族でもたまに居るそうなんで。獅子の一族は元々一夫多妻だったって、姫は知ってますか? あ。それって大昔の話っすよ。今では、この国の法律に従い、ちゃんと一夫一妻ですよ」


「ええ。もちろんよ。私たち王族は、守るべき国民である人と獣人のことを真っ先に教育を受けるわ。それと、デュークが魅力的であることは、何か関係があるの?」


「こうやって手放しで褒めてくれる姫と一緒に居ると、自分がとても特別な存在であるように思えて、なんだか気分良いっすね。一夫多妻が当たり前だったって言っても、一族の中で産まれてくる雌雄の数はそんなに変わらないすよね……この意味、わかります?」


 どこか試すような彼の言葉に、私はうーんと悩んだ。


「……雌に取り合われるような雄でないと、結婚出来なかった?」


 デュークは私の恐る恐る答えた声を聞いて、ははっと声を上げて楽しそうに笑った。


「これって、別に大事な試験でもなんでもないっすよ。質問されて答えるのに、そんなに緊張しないでください。まあ、でも……そうっす。姫の言う通り。そういうことです」


「まあ……」


「俺の先祖はそういう女に好まれるような男しか、子孫を残せなかったんでしょうね。一族を出れば、別の一族の中から番を見つけることも出来たんでしょうけど……俺たち獅子は怠惰な上に、同類にしか良く分からない説明のつかない高い矜持を持っています。だから、遺伝的にはそうなるのかもしれません」


「まあ……そうだったのね。じゃあ、獅子の一族の雄って皆デュークみたいに、野生味溢れつつも整った造形を持つ美形の男性ばかりなの……?」


「……俺は一族の中で育つ時も自分のことをあまり、美形とかモテているとか思ったことは一度もないっすよ。それで、姫への答えになるなら」


 デュークは肩を竦めて、やっと自分が飲める頃合いだと思ったのか。ようやくお茶を飲んだ。


「きっと、女性にしてみたら、地上の楽園みたいな場所なのね」


 彼や彼のような美形の男性に囲まれる生活を思い描いてしまった私に、デュークは微妙な顔をしたまま苦笑した。


「はは……それが俺らの習性だから、仕方ないんすけど。ろくでもない怠け者も、多いっすよ。俺なんかかなり働き者の方で、一日中木の上で寝ている奴も珍しくないっす」


「まあ……お仕事は?」


「してない奴が多いっすね。たまに狩りに行って高く売れる奴狩って来たり。そんなもんっす。獣人の中でも確かに獅子が最強と呼ばれて強いのは、確かにそうかもしれません。けど、何か危険が迫っていたり、ここ一番でしか力を出さないので……女性自身が働き者で、そういう見目の良い怠け者がお好きな方なら。良いかもしれませんね。ちなみに俺は、獅子獣人を女性が伴侶に選ぶことは勧めませんが」


「どうして?」


「さっきも言いましたけど、ここ一番の時に頼りになることしか取り柄がありません。番のことは、確かに大事にします。約束をしたなら、必ず守りますし、愛することには変わりはありません」


「良いわね……」


「ですが、結婚って毎日の生活ですから。怠け者を世話することが自分の当たり前だくらいの気持ちのある人じゃないと、かなり厳しいかもしれないっす。見た目に惹かれた別種族の嫁が逃げるのって、俺の住んでた故郷では日常茶飯事だったんで」


「……デュークは一人だけ、特別で変わってるってこと?」


 ここ一番の時にしか働かないような人が、上司には睨まれつつも王城で騎士団長などは絶対に務まらない。デュークだけが唯一の特別であるかのように、私には思えた。


「俺は実は、純粋な獅子ではないんです。祖母さんが、虎だったそうなんで。そういう他種族の血も、良い仕事をしてるのかもしれないっす」


「そうなのね。獣人の一族も、昔と違って混血も進んでいるって聞くもの。獅子も虎も。どちらにしても強いから、デュークはとても強いのね」


「言い過ぎっすよ……それより、姫って爪を隠している鷹なんすよね。俺はその方が、不思議っす……なんで、そんなことを?」


「私は、自分の今の立場を良くわかっている。母を早くに亡くして家族から甘やかされた姫で、周囲から見ればとても扱いづらい存在であることは。自分の立場は、弁えているつもりなの。私のような王太子の兄に可愛がられている末姫は、良い意味でも悪い意味でも……目立たずにいた方が良いことも。だから、そうした方が、良いと思ったの」


 自分でも上手く説明出来ない私が言った言葉を聞いたデュークは、やっぱり眉を顰めて良くわからないと言った表情だ。


 これは私にもわかっていることだけど、単なる自分勝手な周囲への忖度だった。


 周囲はこう思っているだろうと私は思って、一番に良い自分の立ち位置を作り上げたつもり。


「……ふーん。上流階級の皆様のお考えは、そうなんすかね。俺はそんな風には思わないっすけど」


「才知をひけらかすような優秀な女性は……男性には、あまり好まれにくいのではないかしら」


「それは、姫。絶対に違います。さっき、俺の獅子の一族の話は置いといて。ユンカナンの庶民であれば、夫婦が共働きすることが普通なんで、自分でも稼ぐことの出来る才覚のある女性が好まれるっす」


「けど、お淑やかな女性の方が、好かれるのではないかしら?」


「もちろん、大人しくて自分の言う通りに従う女性も好きな男は居るっすけど、それはそれでお互い好ましいと思えば、それで良いんじゃないすか。男女って、結局のところ、お互いの相性の問題だと思いますけどね。いろんな性格の人が居て、それはそれで良いんじゃないすか」


「自由で良いと思う……私も、窮屈な王族になんて、産まれたくなかった」


 思わず前々からの本音を出し、しんみりとした空気になってしまったことに気がついて、慌てて話を変えようと何かを言おうとした私にデュークはお茶を飲みつつ目を細めた。


「姫自身はそう思っているかもしれないっすけど。ユンカナンの国民は、ほぼ全員が姫がこうして存在していることに、常々感謝してるっすよ」


「……え? なぜ?」


 デュークに今まで思ってもみなかったことを言われて、私には本当に不思議だった。


 彼は勿体ぶった仕草で頷き、足を組み替えた。


「可愛い末姫には嫌われたくないからと、高い王位継承権を持つ三人の殿下たちの仲は良好で、国を良くしようと一致団結し、それぞれに役目を持ち存分に果たされている。血塗られた王位争いなどは可能性もなく、国は豊かで平和で、何より陛下ご自身もここ何代かで一番の賢政を敷く王として有名です。だから、姫は何もしなかったとしても存在しているだけでこの国の王族としての役目は、果たしていると思うっす」


 デュークだからこその嘘偽りのない言葉に、私は思わずまた本心から彼に求婚してしまった。


「……ありがとう。デューク。世界で一番貴方のことを好きだから、私と結婚して」


 必ず断られること前提の私の求婚をいつものようにサラッと断るのかと思えば、その時のデュークは何故かとても難しそうな表情になった。


「俺も……姫の身分に釣り合うような貴族に産まれたら、良かったんすけどね。まぁ……そういう訳で、大抵の国民は、姫の幸せを願っています。実際俺も……その一人なんで。求婚にお応え出来ずに、すみません」


 彼がこの時に浮かべていた表情は、明らかにいつもとは違っていた。


 この話の流れはもう止めた方が良いと判断した私は、次はデュークの好きな食べ物について質問することにした。

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