第9話 月の街

 淡黄の「月」が、二人を照らしていた。

 いや、そうではない。くだらない言い回しである。それが「月」などではないことは、それを一目目にした者ならすぐにわかることであった。


 《外軍管区ロゴス


 《城》の一角を占めるその領域は、人工太陽が照らし出す淡黄の光によって、ぼんやりと輝いている。

 灰褐色の均整のとれた街並み、ガス灯の曖昧な光がぽつぽつと浮き上がるほの暗い街路、ちらちらと窓辺を横切る人の影らしきシルエット――。煙が見えた。街の手前から向こう側まで――家々から立ち上る無数の白い煙の線は、中空で入り混じって、街全体を白い霧のように包み込んでいる。

 《城下》とは、何もかもが違う。

 そして、その「月」と見まがうばかりの暗い太陽は、そんな霧の都を貫く大きな目抜き通り、すなわち彼の前に開かれた門の戸口から伸びるその真っすぐ向こう側で、街の象徴たる《第四信号塔タワー》の影とともに、煌々と静かな光を瞬かせているのであった。


 「綺麗だろう? エネルギーの有効活用ってやつさ。まあ、試作段階だがね」

 「ジャン・ジャルジャック?」


 かかる声に、彼は思わず力ない言葉をかえす。

 そこには、片腕のないオーバーコートのレギオン、「不具の」ジャン・ジャルジャックの姿があった。


 「待たせて悪かったな。俺が待ち人だよ」


 空っぽの右腕の袖をはためかせながら、その男はゆっくりと一歩踏み出す。

 《城下》との境界に、深い影が差した。

 《タナトス》の響きは、もう聞こえない。周辺の気配に感覚を研ぎ澄ましてみても、そこに脅威となりうるような存在は何も感じられなかった。

 世界は、不気味に静まり返っていた。


 「どうしてあんたが? さっきのあれはなんだ?」


 男は足を止める。

 そして、彼は目の前の表情のない顔が、ふと悩ましげに顎に左手の指を回すのを見た。


 「んん……まあそういう反応になるか。その様子だと、《ダーガー》からの連絡も入っていないようだしな」

 「どういうことだ?」

 「何てことはない、ってやつさ。さっき決まったんだ。増えすぎてたしな。ちっとやそっとの整理じゃすぐもとに戻っちまうっていうんで、いったん、を綺麗にしようってことになったのさ」


 指先で首を横切る仕草をしながら、男は皮肉げな声でそう言った。


 「わからない。……? 俺は何も聞いていない」


 めぐるめく疑問に苛立ちを覚えながら、彼は問う。

 ジャン・ジャルジャックは、そんな彼の様子を見て、なだめるように手のひらで制止の合図をとる。


 「すまないが、が悪い。警戒しているのはわかるが、まずは何も言わず門をくぐってくれ。問題は、それからだ」


 ジャン・ジャルジャックはそう言って、自らの背後を指さす仕草をした。

 ふと、耳に聞きなれない唸りが響く。見れば、その男が指さした方向から、一台のトラックがヘッドライトを輝かせながら近づいてきていた。

 無意識に、視線が泳いだ。しかし、そうしていくらか戸惑ったものの、彼はすぐに前へと向き直り、無言で右腕の杭を引き下がらせる。ジャン・ジャルジャックが、安堵したように小さくすっと肩をすくめた。

 機械的に動く右足が、門を超えた。彼が隣に立ったのを見て、ジャン・ジャルジャックは近づいてくるトラックに向けてさっと手振りで合図を送った。

 

 「話が早くて助かるよ」

 「そっちこそ、いつも話が遅いんだ」


 悪態をつく彼に鼻で笑いかけながら、ジャン・ジャルジャックはブレーキの音を出迎える。

 そのトラックに、運転手はいなかった。前二輪、後四輪のそのくたびれた代物は、荷台をくすんだカーキ色の幌で覆っていて、足回りはやや緑がかった黒土で汚れていた。ボディには無数の傷跡が目立ち、片方にひびの入ったサイドミラーに、ちらちらと不安定に揺らぐ赤いテールランプからは、お世辞にも丁寧な扱いをされているとはとても感じられなかった。

 ジャン・ジャルジャックは、ガタンと跳ねるように開く運転席のドアを見て、彼に助手席に座るよう身振りする。


 「こうやって、毎回ちゃんと迎えてやらなきゃならん。色々ガタがきているもんでな、もう一人であちこち動き回らせるのは無理だ」


 運転席のドアを閉めながら、ジャン・ジャルジャックは懐かしそうに言う。

 シートは、擦り切れてところどころ中身が飛び出していた。座席の足元は乾いた泥で白っぽく汚れていて、奥の方には溝にはまった小石がぽつぽつと転がっていた。

 ジャン・ジャルジャックは運転席の左前に埋め込まれたナビモニターを何度か叩く。ブツッという低い音とともにモニターに光が灯った。


 「お待ちしておりました、ジャン・ジャルジャック。行き先はどちらでしょうか?」

 「《ホーム》まで、真っすぐだ。おっと、本当に真っすぐ進むんじゃないぞ。障害物を避けながら、既定のルートのうち最短距離でだ。いいな?」

 「はい、承知いたしました、大尉」


 ノイズがかった電子音声の応答にため息をつきながら、ジャン・ジャルジャックはシフトレバーの脇で光る青色のボタンを押した。

 トラックが、ゆっくりと動き出す。ぐるりとUターンする動きはやや雑で気分の悪いものであったが、すぐに舗装されたアスファルトの道路に入ったこともあり、そこからはともあれ一息つけるような足取りになった。


 「AIも、歳をとる。まあ、俺がとらせたようなものだがね。でもどうしてかな、今更自分で運転する気にはならないんだ」


 足を組み、じっと左の手のひらを眺めながら、ジャン・ジャルジャックは言った。


 「次で廃車だよ。《ダーガー》曰く、もうこれ以上の修理は望めないとのことだ。ご機嫌斜めなところこんなおんぼろで悪いが、まあしばらく付き合ってやってくれ」

 「……別に、そんなことは思っていない」

 「はは、大変結構」


 そんな軽口を乗せて、トラックは《外軍管区ロゴス》の街をゆく。

 窓辺に顔を寄せてみれば、白煙の立ち込める道路のところどころを、今乗っているようなトラック、あるいはもっと物々しい装甲車などがしきりに行き交っていた。

 中には、幌の隙間から砲身のようなものを露出させている車両もあり、殺風景な目抜き通りの風景も相まって、《城下》とはまた違う意味で生活感の感じられない何かがそこに漂っていた。

 途中で、信号にぶつかった。白煙に紛れて淡く光るその赤い円灯は、あまり車通りのない十字路の上でぽつぽつと点滅し続けてはいたが、時折差し掛かる車は、いずれも止まったり止まらなかったりとその反応はバラバラであった。

 二人を乗せたトラックは、スピードを落とすことなく真っすぐ直進すると、そのままぐるりと右折した。車体が大きく傾き、思わずモニターを手を立てたジャン・ジャルジャックが苦笑いとともに彼を見る。

 しかし、それは彼の目には入らなかった。

 彼は、ほんの一瞬、窓の向こう側に映った奇妙なシルエットに目を奪われていた。


 「行きなさい」


 それは、あるいは幻だったのかもしれない。

 彼が横目にとらえたその姿は、この夜の世界にあって、決して存在するはずのないものであった。

 灯りのない薄暗い路地。建物と建物の間に縮こまるように伸びるそこに、一人の《少女》が立っていた。あの「月」のような淡い金髪に、冷たく光る碧色の眼、そして何より、べっとりと赤く染まった手術着のような白いワンピース。


 は、トラックが揺れる一瞬、確かに彼と目が会った。


 彼は、同時に何人かのレギオンたちの姿もみた。が、路地のほの暗さも相まって、彼らが何をしているのかはわからなかった。

 頭が、一瞬真っ白になる。はっと我に返り、思わず頭の中の同居人に向けて意識を飛ばす。しかし、その存在は、そんな彼の思いより早く、その答えを呆然とした声で呟いていた。


 「《人間》……」

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