令和の私小説 働きたくない

千子

第1話 令和の私小説 働きたくない

私が小説を書く理由はひとつ、働きたくないからである。


令和の私は転がり落ちるかのような人生だった。

いや、実際転がり落ちていた。

令和元年に七、八年程勤めた会社を辞めた。

部署が替わって仕事や人間関係についていけなくなったりしたせいで…いや、以前の部署でも自分がコントロール出来ずに毎日通勤途中に泣きながら会社に向かい、泣きながら帰宅していた。

何度も辞めたいと訴え、その度に諭された。

以前の部署では早く結婚したいと言っていた年下先輩が新幹線の距離まで合コンに行ったりしたせいで皺寄せがこちらにきたり、お子さんがいらっしゃる方もいたので幼稚園へお迎えや子供が帰宅するのでと残業も一人でやった日々もあった。

毎日半日以上職場にいる日々が数ヶ月経っていた頃に、情緒不安定は自分のせいだと思おうとした。


それから転職活動をし矯正歯科の受付に職が決まった。

しかし、そこでは私以外の医師以外の受付やスタッフが二ヶ月以内に全員辞めると知らされ、仕事を教えてもらおうにも「いいから」で済まされまったく教えてもらえなかった。

これで全員辞めてすべての仕事を私一人でやらなくてはいけないのか?

そう思ったら耐えきれなくて一ヶ月程度で辞めてしまった。

堪え性がないことはここから始まった。


そのあとは近所のクリーニング工場で働いた。

人に疲れたので工場で黙々と働くなら問題ないだろうと思ったのだ。

しかし、同僚の人間関係に特に問題は無かったが、社長一族に問題があった。

朝、工場内に入るなりいきなりダンボールを蹴り飛ばし、罵声を近くにいる人物に言い掛かりのようなことを言っては繰り返し、社長の叔父とその奥さんも常に怒鳴っているような職場だった。

酷いときには死ねなどの暴言も平気で飛び出た。

結局そこも数ヶ月で辞めてしまった。


次には役所や官庁相手に仕事をしている会社で事務員のアルバイトを始めた。

手堅いところなら罵声や暴言、暴力行為もないだろうと思った。

そんなことはなかった。

毎朝毎日上司から「頭がおかしい」と言われ、見張られ、000.1ミリもズレている!と怒鳴られる。

そんなに私はおかしいのかと今までのことも積み重なって寝れなくなり、精神的に参ってしまい、検索したら発達障害の言葉が目に飛び込んだ。

私の症状と同じだ。

病気なら、障害なら薬でなんとか出来るのではないかと思い初めて精神科を受診することにした。

予約から受診日まで一ヶ月近く掛かった。

そして市の発達障害の相談窓口に電話してみたり障害について調べたりした。

その間にも職場では毎日怒鳴られていたので社内の他の方に相談して辞めることになった。


そして精神科の初受診日。

問診票に気になることや困っていることを書いて提出すると、発達障害の症状が出ていますねと言われた。

次回までにこれをやって提出してくださいと一枚の紙を渡されたADHDのマーク式の簡単なテストだった。

結果は発達障害の数値が出ていますねと言われ、薬を処方されることになった。

寝れないこともあり、睡眠薬も処方されることになった。

ちなみに発達障害の薬は初回からどんどん増えていったし睡眠薬の薬は飲んでも寝れるときもあれば寝れない時もある。

寝たいのに寝れないということが辛いと知った。


そして私は薬代が高いこともあり、無職で払い続けることに不安があり障害の医療費一割負担の手続きをすることにした。

それから数ヶ月後、障害手帳を取ることにした。

自分が障害者になることを認めることに葛藤がなかったわけではないが、お金がない。

職も決まらない。

今までのように普通の人が就く仕事に就いて罵声を浴びるくらいなら、障害者として雇ってもらい、最初から出来ないことは出来ないと認めて貰って働いた方がいいとも思った。


そして数ヶ月後、近所の工場でパートが決まった。

これには結局障害を黙って入社した。

障害者を雇ってくれるところがないのだ。

フルタイムではないけれど、近くだしフルタイムで他人と働くと心身共に疲れると思った。事実疲れた。

まず、働かない。いや、働いてはいるのだが、パートしかいない職場内で他のパートさん達は好き勝手やって動画を見たり遊んだりお菓子を食べたりしていて、私の思う「労働環境」からかなりかけ離れていた。

特に八歳年下の女性からのあたりがきついのが面倒で嫌だった。

一番年下で新人で可愛がられていたのに、私が入り新人の座を奪われたせいだと思う。

現に、私の後に入った人に対してもあたりがひどかった。

関わらずにいるんだからそちらもスルースキルを身につけてほしい。

いつまでも若いつもりでいないでほしい。

疲れ果てて正社員の方に相談して辞めることになった。

正社員の方には引き留められたが、あのメンバーと遊んでばかりの職務内容で続けていく気にはなれなかった。


そしてこれが現在の職歴の最後。

矯正歯科と共に一ヶ月か二ヶ月程度で辞めたので履歴書には書けない。

また私は歯科医院に勤めることになった。

歯科助手の仕事だ。

こちらも障害のことは黙って入社した。

しかし、ここでも罵声やらなんやらがひどかった。

二百ページ越えのマニュアル、しかも正確ではないものを手書きで指定サイズの決められたノートにお手本の通り決められたように手書きで記入しろなんて序の口だった。

驚いたことに「おはようございます」と言って出勤したら「学校じゃないんだから挨拶なんてして入ってくるな!」と怒鳴られた。

他にも自分の常識とかけ離れたことが多すぎて書ききれないので割愛しておく。

ここでの退職理由は「せめてお前呼びをやめてほしい」と訴えたらその場でクビになった。

昼休みだったので、そのまま着替えて午後は働かなくていいから帰れとロッカー室に押し込められた。

久々に悔しくていい歳をして親の前で泣いた。


ついでに書くなら体に異変があり大腸内視鏡検査を受けてみたらポリープがありその場で切除してもらった。

検査結果はあと四、五年後には癌になっていたらしい。

早期発見、解決の重要性を改めて知った。




働きたくない。

人と関わるのが怖い。

そう思うようになった。

しかし働かなくては欲しいものも買えないし薬代も払えない。

毎度転職する度に鬱のような症状も出始めて、死にたいと考えるようになっていた。

実際に死に方も検索したり処方されている睡眠薬で死ねないかとも考えたが、臆病者で死ぬのも怖い私は結局今日も生きている。


そして再び職業紹介所通いである。

でも、まったく決まらない。

まっっったくである。

どうしてここまで落ちるか自分でもわからない。

障害者の職業訓練も受けたりした。

でも決まらないのである。

働く意欲はあるのに働けない。

しかも暇。

ならば創作活動でもしようかと思ったが、私は元は漫画を書いていたもののアナログ原稿であり、書いてネットに載せるのが非常に面倒くさかった。

だからネットに小説を書いて載せることにした。

どうせ毎日ハロワに行くか病院に行くかくらいしかなく暇なのだ。

小説でも書いてみて読んでもらえたら嬉しいな、くらいの気持ちで書いては載せ始めた。


すると、一通のメールが届いた。

載せていたサイト経由で企業から書いた小説を漫画化してもいいかという使用許諾を求めるメールだった。

私は驚いた。

本当に素人の趣味で書いたもので面白いかと聞かれると、どうだろう?としか答えられない作品であった。

評価がいい作品は他にもあったが、その小説が漫画化にするにあたり載せるアンソロジーのテーマと合うとのことらしい。

私はど素人なので分からなかったが、そんなものかと納得し、またお金もほしかったので受諾した。

キャラデザやネーム、完成原稿を読ませていただくうちに段々と実感してきて、自分の小説が他人に漫画にされるとこんな気持ちになるのかと思った。


そして思った。

小説家になれば働かず、人と接することなく、お金が手にはいるのでは?

自分が書いた作品でお金が入ることはすごいことなのでは?


そう気が付いてから賞に応募しようと思い書くようになった。

面白いかと聞かれたら、自分で自分好みに書いた小説なので自分的には好きである。優勝である。

というか、元から他人の作品をあまり読まないので他者と比べてどうかとか分からない。


ただひたすら働きたくない。他人と関わりたくない。あわよくば面白いと思ってほしい。

その一心で書いている。

まじめに働かなくてはと思ってきてたが、とんだ心境の変化であり、初体験の考えであった。


くだらない理由かと思われるかもしれないが、それが私が書く理由である。

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