8、二人のテセウス

 抵抗の意思を見せるアリスを確認したユメは右腕を戻し、周囲に蜘蛛の糸を張り巡らす。


「引きずりこめ! トワイライト!」


 狙撃銃を拾い上げ、背中のもう役に立たない流星を外す。

 流星の格納庫からナイフ程度の刃物が二本、さらに、無数の大小さまざまの銃器が吐き出される。

 心臓動力源がうなりをあげ、アリスの脳がフル稼働させるべく絶えず、エネルギーを食らう。

 それは、残った全力を支払い、生み出される縦横無尽の全力の火力。長くは保てない、昼と夜の狭間黄昏が見せるうなされるような夢想トロイメライ

 身体の動きは酷く鈍り、狙撃銃を構えるだけで精一杯に見えるが、代わりに、排出された銃器たちがアリスにその発射口を向ける。


「一斉掃射……!」


 奏でるような発砲音と、脳を揺らすほどに瞬く点滅する光。

 逃げる穴もない銃弾の豪雨が、その血を寄越せとユメを襲う。


「……」


 ユメは自身を守るように、右腕のワイヤーを身体の周りで螺旋を巻き上げ、食いちぎらんとする銃弾の雨を弾く。

 その程度で全てを弾ききれる分けもなく、ワイヤーの脇をすり抜けた弾丸が、ユメの身を抉り削る。

 腹から赤い血液が滴り落ち、頬からは金属の骨格がむき出しになる。


「……」


 それでもユメは怯まない。


「いい加減に……!」


 螺旋の合間を縫うように、アリスは狙撃銃を発砲する。

 その反動を地面に抑える身体は飾りと化しており、一発の発砲で、アリスの身体は暴れる銃身の成すがままに振り回される。

 決死の一発。当たりりさえすれば機能停止を意味する大型の弾丸を、踊るような身のこなしで、ユメは音速を超える必殺をワイヤーに乗せて機動を反らす。


 銃身に制御を奪われ隙を見せるアリスに、銃弾の雨をまるで、にわか雨に打たれているかのように焦る素振りもなく振り払いながら、今度こそ確実に動きを止めるために近づいてくる。


「まだ……!」


 握りしめた左手で、コッキングの後、明後日の方向に発砲する。

 まるで狙いも定まらない発砲は、暴れる銃身の軌道を、近づくユメに向わせる。


「……」


 叩きつけるように銃身と銃剣がユメのワイヤーの螺旋に絡まる。

 ユメの身体が無防備になる。

 アリスの脳は機能を失いつつある。


「地獄までは付き合って上げる」


 無数の銃弾が、彼女の手足を地面に縫いつけるように貫く。

 無数の光の反射が、彼の瞳を釘付けにするように煌めく。

 その心臓が、その頭脳が、打ち付ける鉛の喝采に迎えられる。


「……僕の勝ちでいい?」

「……ふふっ、まさか?」


 トワイライトは終わり、空はすっかりと暗闇と星明りが上り始めている。

 デイドリームはもう間もなく、人格プログラムが初期化されるユメを叩き起こした。

 膝をつくユメはアリスを見上げる。

 

「キミは、私を許さないっていったよね……」

「うん、言った」

「私もだよ」

「知ってる」

 

 彼女の顔はどこか朗らかで、返す彼の顔もようやく、満足な表情が浮かぶ。

 十年もこの世に執着し、縋りついた、二人の亡霊は、ようやく――死を迎えることが出来る。


 床にぶちまけられた水槽の水に、本物の心臓から流れ出る血液と、燃え残った燃料着色された燃料とが混じり合わずに、弾き合いながらまだら模様を描く。

 二人が酷く汚らしい水面に沈む直前に、何かにその身体を抱きかかえられた。


「「夢芽!」」


 その名を呼ぶ二人の声は、どちらに掛けられたのだろうか。

 大きく頼もしい背中とチョコレートの後頭部が向き合っている。


「アタシが……アタシが望んだせいで、アンタを生んでしまった……辛い思いをさせた……ごめんね……アタシのせいで……」


 涙に潤む凛とした声は、赤に汚れた黒い服の身体に聞こえているだろうか。

 小さな生身の左腕が、静かに彼女の背に触れる。


「……」


 頭を乗せた肩に伝わる。何か口を動かしたのが。もう出ない声で彼女は伝えようとした。その答えは、私にはわからないが、正面で同じように抱きかかえられる少年には見えていたかもしれない。


「……ずっと離れたくなかった……」


 低くうなるような声はただ一言、囁くように呟く。

 生身の右手は所在なさげに僅かに動く。その右手を大きな左手が強く強く少年の手を握る。

 こつん。と二つの指環が触れ合う、渇いた音が静かに耳に伝う。


「僕もだよ……」


 少年の表情は、勝ち誇った力なき微笑みを少女の顔に向け、最後の鼓動を刻む。

 二人の夢芽は、それぞれのテセウスの胸で、それぞれの眠りに落ちる。

 その身体はもう、寒くない。怖くない。


「満足か? アリス……」


 その様子を傍で眺める男は、ようやく安らかな寝顔を見せる弟に、声を掛けない。自分は彼の太陽ではないのだから。

 ただ、わがままに付き合っただけ。

 ただそれだけで、満足そうに張っていた気が抜けて、思い出したように身体が限界を迎え、彼は水族館の片隅で一人静かに倒れ込んだ。


 八月二十四日。


「やっと、弔えた……」

「そうね……」


 一人の二つの遺体は安らかに、ただ、自分の中で決着をつけて、眠りに落ちる。


「おやすみ。二人とも」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る