第2章 第4話 白銀の序曲

「どうですか。 ……熱、まだ下がりませんか?」

シアルヴィの後ろからジークが声をかける。

「ああ……」

シアルヴィの前には小さなベッド。

 そして、そこに寝かされている少女が一人。エリアンだった。


 兵士たちが立ち去った後、シアルヴィは少女の異常に気づいた。少女はかなりの高熱を発していた。

 そのまま今日で二日目。このままの熱が続けば生命にもかかわってくる。

「私があのとき無理にでも引き取っていれば、こんなことにはならなかった……。」

背中を向けたまま、シアルヴィは首を横へと振る。


「お医者さまは、なんて……?」

話題をそらそうと考えながらも、やはり問うてしまうのは少女のこと。

「……原因不明だと……そう言っていた。」

少女の汗をぬぐいながらシアルヴィが答える。

 しばらく、二人の間には静寂が続いた。


「この子……もう一人ぼっちなんですよね。」

「……」

彼女の叔母は、少女を連れて町へ戻る途中、何者かに殺害されていた。

 むろん、犯人は一人しか考えられない。

「ぼくたちが、守ってあげなければいけないのに……。」

ジークの言葉には、悔しさがにじみ出ていた。


「ユグドラシルは……?」

ジークが提案したのは少し後だった。シアルヴィが振り返って答える。

「あれは空想上のものだ。実在するかどうかもわかっていない。」

「でも、お医者さまはあるかもしれないって。」


 ユグドラシル。少女を診断した往診の医者はその名を口にした。

 それはこの孤児院より西、精霊の森とよばれる森のその奥にあるとされる大樹の名。

 そしてその力を借り受けることができるなら、この少女も助かるかもしれないと。

「ぼく、行ってきます。」

「――だめだ!危険すぎる!」

申し出るジークを、シアルヴィが慌てて止める。


「昨日の兵士たちもまだこの辺りにいるかもしれないんだ。今、出歩くのはあまりにも危険だ。」

「でも、他に方法はないんですよね。」

「……」


 シアルヴィは、考えているようだった。

 昨日の兵士たちはエリアンの叔母を殺害し、少女を奪った。 そのためにはこの孤児院の見える位置にいなくてはならない。

 いくら彼らでも、孤児院の少女でない者を、取引の道具として利用するようなことはないだろうから。

 そして今日はその二日後。彼らがいまだこの辺りに潜伏していることは十分に想像がついた。


――自分が行こう。

そう言おうとして、シアルヴィは即座にそれをかき消した。

 今、自分がここを離れれば、兵士たちは間違いなくここを襲うだろう。それだけは避けねばならない。

 子供たちを危険な目に合わせることだけはしてはならないのだ。


bしばらく考えた後、

「……すまない、行ってくれるか……」

シアルヴィは静かに、そう答えたのだった。


「行ってきます。」

言葉を受け、立ち上がろうとしたジークが、思い出したように懐から一枚の布を取り出すと、その耳を隠すようにして頭へ巻いた。

 孤児院より出かける際、それが岬の先端でもない限り、ジークは常にそうするようになっていた。

 シアルヴィや子供たち相手になら、抵抗なく見せることのできるようになった自らの長い耳。だが町まで出かけて他の人間たちに会う際には、彼は意識してそれを隠すようになっていた。

 そしてその行為はいまだ彼が、この世界における、自身の人とは異なる容姿を、完全には受け入れられていないようにもみせた。


「行ってきます!」

再びそう言った後、ジークは足早に部屋を出て行く。

 そんな彼の後ろ姿を見送ってから、シアルヴィは小さく呟いていた。

「かならず……無事に戻ってきてくれ。」

彼には、そう願わずにはいられなかった。



 孤児院から西の町アルスターへ、そして精霊の森へ。

 歩みを進めながら、ジークは腰に下げられた一振の剣へと目をやっていた。

 漆黒の鞘を持つ細身の長剣。

 それはあの朝、部屋の片隅で見た一対の剣、その一振。


 あの朝の一件の後、ジークはそれがシアルヴィのものであったと気づいたが、剣の主はそれを責めようとはせず、逆にそれを差し出そうとした彼に対してこう告げていた。

――それは、君が持っているんだ――


 柄へと手をかけ、わずかに引き抜いてみる。

 研ぎ澄まされた刃が陽の光を受け、鋭い光を反射している。

 ジークは微かに目を細めた。


 あのとき、自分はこの剣を鞘のまま振りぬき、一人の兵士を打ち倒していた。

 自身の中にそのような力があるなど今までは思いもよらなかったし、全く予想もしていなかった。

 だがそれは、確かに自分の中にあった力なのだ。

 シアルヴィもそう感じたからこそ、自分にこれを預けた。

 何かがあったときには、自分がそばにいられないときには、これで自らの身を守るようにと。


「……」

剣を再び鞘へと収め、腰へと向けていた視線を前方へ戻すと、彼は再び足早に森へ向かい駆け出していた。

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