第2話 魔力を持たない薄幸令嬢②

 翌朝、何故かリフィアの顔や体に出来た傷は完全に癒えていた。一晩寝ただけでこんなに綺麗に治るなど、普通ならありえない。


(きっと、神様が起こしてくれた奇跡なのね……!)


 自分の身に起きた幸運を神様のおかげだと思ったリフィアはその日以降、より一層感謝をするようになった。


 そんな生活の中で、ないものねだりをして惨めな気持ちになるよりも、今あるものを大事にして前向きに過ごす方が楽しい事に気付いた。


 だからいくらセピアが嫌がらせで萎びた食事を持ってきても、不満を漏らす事は無くなった。


「ゆっくり、味わって食べてね」


 嘲笑を浮かべるセピアに、リフィアは「ええ。いつもありがとう、セピア」とにっこりと微笑んで見せる。


「なによ、ヘラヘラして! 笑っていられるのも、今のうちだけなんだからね!」


 リフィアの反応が気に入らないのか、セピアはいつもイライラした様子で帰って行く。


(毎日この食事を用意させるのも、逆に大変じゃないのかしら?)


 しかもそうしてセピアが食事に嫌がらせをしにきてくれるおかげで、リフィアはある特殊な力に目覚めていた。


「貴重なお恵みを、ありがとうございます」


 セピアが持ってきてくれた食事に感謝して祈る。すると石のように固かったパンも焼きたてのふかふかパンになり、しなびた野菜のサラダもみずみずしく新鮮に変化する。パサパサした魚のムニエルも脂がのってジューシーになり、生臭い真っ赤なスープも澄んだ美味しいスープになる。


 一日一回特別な食事を用意させて、別邸までわざわざ歩いて会いに来てくれる。孤独な別邸での生活の中で、そうして気にかけてくれるのは良くも悪くもセピアだけだった。


 だから感謝の気持ちを込めて、リフィアはいつもお礼を言った。そんなリフィアの言葉が本心だとは、セピアはきっと気付いていないのだろう。



 隔離されて十年、十八歳になったリフィアは十年ぶりに本邸へ入ることを許された。


「リフィア、お前にはクロノス公爵の元へ嫁いでもらう。出発は明日だ、準備をして旅立つように。話は以上だ」


 十年ぶりに見た父は、相変わらず威厳に満ちあふれ有無を言わせぬ厳格さがあった。


 もう用はないと言わんばかりに、リフィアの返事を聞くことなくエヴァン伯爵は書類に目を通し始める。要するに決定事項をただ伝えるために呼ばれただけだったのだ。


 執務室を出ると、そこにはセピアの姿があった。


「役立たずなお姉様でも嫁の貰い手があって良かったわね。相手はあの呪われた仮面公爵ですって、お姉様にはぴったりね」

「クロノス公爵様は仮面を付けていらっしゃるの?!」

「え、ええ。そうだけど……」


 嬉しそうに破顔するリフィアを見て、セピアは怪訝そうな面持ちで声をかける。


「何を期待しているか知らないけど、仮面の下は醜く皮膚が鱗化しているらしいわよ。いずれそれが全身に回って死ぬ呪いにかかっているらしいわ。そんな人の子供を生むためでも、役に立てて良かったわね」

「セピア、他に仮面を付けている男性は居るかしら?」

「普段からそんな不気味な仮面を付けているのは、クロノス公爵くらいよ」

「そうなのね! 教えてくれてありがとう! 私準備があるから戻るわ」


 別邸に戻って、クローゼットの奥に大切にしまっておいたコートを取り出す。


(もしかしたら、このコートをお返し出来るかもしれない)


 昔、どうしても舞踏会を見てみたくてこっそり別邸を抜け出した事がある。


 綺麗に着飾った男女が、楽団の音楽に合わせて優雅に踊る。夢のような一時。


 綺麗なドレスも靴もアクセサリーもない自分には分不相応な場所だと分かっていても、本で読んだ光景を一度でいいから見てみたかったのだ。



 その日はまだ冬の寒さが少し残っていて、薄い部屋着しか持っていないリフィアにとっては凍えるような寒さだった。


 かじかむ手に吐息を吹き掛けて温める。身を縮こまらせてリフィアは、庭木の陰からこっそりと会場を覗き見ていた。


 ホールの中からは優雅な音楽が聞こえてくる。その音楽に合わせて、窓に映る影が動く。


(きっと今、中で皆はダンスを踊っているのね!)


 静寂に包まれた別邸では聞けない美しい音楽にそっと耳を傾ける。それに合わせて楽しそうに揺れる影を見ているだけで、リフィアの口元は嬉しそうに弧を描いていた。


『よろしければこちらをお使いください』


 声をかけられ振り返ると、仮面をつけた男性が、リフィアの肩に自身の着ていたコートを脱いでかけてくれた。


 上質な生地のコートは冷たい風を完全に防いでくれて、とても暖かい。


『今日は冷えます。そのコートは差し上げますので、早目に室内へお戻りくださいね』


 顔の上半分を仮面で覆った男性はそう言って、足早に立ち去った。


『あの、ありがとうございます!』


 リフィアの声に振り返った男性は、口元に微かに笑みを浮かべて軽く手を振ると、馬車に乗り込んだ。とても豪華な馬車で、かなり身分の高い方だったのが分かる。


 誰かに優しくされたのは、それが初めてだった。


 前向きに生きようと思っても、どうしても気持ちが落ち込んで辛い時や寂しい時、リフィアはそのコートに何度も助けられた。


 悪いと思いながらも肩から羽織り目を閉じて、優しく声をかけてくれた男性の事を思い出す。そうすれば、不思議と不安や寂しさも和らいだ。


(いつかここを出られる時が来たら、あの男性にきちんとお礼がしたい)


 もしかしたらその願いが叶うかもしれないと、意気揚々と荷造りをした。

 翌日、リフィアは迎えに来てくれた馬車に乗り込んで、クロノス公爵家に向かった。


 振り返っても、誰も見送りをしてくれる者は居ない。


(最後にお母様に挨拶をしたかったけど、会ってはくださらなかったわね……)


 あの日以来、母がリフィアの前に姿を現すことはなかった。

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