第56話 敏腕ライター鈴華
雨はいつの間にか止んでいて、帰り道はひとつ先の駅まで歩いていくことにした。
並んで歩くうちぶつかった指先は、絡め取られ恋人繋ぎの形になる。
最後に恋人と手を繋いで歩いたのはいつだっただろうか。そう考えていれば、頭上から声が降ってくる。
「佐和子さん、手を繋ぐの嫌じゃないかい?」
「嫌、ではありません」
「そう、よかった」
はにかみながら青い目を細める永徳の顔を見て、佐和子は思う。
たぶん私がした選択は、間違っていないのだと。
その証拠に、普段表情の少ない佐和子の頬も緩み、ふわふわとした気持ちに包まれている。
「帰したくないなあ。連れて帰りたい」
美しく整えられた美術館前の庭園を歩いている時、永徳がポツリと言った。
佐和子は上目がちに彼の顔を伺う。
「……お付き合いすることになってから、まだ数十分ですけども。笹野屋さん、直球すぎませんか。いつもの婉曲表現はどうしちゃったんですか」
「君に遠回しに言ったり、少しおちゃらけた雰囲気で言うと、『ふざけている』って思われることがわかったから。気持ちはストレートに言葉にすることにしたのだよ」
「そう、ですか。誤解がなくていいかもしれませんが、恥ずかしいですね……」
「かわいいなあ、佐和子さんは」
「やめてください。怒りますよ」
「え、なんで」
ぷいと横を向けば、明らかに永徳は慌てた様子で。
佐和子は思わず吹き出した。
「お茶でもしてから帰りましょうか」
「俺も今そう言おうと思っていたところだよ」
こんな幸せな時間が自分に訪れてもいいのだろうか。自分の感じたままの心に従って、選んだ道は想像以上に明るくて、暖かくて。
この先に嵐がやってくるなどということは、まったく想像もしていなかった。
◇◇◇
「ええ? プレスリリースの仕分け? そんなのやらないニャ」
「そんなこと言われましても。今人数が減ってしまっている関係で、輪番でやっているんです。鈴華さんについては、この業務込みでの契約と編集長からは聞いています」
「私は上流の仕事しかしないのにゃ。キャリアを買われて宗太郎に頼まれてここにいる私に、そんな下流の仕事をしろと?」
「いや、あの……」
月曜日はマイケルの出勤日ということで、マイケルから鈴華にプレスリリースチェックの仕事を説明してもらっているのだが。彼をバイトと侮っているのか、それとも本当に雑用はやる気がないのか、鈴華はまったく聞く耳を持たない。
「さて、じゃ、私は追っかけたいネタがあるので、失礼するにゃ~。気が向いたら戻ってくるにゃ~」
四本足を床につき、猫のように体をそらせて伸びをすると、バックパックを背負って鈴華は出て行ってしまった。なすすべなく逃げられてしまったマイケルは、意気消沈という様子で席に戻ってきて、ため息をついた。
「困りました。全然言うことを聞いてくれません」
項垂れるマイケルを気遣うように、佐和子は声をかける。
「次は私から言ってみます。笹野屋さんが雇用条件について確認したときは、なんでも任せてくださいって言っていたに。困りますね」
「表裏があるタイプなのかもしれませんね……。まあ、あやかしはみんな自由な気質な者が多いですし、勤めはじめはトラブルも多いんですけど。とりあえず、今日の分は僕がやっておきます」
マイケルはそう言い、プレスリリースの束を手に取って読み始めた。
––––マイケルさんだって、ダンスの方で成功したらバイトも辞めちゃうだろうし。頼んだ仕事はこなしてくれないと困るんだけどなあ。
鈴華に仕事として与えられたのは、プレスリリースの仕分け作業と、取材・記事の執筆。加えて校正作業もお願いすることになっている。しかし彼女の発言を聞いていると、取材と記事の執筆以外に、時間を割いてくれそうな気配がない。
刹那が出勤してきたら、今度は彼女から鈴華にあやかし瓦版での仕事の仕方について説明をしてもらう予定になっている。
––––まあ、刹那ちゃんなら大丈夫かな。気が強いし、教え方も上手だし。
だが、そう上手くはいかないのだった。
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