第3話 母

 ミカエラは宿で湯を貰い、長旅の汚れを落として久々のベッドで眠った。

 ミカエラは母と2人で最寄りの村から離れた山間に住んでいた。

父はミカエラが生まれてすぐ事故死したとのことで、父の姿は知らない。母がこぼした言葉を繋ぐと、色々と便宜を図ってくれた騎士だったようだ。

母は渡り人として多くの知識を持っていた。時折村長などが知恵を借りに訪ねてくることもあったが、母の存在は外部には秘匿されていた。

その知識や存在故にひっそりと隠れ住まなければならないようだ ということは子供ながらに感じていた。

母は様々なことをミカエラに教えながらも、その能力をひけらかすことが無いよう言い含めた。

そんな母も病床につき、彼女が身に着けていたブレスレットをミカエラに持たせて王都の後見人の元に行くよう伝え、儚くなった。


 ミカエラは村長に王都の方向を聞き、荷馬車で近くの町まで送ってもらったりしながら一月掛けて母と縁がある貴族の家を見つけ出した。

門兵にご当主様と母の名を伝え、取り次ぎをお願いしたのが20分前。

10分前には初老の男性が現れ、うやうやしく屋敷の中へ招かれ現在に至る。

真っ白で漆喰彫刻が見事な柱。グロテスク(草花柄)調の壁紙には写実的な風景画が掛かっている。黒檀を足に使用したテーブルとソファは実に優雅だ。

煌びやかな部屋で居心地悪く座っていると扉が開き、彫刻象のような男性が入ってきた。


「…ミヤ様は…? このブレスレットはミヤ様のものだろう?」


誰? 当主様? どういう言葉を使えば良いのだろう? 自分の所へ駆け寄った男性に戸惑いながらもミカエラは答えた。


「…母は病気で亡くなりました。それで私にここに行くよう言ったのです」


彫刻象の男は信じられない という表情をした後、静かに涙を流した。


「なんということだ…ミヤ様がやっと見つかったと思ったのに…」


男はひとしきり泣いた後、向かいの椅子に腰を下ろした。


「…取り乱したすまなかった。私はマクレガー・ランシア。このランシア伯爵家の当主をしている。…名前を聞いても?」

「ミカエラ・コルガータです。…ミヤ・ハシモトの娘です」

「コルガータ…君は護衛騎士のジル・コルガータとミヤ様の子なんだね?」

「おそらくそうです。父は私が生まれてすぐ亡くなくなったのでよく分かりませんが…」


扉をノックする音がして、お茶が運ばれてきた。

湯気に乗って茶葉の良い香りがする。メイドは菓子皿をミカエラの近くに置いた。


「さぁ遠慮せずに食べて。君は瘦せているからたくさん食べないとね」


その伯爵の言葉におずおずと手を差し出し、初めて食べる甘みの強さに目を輝かせる。

その様子を見て伯爵は微笑んだ。

優しそうな人だ。ミカエラは最大の疑問を投げかけた。


「母とはどのような関係なのでしょうか?」

「そうだね…まずミヤのことから話そうか」


 橋本美弥は、17歳の時に突然この世界に現れた。

異質な恰好をしていたことから騎士団に通報があり発覚したのだ。

別の世界にいたという彼女を『迷い人/渡り人』として王家は保護した。

身よりも身分もない彼女の後見に、ランシア伯爵家が選ばれたことが事の発端だったのだろう。

マクレガーに恋心を抱く令嬢からのやっかみがひどく、王家は護衛騎士をつけたものの、騎士が入れない浴場や寝所に動物の死骸や泥水を撒かれる被害が相次いだ。

筆頭はリーヴェルト公爵令嬢(当時)で、金と権力に物を言わせ美弥の殺害しようと行動したのだ。

命を狙われ心の擦り切れた美弥を守るように護衛騎士が連れて行方をくらましたことから令嬢たちの悪行が明らかにされ、いくつかの家は降爵、複数の娘が国王の勅命に背いた反逆者として極寒地の修道院へ送られた。

その後美弥の行方を捜したが、護衛騎士にあてたジル・コルガータは潜入やサバイバルのスペシャリストで、その仕事ぶりは素晴らしく痕跡すら辿れなかった。…害する者たちが追って来ると推測して、徹底的に消したのだろう。


 それでもランシア伯爵は自家が持つルートなどを使い、彼女たちの居場所を掴もうとした。

まぁ今日まで確証はつかめなかったわけだが…。


「後見人…」

「ミヤ様も君も私のせいで要らぬ被害を被ってしまった…。どうか私に出来るだけ償いをさせてはくれないだろうか」


ミカエラは首を傾げた。

特に比較対象がそばにいなかったこともあり、今までの生活が不幸だったとは思っていないからだ。


「母はともかく、私は特に困っておりません」

「ミカエラはこれからどうするつもりだい? 何かなりたい職業があるならそのための技術の習得や職場の斡旋などの手伝いができるよ?」


なりたい職業…も特にないが、足元見られて安い給金にされたり、紹介状が無いことで就職できないようでは困るな と考える。


「昨日騎士団の方に勧誘されました。ソーサラーが足りないのだとか…」

「…ミカエラは魔法が使えるのかい?」


眼をパチパチさせて、マクレガーが訊ねる。


「…ほんの少しですけど」


目撃者がいるため「使えない」とは言えない。大言にならないよう控えめに言っておく。


「さすがミヤ様の子だ。…騎士団には私から紹介できるよ。でもまずは仕事についていけるよう体力を付けたり、職場の規則が分かるよう勉強してからにしよう」


ミカエラは自分の将来を考え、伯爵の申し出に甘えることにした。

伯爵は満足そうに微笑み、先ほど門兵に渡したブレスレットをミカエラの前に差し出した。


「これは陛下がミヤ様…ミカエラのお母さまに下賜されたものなんだ。魔法の効果が増幅するものだったはずだから君が持っているといい。」


”ほんの少し”しか魔法が使えない設定なので、これは身に着けず大事にしまっておこう とミカエラは決めた。


 伯爵に促され応接間を出てそのままエントランスに向かうのかと思いきや、彼は執事に何かを指示し、ミカエラは2階の執務室へと通された。


「ここで少し待っていてくれ。家族を紹介しよう」

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