29. 甘味と苦味

 海渡と美優は食事を終えてデザートまで楽しんだ。食事を終えたと同時に美優は海渡の話を聞きたがったが、このお店で食後にずっと居座ることも申し訳なく思えてふたりは場所を変えることにした。


 平日といっても人気のお店は外に順番待ちの客が並び始めていた。歳上として海渡が食事代を出すつもりだったのだが、美優は十五年前のお礼とのことで支払うと聞かなかった。


 まだ学生の身分の彼女に食事代を出させることは気が進まなかった。それでも、これで彼女が満足するなら甘んじて受け入れておこう。


 店を出て向かった先は美優がたまに訪れるという落ち着いたカフェだった。いつもファミレスでデザートを食べる海渡とは違い、彼女は学生らしくお洒落なお店をよく知っているようだ。


 若者が好みそうな映えスポットのようだが、年配層も落ち着けるような木で作られたレトロな棚や装飾が施されていた。


 ここの代金は出すことにしようと海渡は先ほどパフェを食べたばかりであるというのにショコラケーキを注文して、美優にも何かを勧めようとする。



 「本当に甘いものが好きなんですね」


 「君も何か食べなよ」



 再び「君」と呼んだ海渡を細めた鋭い目で見る美優の圧に負けて、「美優」と急いで言い直すと、彼女は満足げに笑った。



 「私も同じものにします」



 飲み物は海渡がココアで、美優はカフェラテだ。甘いものに甘いものを合わせて飲まないと、苦味が強調されてしまう。チョコレートとブラックコーヒーを同時に摂取する人はきっと味覚がおかしい。



 「では、海渡さんの話を伺ってもいいですか?」


 「いい話じゃないよ」


 「それでも知りたいです。能力のこと」


 「大抵の人は笑い飛ばすんだけどね」


 「私は笑いません」



 ここまで言われると覚悟を決めるしかない。


 海渡に目覚めたトレース。それは一般的にありえないと思われるものであるが、確かに存在する能力。


 ケーキと飲み物が運ばれてきてから、海渡は自らの過去を美優に話した。




 十五年前、通り魔事件で腹部を刺されて負傷し、治療が終わって退院した海渡は、久しぶりに学校への通学路を歩いた。


 見える景色は見慣れたものばかりだが、そばにいつもいた謙人と佑がいない。


 どれだけ望んでも、彼らはもう戻ってこない。


 あの場所が近付いてくる。ある日突然平和だった日々が終わりを告げた、あの忌まわしい事件が起こった場所が。グラウンドの周囲に張られた緑色のネット、等間隔に並んだ支柱。


 奇声を発しながら、襲いかかる眼鏡の男。


 すでに逮捕されたはずのその男が、なぜか海渡の目の前に現れた。


 恐怖で声が出ずその男を見上げると、その男は小さな女の子を捕まえた。あのときとまったく同じ状況だった。


 海渡の呼吸は荒れ、心臓が大きく音を立てて彼の胸を打つ。


 すると、謙人と佑がこちらに向かって走ってきた。もう二度と会えないと思っていたふたりがこちらに向かって近付いてくる。


 生きていたんだ。彼らは死んでいなかった。


 希望を持って深呼吸をする海渡の目の前で、ふたりは再び殺された。そして、もうひとりの海渡も腹を刺されてその場に倒れた。



 「なんで、なんで・・・」



 過呼吸になり、苦しみながら地面に膝をついて大声で叫んだ海渡の異変に気付いた男性教師が校門から飛び出してきた。


 その教師は海渡の背中を摩って、大声で学校にいる他の教師に応援を頼んだ。海渡はついに呼吸ができなくなって、意識が深い闇の中に落ちてしまった。


 目覚めた海渡は、また同じ病室のベッドにいた。退院したばかりなのに、また同じ場所に戻ってきてしまった。


 救急車で緊急搬送されたものの身体に異常はなく、診断は精神的なショックによる過呼吸だった。


 あの場所で見たものは幻だったのか。


 あの日の出来事がすぐ目の前で繰り返された。それは本当にリアルで、すでにいないはずの彼らが蘇ったような感覚だった。そして、彼らは再び殺害された。


 もう、学校に行きたくない。あの場所に行きたくない。怖い。もう、二度とあの光景を見たくない。




 「二度と俺は学校に行くことはなかった。しっかりと治療を受けてから、別の学校に転校することにしたんだ。その治療も長くかかって、結局中学生になるまで学校に行くことはなかった」


 「気持ちはわかります。私もあの場所を通ることが怖かったから。気持ちの整理にも時間がかかりました。そのときに見えたものが能力によるものだったんですね」



 さすがは医学部に合格するだけの頭脳だ。こちらが説明をする前に自ら答えを見つけ出してしまう。



 「トレースといって、事件があった現場で何があったかが見えるんだ。それが能力によるものだとわかったのはそれからまだ後の話なんだけど」


 「その能力を使うために警察官になったんですね」


 「トレースは謙人と佑が俺に与えた使命だと思った。お前はそれを何かの役に立てて生きていけって言われてるような気がしてさ」



 その使命にゴールはない。どれだけ犯罪者を逮捕しようと、この世から犯罪がなくなることは決してないのだ。いつか犯罪のない世の中になればいいと願っても、人がいる限り罪は消えない。


 だから、海渡はいつまでも戦うことを決意した。



 「俺の話はこんな感じ」


 「聞けてよかったです」



 美優は優しく微笑んでショコラケーキとカフェラテを楽しんだ。


 あの事件で人生を狂わされたことに変わりはないが、今こうやって被害者が再会して、会話をしながらケーキを食べている。


 謙人と佑がしたことがこの出会いを作ったのだ。ここに彼らもいられたら、どんなによかったか。


 犠牲になった彼らのおかげでケーキをおいしく食べられることを決して忘れてはならない。



 「私も能力があればよかったんですけど」


 「いいことばかりじゃないよ」


 「ひと目で病気が見つけられる医者なら最高です」


 「それは確かに。甘いものばかり食べないと」


 「太りたくないから、それは嫌かな」



 海渡から自然と笑みが溢れた。こんなに自然に笑える相手は他にいない。紅音や峯山には心を許しているが、ふたりは仕事上の仲間だ。


 仕事関係なしにプライベートで会う仲なのは、美優だけ。今まで友達と呼べる相手がいなかったことは内緒にしておこう。



 「そろそろ行こうか」


 「そうですね」



 海渡は颯爽と伝票を持ってレジに向かい、会計を済ませた。美優は背後で財布を持っていたが、海渡が何も言わずに店を出ると「ご馳走様でした」とだけ言ってそれを鞄に戻した。こちらの気持ちを汲んでくれたらしい。



 「今日は楽しかったです」


 「こちらこそ」


 「また誘ってもいいですか?」


 「もちろん」


 「誘ってくれてもいいですよ」


 「あー、うん」



 海渡の微妙な反応を見た彼女は少しばかり目を細めたが、すぐに笑い出した。


 常に笑顔で柔らかい雰囲気の彼女といると、日々の嫌なことが忘れられそうだ。



 「それでは、また」


 「ああ、またね」



 海渡は美優が歩道を進む背中を、見えなくなるまで見届けようと立ち止まっていた。そして、彼女が角を曲がって見えなくなった瞬間、大きな悲鳴が耳に届いた。


 海渡は急いで同じ道を駆け出して、美優のもとへと走った。


 そして角を曲がったところで、美優が地面に膝をつけて大きく肩を上下させる姿を見つけた。


 そこは車の対向も難しいような細い道で、他に通行人はいない。



 「大丈夫? 何があったの?」


 「あ・・・あれ・・・」



 海渡が美優のそばで彼女の指の刺す先を見ると、制服姿の女子が三人倒れていた。白いセーラー服の腹部に血の染みが広がっており、三人ともが意識を失っている。


 海渡は彼女たちに駆け寄ったが、呼吸があるのはひとりだけだった。


 救急車を要請し、紅音に電話をかけると彼女はすぐに向かうと言って通話を終えた。


 美優は膝を落として同じ体勢のまま呼吸を整えようとしていた。


 海渡の目には、三人の女子生徒を刃物で襲って逃げていく何者かが映った。

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