第10話 長男の立ち位置(ジョージ視点)

『あの、その奥様というのはやめていただけますか? エレノアとお呼びください』


 ジョージがエレノアを『奥様』と呼んだことにより、夫婦となった実感を噛み締めていたイザークは、彼女の言葉を聞いて落胆した。


「やはり、好きでもない男と結婚したくなかったのだろうか」


 部屋に向かったエレノアを視界の端に捉えながらも、イザークは俯いて呟いた。


 ジョージの「奥様」発言に、先程は耳まで赤くして喜んでいたというのに。


「イザーク様のそんな表情を見られるなんて、エマの報告通りでしたね」


 俯く傍らで、クツクツと笑うジョージに、イザークは顔を赤くして睨みつけた。


 ジョージはカーメレン公爵家に父親の代から仕える執事頭で、カーメレン兄弟を幼い頃からよく知る存在だった。


 そのため、執事といえど、兄弟はこのジョージを父親同様に思っていると同時に、恥ずかしい所も知られる存在で、頭が上がらない所がある。


「……悪いか」


 いつの間にエマはジョージに報告をしたのか。「有能すぎるのも困りものだ」とイザークは溢した。


「いいえ、あなたのそんな人間らしい表情が見られて私は嬉しいです」


 ジョージは先程までからかうようなクツクツとした笑いを、親のような優しい笑みに変えてイザークを見つめた。


「あなたがやっと安らぐ場所を見つけられたのならこんなに嬉しいことはありません」

「しかし彼女は、離婚を前提にしている」

「囲ってしまえばこちらのもの。私達もご協力しますよ?」


 オーガストとは言い回しが違うものの、ジョージの物騒な言葉にイザークは苦笑した。


「いや、彼女には自由に生きて欲しい。もちろん、私が幸せにするつもりはある」

「幸せにして離さない、くらい言えばよろしいのに。まったく、あなたは……変わりませんね」


 イザークの言葉にジョージは眉を下げて微笑んだ。


 イザークはカーメレン公爵家の長男として生まれ、自身も家を継ぐべく努力してきた。しかし、三歳下の弟、オーガストに「鑑定」の能力と当主としての才があるとわかると、あっさりと弟に跡目を譲ることを決め、騎士団に入団した。イザークが15歳のときである。


 イザークは騎士団で剣の才能を更に磨き、魔物討伐で武功を挙げ、25歳の現在は騎士団長にまで登りつめた。


 美貌と実力を兼ね備えた騎士団長は、多くのご令嬢に言い寄られ、その筆頭であるバーンズ侯爵令嬢には婚約者だと噂を立てられる程だった。


 しかしイザークは、色恋には興味も無く、淡々と騎士としての仕事をこなす日々だった。騎士団内では尊敬されてはいるものの、その厳しさに恐れられていた。にこりともしないその氷の鉄壁に、ご令嬢からは別の意味で人気を博していた。


 その情報はもちろんオーガストに筒抜けで、ジョージにも届いていた。


「あなたは、欲が無さすぎる」


 心配をしていたイザークに、想い人が出来たと聞いた時は、上手くいって欲しいと願ったジョージだった。それが、オーガストの任務に想い人が関わり、イザークとの結婚にまで結びつけたと次期当主から聞いた時は、ジョージは驚きつつも喜びのほうが大きかった。


「強欲だろう……強引な手で彼女を妻にした」


 ジョージの言葉に、思い悩む表情を見せるイザーク。そんな表情すら、ジョージは見たことが無い。


「彼女には感謝しなくてはなりませんね。あなたが人生をやり直せているかのようです」


 ジョージの言葉の意味がわからないイザークは、不可解な表情をしている。


(当主の座も人にも興味が無かったあなたが、たった一人の少女に翻弄されるなんて)


 ジョージは嬉しさと可笑しさで、口元を綻ばせた。


「ずっと自分に厳しくされてきたのです。彼女に甘えさせてもらえばよろしいかと」

「……その」


 ジョージの言葉に、イザークは頬を染めて言いにくそうにする。


「彼女にとって俺はおじさんじゃないだろうか?! やはりおじさんと結婚は嫌なんじゃないかと……」


 意を決したイザークが口にしたのは何とも可愛らしい内容で、ジョージは思わず吹き出した。


「今更?! 今更ですか?」

「いや、だって……」


 まるで子供のように上目遣いで話すイザークに、ジョージは驚きと嬉しさで感情が忙しい。


「彼女がそんなことを気にしている素振りはありませんでしたよ? それに、そんな方ではないでしょう? エレノア様は」

「ああ……そうだ。彼女はそんなことで人を見る人ではない……」


 まるで初恋を拗らせた少年のように、イザークは自問自答をブツブツと繰り返した。


(これは……本当にエレノア様には感謝しないといけないですね)


 そんなイザークを優しい表情でジョージは見守っていた。


「それに、彼女の前では積極的になるようですが?」


 口に物を入れる仕草をしながら、ジョージがいたずらっぽく言うと、イザークは一気に顔を赤くした。


 飴屋でのイチャイチャ話はもちろんエマから報告されていた。


 それを瞬時に理解したイザークは顔を真っ赤にしながら、「部屋に戻る!」と言って逃げてしまった。


 そんなイザークを微笑ましく見送りながら、ジョージは画策していた。


(イザーク様にはエレノア様が必要です。お二人には本当に結婚していただかないと)


 有能な執事はにっこりと笑って、自身の仕事へと戻るのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る